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判決要旨の言っていることがよくわからない

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判決要旨の言っていることがよくわからない

この記事はlessorさんのブログ『lessorの日記』からご寄稿いただきました。

判決要旨の言っていることがよくわからない

先日のブログ記事*1 で触れた「受け皿がないから刑務所に長くいてもらおう」判決。多くの人が「判決文はどこで読めるのだ」と思っていたところ、判決要旨がネット上で読めるようになった。どなたかわからないが、アップロードしてくださった方(山本眞理さん?)に感謝。

*1:「「受け皿がないから刑務所に長くいてもらおう」という判決について」2012年07月30日『lessorの日記』
http://d.hatena.ne.jp/lessor/20120730/1343661610

「判決要旨」
http://www.jngmdp.org/wp-content/uploads/20120730.pdf 

特に問題となるのは要旨の終盤部分である。引用したい。

第2 具体的な量刑

1.そこで被告人に対する具体的な量刑について検討する。被告人や関係者等を直接取り調べた上で本件行為に見合った適切な刑罰を刑事事件のプロの目から検討し、同種事案との公平、均衡などといった視点も経た上でなされる検察官の科刑意見については相応の重みがあり、裁判所がそれを超える量刑をするに当たっては慎重な態度が望まれるというべきである。

 しかしながら、評議の結果、先に検討した各事実に加えて、以下の観点からの検討も十分に行うことが必要であり、重要であるという結論に至った。

2 すなわち、被告人は、本件犯行を犯していながら、未だ十分な反省に至っていない。確かに、被告人が十分に反省する態度を示すことが出来ないことにはアスペルガー症候群の影響があり、通常人と同様の倫理的非難を加えることはできない。しかし、健全な社会常識という観点からは、いかに病気の影響があるとはいえ、十分な反省のないまま被告人が社会に復帰すれば、そのころ被告人と接点を持つ者の中で、被告人の意に沿わない者に対して、被告人が本件と同様の犯行に及ぶことが心配される。被告人の母や次姉が被告人との同居を明確に断り、社会内で被告人のアスペルガー症候群という精神障害に対応できる受け皿が何ら用意されていないし、その見込みもないという現状の下では、再犯のおそれが更に強く心配されるといわざるを得ず、この点も量刑上重視せざるを得ない。被告人に対しては、許される限り長期間刑務所に収容することで内省を深めさせる必要があり、そうすることが、社会秩序の維持にも資する。

 上記の評議の結果を踏まえると、本件においては検察官の科刑意見は軽きに失すると判断することもやむを得ず、被告人に対しては殺人罪の有期懲役刑の上限で処すべきであるとの判断に至ったので、主文のとおり刑の量定を行った。

もう何を言っているのだか、わからない。

まとめると「被告は反省していない。障害の影響で反省できないことはわかっている。でも、受け皿がないので再犯のおそれがあり、刑務所でより長く反省させることで社会秩序を保つ。」である。論理的にも内容的にも倫理的にも無茶苦茶である。

「反省しないし、障害のために反省できない」と考えているものを、4年長く刑務所に入れておくことでどうして反省させられると思うのか(最後だけ「内省」と微妙に表現を変えているあたりに「苦し紛れ」を感じる)。

長くなりすぎるので上には引用しなかったが「量刑の理由」の部分で、犯罪の動機づけにはアスペルガーの影響を認めながら、「最終的には自分の意思」で犯行に踏み切ったとして減刑を否定したのに、アスペルガーだから社会復帰しても自分の意に沿わない者を殺すおそれがある、というのは、量刑を重くする方向にだけ都合よくアスペルガーを使ってはいないか。そもそも「アスペルガー症候群」とはそのような障害であるのか。

障害者支援はこの10年ほどで、支援費制度や自立支援法を通じて飛躍的に地域の社会資源を増やした(様々な不備があるにしても)。触法に関しては「累犯障害者」などという言葉も広まり、社会復帰に向けての実践もはじまった*2。「地域生活定着支援センター」なんてものもできた。「発達障害」は支援法ができ、障害者福祉の中に組み込まれるようになった。16年後や20年後も「受け皿が用意されていないし、その見込みもない」という予測はいったいどのような根拠から立てられるのか。

*2:「厚生労働科学研究」『社会福祉法人南高愛隣会コロニー雲仙』
http://www.airinkai.or.jp/hasshin/kenkyu/tsumi/index_h21.html

司法の言葉はいろいろと特別であるのかもしれないが「通常人」と同じようにはないというのは、極めて差別的ではないのか。「健常/障害」「定型発達/発達障害」であるとすれば「通常人」に対置されるものは何であるのか。

そして、以前にも書いたが「社会秩序」。「社会秩序」を維持する方法をなぜ司法に導かれなければならないのか。裁判員制度を生んだ「司法の判断が市民感覚からかけ離れている」という反省は、「社会秩序」を保つための判断を市民に下させようとすることまで意図したものであったのか。

このような判決が堂々と裁判員裁判のもとで下された今、「障害」関係者がこれからすべきこととは何であるのか、を考えると、悩ましい。啓発啓蒙が足らないということなのであろうか。誰への?

執筆: この記事はlessorさんのブログ『lessorの日記』からご寄稿いただきました。

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