最高裁「トイレ」整備命令でわかったインド初等・中等教育のぜい弱さ

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執筆者 山田剛(日本経済研究センター 主任研究員)
※この記事はニュース解説サイト『新潮社Foresight』より転載させていただいたものです。 http://www.fsight.jp/ [リンク]

インド最高裁は10月4日、政府に対し2013年4月までに全国の小中学校すべて(約130万校)で飲料水やトイレなどの基本インフラ整備を義務付ける命令を出した。「基本インフラの欠如によって、子供たちが適正な教育を受ける権利を侵害されている」というのがその理由だ。有名なインド工科大(IIT)など、高等教育・技術系教育では世界的な水準にあるインドだが、初等・中等教育の現場は依然として劣悪な環境であることを、最高裁命令は改めて浮き彫りにした。

トイレが女子の就学率を左右

 インドでは2010年4月に、初の全国レベルでの「義務教育(RTE)法」が施行されるなど、遅まきながら小中学校における教育環境の底上げに本腰を入れ始めたばかりだ。国内約1万のNGOでつくる連合組織「RTEフォーラム」によると、インドの小中学校の95.2%が、RTE法が定めた上水道・トイレの基準を満たしておらず、40%の学校では女子用のトイレがない。さらに全体の10%には上水道設備がなく、パソコンがあるのはわずか20%、そもそも60%の学校には電気が来ていない、という惨憺たる結果が出た。

別のNGOの調査では、農村地帯の学校ではトイレのおよそ半数が故障などで使用できず、多くの児童は屋外で用を足している。これが思春期を迎えた高学年の女子児童には非常な苦痛になっているという。ジャイラム・ラメシュ農村開発相は10月下旬、「学校におけるトイレの不備が子供たち、特に年長の女子児童が学校からドロップアウトしてしまう原因となっている」と指摘。人的資源開発省(文部科学省に相当)に対し、トイレや上水道設備の維持・管理費用として、すべての小中学校に年間1万2000ルピー(約1万8000円)を支給することを提案した。

教室や教員、教科書も不足

 もっとも、インド全体を見渡せば、これが非常に難しい問題だということがわかる。国際NGOの調査によると、12億2000万人に達するインドの総人口のうち、自宅にトイレがある人はわずか3億6600万人。人口の半数を超える6億5000万人は毎日屋外で用を足している、という結果が出た。実際、線路わきや川沿いのスラムでは毎朝ペットボトル片手に物陰にしゃがみ込むおびただしい数の人々が・・・・・。むろん、屋外排泄は公衆衛生にとって非常に大きな脅威となっている。

 トイレの問題に象徴されるように、インドの学校教育、特に初等・中等教育は今もさまざまな問題を抱えている。農村の学校を訪問してみると、窓ガラスのない教室や真夏でも扇風機すらない教室、机も椅子もない教室の床にすし詰めとなって授業を受ける児童の姿を目の当たりにする。

 もちろんインド政府も無策ではない。2005年度からは2%(のちに3%)の教育目的税を導入するなどして、学校の新増設、教員の新規採用を進めてきた。マンモハン・シン首相は12年8月15日の独立記念日における演説で、「過去2年間で5万1000軒の学校を新設し、70万人の教員を採用した」と強調した。それでも教室や設備、そして教科書や文具などは今も慢性的に不足しているし、数は確実に増えている教員も、その質はお世辞にも良好とは言えない。農村の学校では簡単な英単語すら満足に書けない人でも教員に採用されているし、逆に能力が高い教師はアルバイトで裕福な子供の家庭教師を掛け持ちして学校に出てこない、といった例がごく当たり前となっている。もちろん現行のRTEは教員の兼職を禁じているのだが、世銀と米ハーバード大の共同調査では、こうした教員の「ずる休み率」はインド平均で25%、相対的に貧しい後進州の場合は42%にも達するという。

小中学生2億人の未来

 本来の就学年齢を超えて学校に通うケースもあるので様々な見方があるが、インドでは6―14歳の義務教育期間中に30%以上の児童・生徒がドロップアウトしてしまう。最大の原因は貧困であり、家業の手伝いやいわゆる「児童労働」に従事していたり、家で小さな弟や妹の面倒を見なければならない、などの理由から学校に来なくなってしまう、あるいは最初から就学しないといった例が今もあちこちで見られる。

 2004年には学校給食が義務化され、NGOなどの協力もあって1億人以上の児童・生徒に無償の給食が支給されており、これによって「少なくとも給食までは学校に・・・」ということで、就学率向上に大きく貢献したのだが、これとて教育の質の底上げで決定打にはなっていない。

 インドは、人口の半分が25歳以下、という非常に「若い国」だが、日本の小中学生に相当する義務教育年齢の子供だけでも2億人を超える。今後十数年でこの子供たちはほぼすべてが労働力人口に仲間入りするが、この2億人が優秀な学力やスキルを持った人材となって経済成長に貢献できるのか、はたまた失業者の群れとなってしまうのか。それを左右する教育はまさに国家百年の大計なのである。

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山田剛 Go Yamada
日本経済研究センター 主任研究員

1963年生れ。日本経済新聞社入社後、国際部、商品部などを経て、97年にバーレーン支局長兼テヘラン支局長、2004年にニューデリー支局長。08年から現職。中東・イスラム世界やインド・南アジアの経済・政治を専門とする。著書に『インド~目醒めた経済大国』『イスラム―繁栄の弧のゆくえ』 (ともに日経ビジネス人文庫、共著)がある。

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