日本に2大政党制は合わない?(東京大学教授 宇野重規)

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日本に2大政党制は合わない?

質問 「日本の2大政党制は失敗だったのでしょうか。イギリスではなぜ2大政党制が続いているのですか?」

 質問をいただきました。要旨部分だけを抜粋すると、「イギリスの長い議院内閣制の歴史を見ると、2大政党制が続いた理由は何だろうかと思います。イギリス議会政治史のなかに、何らかの処方箋があるのでしょうか」とあります。

 たしかに日本の政治を見ていると、「2大政党制」へのかけ声も空しく、またぞろ政界再編の話が出てきました。いったいどれだけ有権者が辛抱すれば、日本にも「2大政党制」なるものが確立するのでしょうか。「そもそも日本に、2大政党制は合わないのだ」という意見もしばしば耳にしますが、無理もないと思います。

世界的にも珍しい成功事例

 とはいえ、日本にも「2大政党制」が実現した時期がなかったわけではありません。戦前のことになりますが、大正の末期から昭和の初期にかけて、立憲政友会と立憲民政党(前身は憲政会)から交互に首相が選ばれました。それ以前の藩閥主導の時代と、それ以後の軍の台頭時代に挟まれた9年間のことでした。

 この時期に首相になった浜口雄幸や犬養毅といった政治家や、政友会と民政党の政策的志向の違い(中国などへの対外政策や財政政策において、両党には明確な違いがありました)などを見ると、それなりに「立派な」2大政党制であったといえるかもしれません。

 それと比べると、戦後の自民党と社会党、あるいは自民党と新進党の場合などは、「2大政党制の確立」とまでは言えそうにありません(社会党はついに単独で自民党から政権を奪えませんでしたし、新進党はそもそもあまりに短命でした)。現在の自民党と民主党についても、先行きは不透明です。

 いずれにせよ、日本の場合、「2大政党制」の歴史がないわけではありませんが、例外的な一時期に限られるといえるでしょう(だから日本には2大政党制は合わないととるか、むしろ重要な例外があるととるかは、議論のわかれるところです)。

 世界的に見ても、英米などのアングロサクソン諸国をのぞくと、長期にわたって2大政党制が安定的に続いた事例は多くありません。その意味からすると、2大政党制というのは、なかなか難しいもののようです。小選挙区制を導入すれば、自動的に2大政党制が確立するというわけではありません。

 そうだとすると、イギリスやアメリカでは、なぜ2大政党制が長く続いているのか、そちらの方が不思議であるというべきかもしれません。とくに歴史上はじめて2大政党制を確立したイギリスにいったいどのような秘密があったのか。ちょっと知りたくなるのは無理からぬところでしょう。

「無法者」と「謀反人」による2大政党制?

 ところで、イギリスの2大政党の起源となったのが、トーリー党とホイッグ党であることはよく知られています。この2つが後に保守党と自由党になるのですが、「トーリー」と「ホイッグ」とはいったい何を意味するのでしょうか。

 歴史の本を読むと、「トーリー」とは「アイルランドの無法者」、「ホイッグ」とは「スコットランドの謀反人」を意味するようです。要は、互いにののしり合いをするなかで飛び出した言葉が、いつの間にか名称として定着してしまったというわけです。それにしても「無法者」と「謀反人」の2大政党というのも、何だかおかしいですね。

 両党が生まれた17世紀末に問題になったのは、プロテスタントである国教会を正統とするイングランドにおいて、カトリックの王を認めるかどうか、という点でした。王位継承者であるヨーク公ジェームズ(後のジェームズ2世)は、フランスにいる間にカトリックになっていました。そこでジェームズを王位継承者から排除する法案が出され、それに賛成するかどうかで対立が生じたのです。

「カトリックの王を許容するなんて、アイルランドの無法者だ(ちなみにアイルランドはカトリックの国です)」、「いやいや、何が何でもプロテスタントという方こそ、スコットランドの謀反人だ(スコットランドでは、カルヴァン派の改革運動がさかんでした)」というわけです。

 結局、法案は通らずジェームズ2世が即位しますが、その後、プロテスタントが中心の議会と対立し、最終的に議会側が、オランダからジェームズの長女でプロテスタントのメアリと、その夫のウィレムを招くことで、いわゆる名誉革命に至ったわけです(1688-89)。

 ともかくも収拾がはかられ、対立の原因が除去されたのですから、党派対立はなくなってもよさそうです。ところが、これ以後も対立が続き、それがむしろ2大政党制につながったというのだから、不思議な話です。

激しい衝突の歴史から学んだトーリーとホイッグ

 ちなみに、両者の対立には前史がありました。イングランドでは名誉革命前にもやはり王と議会の対立が続いたのですが、いわゆるピューリタン革命で両者は激しく衝突しました。トーリーはその時の国王派、ホイッグは議会派の流れをくんでいるのです。

 哲学者のデイヴィッド・ヒュームは、イングランドという国は昔からこうなのだ、といいます。マグナ・カルタ(ジョン王に対して貴族たちが自分たちの特権を認めさせた憲章)以来、王と議会はつねに対立し、あたかも一国内に君主制と共和制が併存しているかのような状態が続いたというのです。

 しかしながら、ヒュームは、このことを前向きに捉えようとします。自由な国に対立はつきものだからです。ただ問題は、対立が原理的なものになり、互いを完全に否定するようになることにある、とヒュームはいいます。実際、ピューリタン革命では、いったんは国王の処刑というかたちで国王派が破滅し、その後のクロムウェルの独裁から王政復古では、議会派が大きなダメージを受けます。

 その意味でいうと、名誉革命というのは、実によくできた革命でした。というのも、ヒュームによれば、トーリーとホイッグは、自由への愛と君主制の維持という理念を共有していたからです。トーリーは国王への忠誠ゆえにジェームズを支持しましたが、最終段階で国の自由な体制を選び、革命を容認しました。対してホイッグは、自由を愛しましたが、君主なしの国に戻ろうとはしませんでした。両者は過去の体験から、何ごとかを学んだのです。

「重心」を共有した2つのグループ

 原理的に相手を否定するのではなく、自由への愛と君主制の維持という2つの重心を共有しつつ、その比重を異にする2つのグループが、やがて楕円形のようなかたちで2大政党制を作った。そこにポイントがあるのだとヒュームはいいます。

 名誉革命において、もっぱら自由を実現しようとしたホイッグの役割を重視する見方をホイッグ史観といいますが、ヒュームはむしろ、ホイッグとトーリーの関係性こそを重視しました。さらにヒュームは、名誉革命後にトーリーが長く野党生活を体験することで、野党の立場からの政権批判の術を学んだこともよかったといいます。

 要は、ある政治社会が内包する対立を原理的に純化させず、むしろ競合する諸価値を共有しつつ、その比重を異にするグループ間で政権を交代させることで、自由な社会は存続するというわけです。そこに以後のイギリス政治を貫く「秘訣」があるのかもしれません。実際、20世紀になって、保守党と自由党から保守党と労働党へと組み合わせは変化しますが、2代政党制は続きました(近年、揺らぎを見せていますが)。

「楕円」構造にまで収斂していない日本

 このことを日本にあてはめてみるとどうなるでしょうか。戦後日本で長く続いた保守と革新の対立は、資本主義か社会主義かという体制選択と、それと連動するかたちでの安全保障をめぐるものでした。容易に妥協することができない、原理的な対立といえたでしょう。ある意味で、名誉革命前の国王派と議会派の対立に似ていたかもしれません。

 それと比べるならば、冷戦の終焉以後、対立の構造はより微妙なものになっています。新自由主義的改革を支持するかどうか、拡大する格差にどう向き合うべきか。さらには地方分権化や市場開放をめぐる争点を含め、日本国内には鋭い緊張と対立が存在しています。現在ではとくに、税と社会保障のあり方やエネルギー政策が問題になっています。

 とはいえ、それが2つの重心をめぐる「楕円」構造にまで収斂しているかというと、そうではなさそうです。むしろ、議論が錯綜して、何が対立の軸かも見えにくくなる瞬間があるといえるのではないでしょうか。また、イギリスの2大政党制の「秘訣」である価値の一定程度の共有と、相互への敬意も乏しいといわざるをえません。
日本政治の「重心」を考える

 そういえば、私は先日、イギリス労働党の理論的指導者の1人とお会いしました。彼がいうには、「自分たちはもちろん労働者階級の党であるが、社会のなかでもっともダイナミックで生産性の高い人々についても、大きな関心をもっている。そのような人々の活動を発展させることで、経済的に恵まれない人々への再配分も可能になるからだ。両者をいかに結びつけるかが鍵だ」。

 自由な経済活動を重視するばかりで、恵まれない人々のことを無視するのではない。かといって、経済的再配分ばかり考えて、生産性の高い人々からお金をとりあげるばかりでもない。両者のバランスをいかにはかるかが重要であり、そのバランスのとり方によって、政党の違いも生まれてくる。なるほど、今日のイギリスでも、ある種の政治的「楕円」の構造が残っているのだな、と思いました。

 はたして日本政治にこのような構造が生まれてくるのか。このことに日本における2大政党制確立の可能性がかかっていると思われます。「日本に、2大政党制は合わないのだ」という結論を出すまでに、もう少し日本政治を構造化する重心について、真剣に考えてみる必要があると思います。

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宇野重規 Uno Shigeki
東京大学教授

1967年生れ。1996年東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。東京大学社会科学研究所教授。専攻は政治思想史、政治哲学。著書に『政治哲学へ―現代フランスとの対話』(東京大学出版会、渋沢・クローデル賞ルイ・ヴィトン特別賞)、『トクヴィル 平等と不平等の理論家』(講談社、サントリー学芸賞)、『〈私〉時代のデモクラシー』(岩波新書)、共編著に『希望学[1]』『希望学[4]』(ともに東京大学出版会)などがある。

※この記事はニュース解説サイト『Foresight』より転載させていただいたものです。 http://fsight.jp/ [リンク]

※画像:「Westminster」By Ariaski
http://www.flickr.com/photos/roberto8080/4669474451/

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