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価値観の違い

価値観の違い

今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。

価値観の違い

ふとtwitterで「価値観の違い」という話が目に止まって、検索して見た。「価値観の違い」はそうじて否定的に受け取られているようだ。価値観の違いで片付けるなら、そもそも議論するな、とかいう意見もある。

でもそうなのかなぁ。「価値観の違い」というのは相手の意見の究極の肯定だと思うのだが。だって一切相手の主張を否定してないわけで、これは自分が自分の価値観を大事に思うのと同じぐらい、相手の価値観を大事に思いますよ、ということだよね?

どうも議論というと最終的に同じ価値観にならないと気が済まない人達がいる。そうでないとその議論は「失敗」で、「無駄な時間を過ごした」ということになるらしい。

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もちろん何でもかんでも、安易に「価値観の違い」で片付けるのでは、思考が深まっていかない。つまり価値観の違いが何によって生じているのか、可能な限り互いに分析しあうのが議論なのだ。そしてこれ以上は分析不能と互いに認め合った時に「(これ以上は)価値観の違いの問題ですね」となる。

で、どこまで分析するか?がしばしば問題になる。価値観というのは究極的には相手の人格だ。つまり価値観について論じるということは、最終的に相手の人格を論じるということ。

「国を守るためには命をかけるべきだ」という主張を、ある一線を乗り越えて更にその先議論をするには、「人の命をどれだけ軽視するか」という人格批判に立ち入らなければならなくなる。

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俺が人格批判を必ずしも否定しないのはこれが理由だ。結局どんな議論でも最終的には人格批判になる。違いはその手前で止めるか止めないかだけの問題にすぎない。俺は人格にまで立ち入ってもいいと思うが、「そういうものは議論じゃない」という人も多い。

一つにはまだ議論が煮詰まっておらず、人格批判の段階にまで到達していないのに、安易に人格批判を始める人が少なくないからだろう。これはいただけない。十分に事実関係の確認、理論の組み立ての検証、社会的価値観の批判、という段階を踏んで、最後に人格の批判となるべき。

で、まあ人格というのはその人間がこれまでの経験の集大成だから、言ってみれば事実確認に近い。その人間が経験した事実を互いに確認し合うわけだ。他人の人生の再体験といってもいい。

とはいえ、いくら再体験したところで、いまさら自分の経験によって形成された価値観を変えるわけには行かないから、「知識としては承りましたが、やはり同意はできません」ということになる。これが価値観の違いということなのだろう。

別にそれでいいと思うけどね。他人の人生の経験も少し知識として増えたんだし、それは直接的ではないにしろ今後の糧になるはず。安易に同意するよりもよっぽど価値があるものを得ているはずなのだが、なぜかそれを「失敗」「無駄な時間」と考える人が多い。

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なんで議論を始めると何が何でも同意に至らなければならないと思い込む人が多いのだろう。幼稚園や小学校の頃の喧嘩の仲裁から来ているのだろうか。先生が双方の話を聞き、互いの立場を説明し、お互い納得して仲直りする。これが議論のあるべき姿として刷り込まれているとか?

仲裁というのは利害調整であり、もちろん利害調整のための議論もあるけれど、議論の目的はそれだけではないはずなのだけどねぇ。社会のあるべき姿に関する議論なら、目の前の相手と利害調整してもたいした意味はないわけだし、学問の真理の探求にいたっては、どんな妥協も意味がない。

執筆: この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。

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記者:

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