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『千日の瑠璃』436日目——私は自転車だ。(丸山健二小説連載)

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私は自転車だ。

どう頑張っても、どうむきになっても、少年世一と盲目の少女には絶対に乗ることができない、おとな用の自転車だ。しかし世一はきょうもまた、丘の麓にある小屋のなかから無理矢理私を引っ張り出し、まるで禁断を犯すような大げさな覚悟で私にまたがった。そして、一メートルと二十センチ走っただけで、打ち寄せる波と共に砂浜へ叩きつけられた。

それから世一は、昼尚暗い心を持ち、映像的イメージをほとんど想い描くことのできない少女の子に、私を触れさせた。だが世一は一切の説明を省き、私が一体何に使う物かについても教えなかった。また少女のほうも、私のあちこちを熱心に撫で回すばかりで、質問はしなかった。そして私には、世一がなぜ私を少女に引き合せたのか、その気持ちがまったく理解できなかった。

まもなく世一は、私をSの字に曲った松の幹に立てかけ、手でペダルを操って後輪をぐるぐると回した。私は少女のために何か特別な音を出してやりたいと思った。私は風が作る波の音と、水が作る風の音と、湖底から跡切れ跡切れに立ち昇る泡の音を巧みに混ぜ合せ、それに天魔に魅入られたとしか思えぬ少年世一の口笛を加えて、信ずるに足る未来や輝ける希望を、千変万化する波動で教示した。白い犬が私に小便をかけて、幼い主に帰宅を促した。いつか乗せてやるという世一のほら話が少女の後ろ姿を更に小さくした。
(12・10・日)

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