【藤原和博×西野亮廣の未来講座④】情報編集力で思考するとは
1時間目「情報編集力で思考する」 藤原和博
藤原:
今日もちょっと前半は僕が君たちの脳をかきほぐすというか、前に言ったように情報処理力で、パターン認識脳だといいアイデアが出てこないので、これを情報編集力側に持っていきます。
“ジグソーパズル型学力からレゴ型学力へ”という言い方もするんだけど、この情報編集力側に頭を持っていくと、すごく頭が柔らかくなって、いろんな企画が出やすい、そして企画が通りやすくなる。

その練習をしてもらいたい。葬式の話から練習しましょうか。
葬式には多分、学生服を着ていったり、喪服に近いもの、黒に近いものを着させられたと思うんだよね、小さい頃。
大人もみんな喪服を着ていたと思います。
“喪服は黒”というのが常識なんだけど、なんでなのか。
喪服はなんで黒いのか?
もし、たとえば小学校3年生ぐらいの子が、君たちに問いかけてきたら、なんと答えるか。
そこで答えられないとかっこ悪いじゃん?
じゃあなんで喪服は黒いのか、ブレストしてみましょう。
【ブレスト後】
藤原:
喪服のルーツを考えてもらいたいと思います。
実は、日本の喪服というのは明治に入るまでは黒じゃなかった。
白だったの。
君たちも潜在的に知っていると思う。
時代劇で見る切腹のシーンで、黒いのを着ている人いないでしょ。
みんな白だよね、喪服も含めて正装は白だったんですね。
ところが諸外国から来る、たとえば大使や国王の代理だったり、ヨーロッパとかアメリカではどうかな?みんな燕尾服みたいなのを着て来るでしょ?
それを見た明治の元勲たちがヤバいぜ!となった。
国際的には黒が礼儀らしい。
当時の日本は、イギリス、フランス、ドイツから、法律から憲法から軍の制度から交通、警察の制度なんかに至るまで全部輸入してきた、そういう時代です。
だから、とにかく黒じゃないとヤバいらしいとなって上層部から変わっていったんです。

ところが日本の民衆は偉くて、そんな動じなかった。
だから白もまだ全然残っていた。
それがガラッと変わっていくのは昭和です。
昭和は戦争の歴史でした。
戦争も末期になると、毎日毎日お葬式じゃないですか。
その頃、自分で喪服を持っている人はなかなかいなかったから、レンタルするわけです。
レンタルで黒い喪服と白い喪服、両方とも貸してたんだけど、結果的に毎日お葬式に出るような状況になると、どっちが汚れないかってことを民衆が選んで、自然に黒になっていった。
そんな大したことない理由で、そのようなことが起こっているわけです。
ところがその前の歴史を調べると黒が流行っていた時期があって、平安時代に貴族がこのフォーマットを決めるんだけど、最初に決められた喪服の色は白だった。
1300年ぐらいの時を経て白が途中で黒になって、江戸期までに白に戻り、それが明治期を経て、昭和平成で黒くなっている。

白から黒、黒から白。
今、たまたま黒になってるだけってこと。
だからこれが50年後も黒が常識かどうかっていうのはまったく分からないですよ。
意外と常識とか前例っていう風に僕らが捉えているもので、無条件に反応するような感じで着たりとか買ったりしている物って、割と疑わしいってことです。