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「”間違いを伝えることでパニックになること”を恐れた」 内閣審議官・下村健一<インタビュー「3.11」第11回>

内閣審議官の下村健一氏

 未曾有の被害を出した東日本大震災から2012年3月11日で1年となる。この間、日本では、政府のトップである首相が交代した。一方で、福島第1原発の事故処理や被災地の復興などは遅々として進まず、問題が山積したままだ。

 震災が起こった2011年3月11日の翌日、当時の菅直人首相はヘリコプターに乗って上空から被災地を視察した。「首相が現地を見なければ、あんなに早い自衛隊の10万人出動はなかったかもしれない」。菅首相の視察に付き添い、その模様を映像に収めた内閣審議官の下村健一氏はこう回想する。

 下村氏は、大学時代に「市民メディア」を志し、都市型ケーブルテレビ「町田市民テレビ」のスタッフとして開設準備に携わった。また、TBS時代には、松本サリン事件の報道などで活躍し、退社後、市民メディア・アドバイザーとして活動。2010年10月、菅首相の政治任用で、広報を担当する2年契約の内閣審議官として内閣広報室に入った。

 どうすれば分かりやすく情報を伝えることができるか――。下村氏の根底には一貫して市民メディアへの思いが流れている。しかし、「政府のやりたいことを国民に分かりやすく伝える」という自身の今の職務について、「まだ結果は出せていない」と語る。

 「永田町に市民メディアを作りに来た」男は、東日本大震災と福島第1原発事故を官邸からどのように目撃し、その目は何を捉えたのか。また、震災から1年経っての課題は何か。下村氏に話を聞いた。

・東日本大震災 3.11 特集
http://ch.nicovideo.jp/channel/311

(聞き手:七尾功)

■3月11日、官邸が大型客船に乗っているように揺れた

内閣審議官の下村健一氏

――昨年3月11日、東日本大震災が発生したその時、菅直人首相(当時)は国会にいました。下村さんはその時、どこにいたのですか?

 官邸です。参与の1人と話をしている時に揺れが来ました。とても頑丈な官邸が、大型客船に乗っているような感じで揺れました。大きく、ゆたー、ゆたーって。とにかく普通の地震の揺れじゃなかったので、「これは只事じゃない」と思い、すぐに総理秘書官室へ駆け上がりました。あっという間に総理が国会から戻って来て、もうそこから先は時間の感覚がないですね。3日間くらいは、ほとんどずっと起きていました。

 菅さんも、枝野さんも、僕らもそうだけれど、人間ってこんなに寝なくても大丈夫なんだって驚くくらい寝る時間がなかったです。

■現地を見なければ自衛隊10万人出動の即断はなかった!?

内閣審議官の下村健一氏

――大震災の翌日の12日には、菅さんとヘリコプターに乗って現地に行かれています。

 視察に行こうって話の時にはすでに、ヘリコプターは緊急物資搬送に使われていて、ものすごく貴重でした。だから、まず「邪魔にならない方法はあるのか?」という移動手段の検討を行いました。

 その中で、非常に速くて小さいスーパーピューマというヘリコプターがあった。せいぜい10人ちょっとくらいしか乗れないヘリです。小さいがゆえに、物資搬送には使われていなかった。それで、「行くならスーパーピューマ1台で」と決まったんです。

 ヘリコプターに搭乗するメンバーが、どのように決定したかは分からないです。「このメンツで行くから、下村も乗って」と言われたときに、名簿を見ました。総理が視察に行く際、ほぼ必ず随行する最小限のメンバーが普段から決まっているのですが、そこに斑目春樹原子力安全委員長の名前が加わっていました。

――現地へ行くにあたっては、どのような心理状態だったのですか?

 その時点では、福島第1原発で爆発はまだ起きてない状況です。ただ既に気になっていたのは、なかなかベントが始まらないことでした。「どうなっているの?」と。でも、悠長に答えを待っている場合ではなかった。官邸にいても一向に確実な情報が来ないなら、一度現場と直接繋がるしかないという緊急時のトップの心情は、すごくよく分かりました。

 僕はどちらかと言うと、まだ原発の深刻さがエスカレートしてくる前のことでもあり、宮城・岩手を上空から見ることに意味があると思っていました。

 行く・行かないで議論になっていたときに、総理執務室で、菅さんと僕と2人だけになる一瞬があった。その時に、「『今は行くべきじゃない、後で政治的に批判される』と言う人もいるんだけど、君はどう思う?」と菅さんに聞かれた。僕は阪神大震災では発生初日からヘリに乗ってリポートしましたし、伊豆大島の大噴火でも雲仙普賢岳でも経験がありましたから、「大災害の現場で空から何に着目すべきかは、きっとアドバイスできます」と答えたんです。すると菅さんは「分かった」と。

――実際に、ヘリコプターから菅首相にアドバイスをできたのですか?

 スーパーピューマで宮城まで行って、現地でもうちょっと武骨なヘリに乗り換えると、その機内が普通のヘリ以上にものすごくうるさくて、残念ながら僕の声は、菅さんに全く聞こえない状態でした。それで、仕方なく身振り手振りでアドバイスしました。「あそこで火の手が上がっている」とか、「あの校庭にSOSの文字がある」とかを。とても歯がゆかったですが、それをやるか、やらないかだけでも認識はかなり変わってきます。ニュースのヘリ中継も、リポーターの着眼力によって、情報量は相当変わりますから。

――ヘリコプターから見た被災地はどういう光景だったのでしょうか?

 まだ、震災翌日の朝ですから、津波の水がほとんど引いていなかった。例えば、海の中に巨大な波板が浮いているなと思って見ていたら、それが仙台空港の屋根だったりとか。つまり実際には”浮いている”わけじゃなくて、周囲の滑走路などが完全に水没していて、その時まだ仙台空港の建物は、”海の中”のように見えたんですよ。

 また、浅い海面を目を凝らして見てみると、住宅の土台のコンクリート部分だけが水中にズラッと並んでいたりもしました。そういう光景が、途方もなく長く、飛んでも飛んでも延々と続きました。この点が、阪神大震災の時との決定的な違いです。想像を絶する世界でした。

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