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タモリは最後に「テレビを見ない方」に感謝した

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タモリは最後に「テレビを見ない方」に感謝した

今回は飲用さんのブログ『飲用てれび』からご寄稿いただきました。

タモリは最後に「テレビを見ない方」に感謝した

今年の『27時間テレビ』のフィナーレ。

「それではテレビをごらんのみなさんに」と進行役の生野アナに振られ、「27時間ふりかえって、団結とともに」とSMAP中居に水を向けられると、タモリはカメラに正対して次のように語った。

まあ、27時間テレビをふりかえって、団結団結と言って、団結したんですけど、そのぶん、国民から離れたかもしれません。えー、テレビを見ていてくれた方々、そして見ない方にも感謝を申し上げます。どうもありがとうございました。

「団結」がテーマだった今回の『27時間テレビ』を、最後の最後にきて皮肉るコメント。タモリっぽい。

他の時間帯で発されたタモリの次のような一言を踏まえるならば、そのタモリっぽさは更に引き立つだろう。

なるべく異常なことを普通のようにやりたい。(「さんま・中居の今夜も眠れない」でのタモリの一言)

深い時間帯に本人によって吐露された、タモリの「おもしろ観」と呼べるような何か。

フィナーレでのタモリの視聴者への語りかけ、「団結」をめぐって語られたその前半部には、タモリのそんな「おもしろ観」らしきものを、感じ取ることができるような気もする。

もっと言うと、一連の言動のベースには、カメラの前で女性4人にキスされて赤面してしまう、66歳、芸歴35年強のタモリの拭いがたい「シャイさ」を、見て取れるのかもしれない。

けれど、個人的によりおもしろく思ったのは後半部。

「テレビをみていてくれた方々」だけではなく、「(テレビを)見ない方」にもタモリは「感謝」の意を示した。

思えば、今回の『27時間テレビ』は、「テレビ好き」へのサービスが実に豊富だった。

30年という『いいとも』の歴史の厚みを活かし、さんまやダウンタウン、ナインティナインやSMAPなど、現在テレビの第一線で活躍するタレントさんたちの初登場時の映像を見ることができた。

他局の映像も交えながら、ドラマに出たり『紅白』の司会をしたり赤塚不二夫と形態模写をしたりするタモリの姿を見ることもできた。

『いいとも』30年の中で起こったハプニング映像なんかも流れ、90年代後半の「あの江頭」が生放送のスタジオで再現されたりもした。

そんな盛りだくさんのアーカイブスで構成された今年の『27時間テレビ』は見どころが多く、ぼくのような「テレビ好き」=「テレビフェチ」は存分に楽しめた。

でも。

反転すればそれは、「テレビ好き」への発信に特化した番組だったということ。

普段からあまりテレビをみてなかったり、「あの江頭」がいた頃までのテレビを知らなかったりする人には、どういう風に見えてたんだろうか、とも思う。

「テレビがつまらなくなった」というつまらない常套句が日常的に聞かれる昨今、なおさらそんなことを思う。

端的かつ極端に言うと、今回の『27時間テレビ』は、「あの江頭」がいた頃までの「テレビの思い出」を再現する、という「テレビ好き」へのサービスを主軸にしてたように思う。

いわば、テレビの『ALWAYS 三丁目の夕日』としての『27時間テレビ 2012』。

テレビの、というのが言い過ぎなら、フジテレビバラエティの、と言い換えてもいい。というかそっちのほうがいい。

そんなことを思うと、フィナーレでのタモリの言葉、

「テレビを見ていてくれた方々、そして見ない方にも感謝を申し上げます」という言葉には、今回の『27時間テレビ』に対するツッコミを見て取ることができるような気がする。

「団結団結と言って、団結したんですけど、そのぶん国民から離れたかもしれません」という前半部の語りにも、タモリの「おもしろ観」とか「シャイさ」の他に、なんだか別のものを読み取ることができるようにも思う。

テレビの中で「あのテレビ」を再現するテレビ。

そこは一面、たのしい。けど、もう一面では、閉じてる。

「団結」と言いながらそこで行なわれていたのは、「あのテレビ」を中心にすえた、「あのテレビ」にシンパシーを感じる者たちに閉じられたコミュニティの中でのお祭りじゃなかろうか。

一面でのたのしさは、「内輪」のたのしさじゃなかろうか。

「団結したんですけど、そのぶん国民から離れたかもしれません」

「(テレビを)見ない方にも感謝を申し上げます」

そんなタモリの言葉は、27時間かけて積み上げてきた「内輪」に対する、ちょっとした、けど根本的な、ツッコミだったように思える。

で、そんな振る舞いには、タモリのテレビとの距離感みたいなものも、うかがい知れるような気がする。

タモリはテレビに居候(いそうろう)している、とぼくは思っている。

タモリのデビューをめぐる「秘話」とかは既にご存知の方が多いだろうけれど、山下洋輔や赤塚不二夫などにその才能を見初められたのがきっかけらしい。

それは「偶然の出会い」「シンデレラ・ストーリー」として語られることもあれば、そこにタモリの「強かさ」「嗅覚」を読み取る向きもある。

いずれにせよ、その後タモリは福岡から上京し、赤塚不二夫邸に居候することになった。

そこらへん、詳しくはウィキペディア等で。

とりあえず、その居候生活はこんな感じだったらしい。

タモリの赤塚不二夫宅での居候生活は、住居は家賃17万円で4LDKのマンションであり、車はベンツのスポーツタイプが乗り放題、赤塚からは月に20万円の小遣いが渡される、という破格のものだった。赤塚本人は、下落合の仕事場のロッカーを倒し、布団を敷いて寝ていた。(ウィキペディア「タモリ」より)

そんなタモリは4年くらい前、『いいとも』で「居候の秘訣」について語っている。

2008-02-25 – 飲用てれび
http://d.hatena.ne.jp/onodan/20080225#1203939132

それは以下のようなものだった。

「卑屈になるな」
「こいつはもしかしたらすごい奴なのかもしれないと家の人に思わせる」

赤塚不二夫を魅了した「秘訣」の、本人による開陳。

で、これって、タモリがテレビに出続ける「秘訣」じゃないか、というような気もする。

ネタがウケてもウケなくても永遠くりかえすところとか、平気でカメラに背中を向けたりするところとか、周囲の評価の高さに反比例するように「密室芸」を自分からは滅多に見せない感じとか、タモリのテレビでの挙動には、それを居候の「秘訣」として理解するなら、なんだかスッと腑に落ちるところもあるような気がする。

「なるべく異常なことを普通にやる」というタモリ的な「おもしろ観」を振り返るならば、居候はまさに「普通」のなかに紛れ込んだ「異常」な存在だとも言える。

タモリはテレビに居候している。

そうだとすれば、改めて冒頭の言葉、「団結したんですけど、そのぶん国民から離れたかもしれません」や、「(テレビを)見ない方にも感謝を申し上げます」というタモリの言葉は、実に居候の立ち位置からのものっぽい。

家のなかにいる他人、内側にいる他者、そんな居候は、家の住人、内側に埋没する人には見えなかったり見えてても触れられなかったりする、コミュニティの境界線の存在を認識し、ときにそこに手をかける。

テレビの内側の住人でありつつ、テレビの外側の存在でもある居候。

そんなタモリのテレビとの「居候」的な距離感が、『27時間テレビ』のフィナーレでタモリをして冒頭の言葉を語らせたように思う。

ただ、念の為に言っておくと、それは「閉塞・縮小するテレビの未来を憂えて」とかそういう大きな話じゃなくて、「普通」に「異常」を持ち込みたい「シャイ」な「居候」の、習癖のようなものだろう。

いずれにしても、ぼくがタモリに惹かれるのはそういう習癖のようなところだ。

大縄跳び50回は成功しなかったけれど、とにかく大団円で終わった『27時間テレビ』。

そんな番組で、タモリは最後に「テレビを見ない方」に感謝した。

執筆: この記事は飲用さんのブログ『飲用てれび』からご寄稿いただきました。

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