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無名の人々の、決してドラマチックではない営みを描いた良作―映画「いつまた、君と~何日君再来~」

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(文=相田冬二/『キネマ旬報 2017年12月上旬特別号』より転載)

向井理の祖母の手記を映画化、そして自ら祖父を演じる

学生時代に向井理が祖母の手記をパソコンで書き起こし自費出版したものが映画の原作。しかも祖父を向井が自ら演じるとなれば、どこか閉じた映画を想像するかもしれない。身内を身内が体現する作品には、どこか立ち入れない歯がゆさを感じることも少なくないからだ。

だが、この映画には近親者が近親者を表現するときに陥りがちな、美化や、その変形でもある過度なキャラクタライズが感じられない。向井は自身の祖父を、ことさらに善い人としても、あるいは型破りな人としても、伝えていない。

人間の愛情が滲み出る、普遍的な夫婦の物語

ある夫婦の物語である。敗戦後、上海から帰国した一家は妻の実家に身を寄せるが、そこでも居場所がなくなり、夫は運送業やタイル販売、ところてん屋など職業を転々とする。どれも長続きせず、うまくいかない。巡り合わせもあるが、インテリでお坊ちゃん育ちである彼の精神の奥底には揺らがぬプライドがあり、こと商売に関しては、それがうまく折り合えないのだ。

凡庸な人物ではない。だが「自分はこんなはずではない」という理想にしがみつくその様には、わたしたちと何ら変わらない挫折と希求があり、そこからもたらされる不思議な親近感が、その像を特異なものにはしない。それは「愛している」というよりは、「静かに惚れている」と形容したほうがよい妻の目線で物語が紡がれることによって、絶妙なバランスで着地している。起きている出来事を眺めれば、わがままな男と耐え忍ぶ女にしか映らないかもしれないが、決して大仰なものには陥らない、日々の暮らしを慈しむように積み重ねられる尾野真千子の芝居によって、どんな夫婦のあいだにも存在している(あるいは、存在していた)普遍的な絆のかたちが浮き彫りになる。

決してドラマチックではない営みも、必ず「映画」になる

監督は深川栄洋。向井は決してがっぷり組んだわけではない「ガール」で深川の演出に魅せられ、本作のメガホンを委ねたという。深川の抑制が効いていながら、人間という存在に対する愛情が滲み出るディレクションはこの映画でも伸びやかに発揮されている。

それはたとえば、冒頭にある「人が人を好きになる瞬間」の結晶化や、中盤で離れかけた夫婦が再び結びつく慎ましい描写などにある。無名の人々の、決してドラマチックではない営みもまた、その人それぞれの心のありようをつぶさにのぞき込めば、必ず「映画」になる。作り手たちの密やかな気概に打たれる好篇だ。

「いつまた、君と~何日君再来~」
【DVD】発売中

●4700円+税
●2017年・日本・カラー・16:9LB・ドルビー5.1ch、115分+特典映像
●監督/深川栄洋 脚本/山本むつみ 原作/芦村朋子
●出演/尾野真千子、向井理、岸本加世子、駿河太郎、イッセー尾形、野際陽子
●映像特典/メイキング、イベント映像集、本篇未使用映像集、特報・予告・TVスポット
●発売/東映ビデオ 販売/東映
(c)2017「いつまた、君と~何日君再来~」製作委員会

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(執筆者: キネ旬の中の人) ※あなたもガジェット通信で文章を執筆してみませんか

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