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「人生の夢にバイトは必須のアイテム」 アナウンサー/MC/DJ・南隼人の原点

minami_01 南隼人さん

横浜DeNAベイスターズのスタジアムDJを務め、現在FMヨコハマのラジオDJ、Rakuten.FM TOHOKUの実況パーソナリティー、Bリーグアルバルク東京のアリーナMC、アメフトのノジマ相模原ライズでも演出プロデュースなど、“しゃべり”を武器に多方面にわたって活躍されている、南隼人さん(34歳)。何もないところから進むべき道を切り拓いた彼にとって「人生において必要不可欠な存在」というアルバイトとは?

 

スタジアムDJの存在を知ったオーストラリア留学

南隼人さん

――南さんは、2012年から2015年まで横浜DeNAベイスターズのスタジアムDJを務めていらっしゃいましたが、スタジアムDJを志したきっかけは?

僕が学生の当時は野球場のアナウンスと言えばウグイス嬢が全盛で、男性のスタジアムDJという概念はなかったんです。だから、最初に志したのはラジオDJでした。僕はもともとしゃべることが大好きで、大学時代にホテルの配膳のバイト仲間とカラオケに行くと、曲と曲の合間を埋めるためにずっと喋りで繋いでいたんです。それが面白いと評判になって、結婚式の司会も任されることもありました(笑)。それで先輩から「しゃべりは上手いし、クラブ音楽も好きだし、ラジオDJとかいいんじゃない?」と勧められて、そこからですね。ラジオDJって英語をしゃべるイメージがあったので、大学を休学してオーストラリアへ留学したんです。

――オーストラリア留学中も現地でバイトをされていたそうですね。

とにかく英語がしゃべりたかったので、現地の飲食店でバイトをしながら生の語学を肌で感じ取ろうとしていました。でも語学以上の衝撃があったんです。留学先に野球の日本人だけのリーグがあってそこでプレーしていたんですけど、2004年にニューカレドニア世界親善野球日本代表選手兼親善大使に選んでもらい開催地のニューカレドニアに行ったんです。そのグラウンドの横には櫓があって、中にはターンテーブルが2台とマイク。TRFのDJ KOOスタイルのDJブースです(笑)。試合になるとDJの人が司会をやりながら、イニング間に曲をかけたり、ファールボールが飛んだら「ドゥルルルル、パリーン」なんてガラスが割れる効果音を流すんです。

もう衝撃的すぎて、プレーどころじゃない。当時、オリックスではDJ KIMURAさんがすでにスタジアムDJをやっていたんですけど、僕は不勉強だったので知らずに「野球でもDJができるんだ!これを日本に持って帰ってやる」って、試合中もずっとそのDJの行動に注視していました。

 

野球界入りのチャンスを求めてグラウンド整備のバイトを開始

南隼人さん

――当時の日本ではまだ珍しかった“スタジアムDJ”になるために南さんはその後何をされたんですか?

大学を卒業してからあてもなく東京に出てきましたが、いきなりDJになれるわけもないので近い所に入ろうと、神宮球場のグラウンド整備とハワイアンレストランの2つのバイトを掛け持ちしました。神宮は狙い撃ちです。

当時、球場にDJを入れるという案があって、「それならその球場にいなきゃダメだろ」という考えです。ハワイアンレストランは、外国人のお客さんが多く英語を活かせる。さらに、そのお店には立派な音響機材があったのも魅力でした。店長に「30分番組つくらせてもらっていいですか?」ってお願いしたらOKが出て、夕方17時から18時の1時間だけハワイアンやレゲエの曲を流したり、「ハワイのロコモコってどういう意味か知っていますか?」みたいな豆知識を紹介したりする「アロハタイム ファイブ トゥ シックス」っていう番組名を自分でつけていましたね(笑)。

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