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野球バカがいっぱいの短篇集〜深水黎一郎『午前三時のサヨナラ・ゲーム』

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野球バカがいっぱいの短篇集〜深水黎一郎『午前三時のサヨナラ・ゲーム』

 どんなにワールドカップアジア予選などで声援を送っていても、最終的に自分はサッカー派になりきれないなと感じるのが、何かというと物事を野球にたとえてしまうときだ。困ったことがあれば「野球はツーアウトから」と自らを奮い立たせ、家族の意見がまとまらなければ「全員野球で行かないと!」と発破をかけ、不意を突かれれば「今のはボークだろ!」と憤ってしまう。

 深水黎一郎と野球。ミステリーに詳しい読者ほど「変化球キター!」と思う組み合わせではないだろうか。美術や音楽への造詣の深さによって異色のミステリー作家としての地位を築いてきた著者だが、その博覧強記さがカバーする範囲に野球まで含まれているとは。本書は短篇集で、さまざまな種類の野球バカが登場する。私が特に気に入った野球バカたちは、「もうひとつの10・8」の語り手の親友「彼」と、「ジェイムズ・ジョイスを読んだ元中継ぎエース」の沢蟹投手。

 「もうひとつの10・8」の「彼」は、熱狂的な中日ドラゴンズファン。ファンぶりを表すものとして、「見知らぬOLが持っているクリスチャン・ディオールのハンドバッグのCDのロゴを中日ドラゴンズのマークと間違えて、思わず『貴女もドラゴンズファンですか、僕もです』と話し掛け」たエピソードが紹介されている。「彼」が野球観戦歴最低の試合としてあげたのは、1994年10月8日の中日対巨人戦。両者が「互いに一試合のみを残して全く同じ勝敗同じ勝率–引き分け数まで全く同じーで並び、最終戦の大一番がナゴヤ球場で行われた」試合だ。「クライマックス制度などないので、リーグ優勝そのものの重みが今とは全然違う」(全面的に同意)時代のことである。「彼」の過去のデータの詳細な記憶と、応援するチームの勝利への並々ならぬ執念は圧巻。最後にはほろりとさせる、野球ファンにはたまらない一編。

 「ジェイムズ・ジョイスを読んだ元中継ぎエース」の沢蟹投手は、これが引退試合になるかという中継ぎピッチャーの率直な心情を、ジェイムズ・ジョイスの翻訳調でしゃべり倒している、たぶん(あああ、大作家ジェイムズ・ジョイスの作品を読んだこともないくせに書評ライターなんて名乗ってすみません!)。こんな感情が渦巻いていても不思議ではないと思える、抱腹絶倒の一編。

 本書において何といっても感心させられたのが、”野球ファンはなぜ昔の試合についていつまでも未練たらしく話題にするのか”問題に関する「彼」の考察である。要約すると、”野球はチーム対チームの闘いではあるものの、個々の場面はすべて一対一の勝負(ピッチャー対バッターはもちろん、内野手対打者走者、捕手や外野手の肩対ランナーの足、など)。つまり、個人戦が無限に積み重なって1つの試合を形成していることになる。さらに、一球ごとにプレイが止まるため、試合中に無限の分岐ポイントが発生する、すなわち、実際の試合のみにとどまらず、分岐ポイントの先にあり得たかもしれないif世界を想像したり議論したりする楽しみがあるということ。もう終わってしまった試合の無限に広がるif世界を最も堪能できるのが野球なのだ”と。ちなみに「彼」は、「あそこでああすりゃよかった」といつまでも固執する野球ファンをMKR(蒸し返し率)が高いと評している(DAI語か)。MRI(断層画像を撮る検査)でもなく、MMR(はしか・おたふく風邪・風疹の混合ワクチン)でもなく、MKR。

 本書の掉尾を飾る(「9回裏」というナンバリング)「地球連邦大学紀要No.一二八三八」の世界では、二十二世紀の半ばを過ぎた後、野球が衰退の一途をたどったことが示唆されている(「二十世紀から二十一世紀の初頭にかけて、それまで娯楽の王様的な存在だったプロ野球の人気に、蔭りが出て来たことがわかっている」との記述もあり)。ほんとうに野球の存在しない時代が来てしまうのだろうか? 願わくば、野球が永遠に不滅でありますように。そして、駅伝も不滅でありますように(最後の最後にすみません! 野球以上に駅伝が好きなので…。深水先生、次の変化球は駅伝小説でお願いします!!)。

(松井ゆかり)

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