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21世紀のリアリティで描く、沙漠のユートピア建国

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21世紀のリアリティで描く、沙漠のユートピア建国

 中央アジアの沙漠の小国アラルスタンで政変が起こり、政府の男どもがこぞって逃げだしたあとを、若い女性たちが協力して国家運営をおこなうはめになる。政治家が不在、互いに牽制しあう官庁は機能不全—-となれば、わたしたちががんばるしかないじゃない!

 しかし、国内に武装した反政府勢力、国外には資源を狙う周辺強国。はたして彼女たちはどう乗りきるか……。

 タイトルに「大和撫子」とあるのは、主人公ナツキが日本人の両親から生まれているからだ。父は政府開発援助でアラルスタンに来た技術者だった。ナツキはこの国で生まれたが、五歳のときにウズベキスタン軍の空爆で両親を亡くし、後宮(ハレム)に引きとられた。後宮といっても王家の側室という旧来の役割ではなく、二代目大統領アリーのもとで、女性の高等教育機関となっていた。ただし、一般民衆の多くは古いイメージを拭えず、後宮の女性たちを愛妾として扱っている。彼女たちはその偏見も跳ね返して、イニシアチヴを取っていかなければならない。

 ディストピアばやりの昨今だけど、『あとは野となれ大和撫子』は風変わりなユートピア建国小説として読める。習俗や文化の描写が高精彩なせいでうっかりすると忘れてしまうのだけど、アラルスタンというのは架空の国だ。沙漠が舞台となるユートピアといえば、1960年代にフランク・ハーバート『デューン 砂の惑星』が、1970年代にアーシュラ・K・ル・グィン『所有せざる人々』があったが、『あとは野となれ』は21世紀的でより複雑だ。

 そして、なにより面白い。エンターテインメントとしてのメリハリがみごとで、ときにそこまでするかというケレンすらあるのだが、その背後にある状況が丁寧に練りあげられているため、上滑りしない。たんなる作劇的な設定にとどまらず、政治・歴史・文化・習俗・環境・科学技術などあらゆる面が複雑に絡みあい、稠密なリアリティを構成する。しかも、これは宮内作品のすべてに共通することだが、ものごとを多義的に描きだしていく。

 たとえば、アラルスタンの環境学的な特異性。この国土は、五十年前までアラル海という世界で四番目に大きな湖だった。スターリンがおこなった灌漑によって、その湖が干上がり沙漠となった。アラル湖は塩湖だったため、土地は塩害に冒され、地下水汚染も起きている。「二十世紀最大の環境破壊」と呼ばれるゆえんだ。しかし、『あとは野となれ大和撫子』で、主人公ナツキにとって最初の友人となるジャミラは、その批判に対し憤懣をぶつける。たしかにスターリンの「自然を改造する」発想は傲慢だった。しかし、実際のひとびとの暮らしに目を向けず、「環境破壊だと触れまわる」姿勢だって傲慢じゃないか。灌漑によってひとびとを支える綿花が生まれ、アラルスタンも水没から救われている。それだけではない。灌漑水が地下帯水槽へ移動し炭素を貯蓄することで、二酸化炭素削減にも貢献する。

 もちろん、ジャミラはどちらが正しいといっているのではない。一意的な正しさなど決めようがないところで、したり顔で正論を吐く行為に苛立っているのだ。

「与えられたままの自然を守る」というのは、いっけん口当たりのよい真実に思える。しかし、アラルスタンという国そのものが、科学技術による環境改造によって成立しているのだ。ソビエト時代の末期、アラル海が涸れていくこの地域に、”最初の七人”と呼ばれるパイオニアが、高分子化合物の網で水蒸気を捉えて点滴灌漑や家畜の飼育をはじめた。さらに遺伝子改造によって塩の大地に生育する牧草を生みだす。これによって”ユーラシア遊牧主義”なる運動が可能となり、衰退しかけていた中央アジアの文化を甦らせると同時に、さまざまな地域で居場所を失ったひとたちを受けいれられる器ができた。

 宮内悠介は『アメリカ最後の実験』(→2016年2月書評)で、世界で最初の多民族による実験国家アメリカの理想と軋みを描いた。『あとは野となれ大和撫子』は、もっとも新しい実験国家アラルスタンの物語であり、いろいろな点で対照的な作品といえよう。『アメリカ最後の実験』は、ジャズの難関校〈グレッグ音楽院〉を目ざして熾烈なバトルを繰り広げるす青年たちが、連鎖的に(しかし脈絡なく)起きる一連の殺人事件に巻きこまれる。いわば「男の子」の冒険小説だった。それに対して、『あとは野となれ』は、逃げだした男たちに代わって、若い女性たちが手探りで国家運営をはじめる。つまり「女の子」の冒険小説だ。

 後宮では政治コースの優等生だったアイシャが、アラルスタン臨時内閣の代表として首相と外務相を兼任する。ちなみに彼女はもともとチェチェン共和国からの難民だった。また、先に紹介したジャミラは文化省と財務省の担当となる。後宮では文化コースを専攻し、ルーツはアフリカ系らしい。

 そして、主人公ナツキは瓢箪から出た駒で、国防相に就任するはめとなる。彼女は忙しいアイシャのピンチヒッターとして、国防省での査問へ赴いただけだった。用意された演説原稿を代読するだけだったはずが、無理解で挑発的な事務次官や軍人、報道陣の態度に挑発に対し、つい自分の本音を吐露してしまう。「わたしたちは知っているんだ! まるで毒が回るみたいに、わたしたちの誇りが蝕まれていることを! あるいはそれが、本当のところ、国が滅ぶよりも悪いことかもしれないことを!」。彼女がたまらずに発したこの言葉が、ひとびとを感動させ、だれかが調子に乗って叫んだ「ナツキ国防相殿!」が既成事実になったのだ。

 しかし、ナツキは国防などもともと興味がなかった。彼女は父親の意志を継いで、アラルスタンを科学技術で良くしようと夢見ていた。雨を降らせて沙漠を緑化したい。物語のクライマックスで、ナツキは究極のテロリストともいえる敵と対峙する。「究極」というのは、いっさいの大義を持たず、混じりけのない悪意で世界をほろぼそうとしているからだ。

 その敵がいう。「きみの沙漠緑化案を聞いたことがある。なかなか、過激な発想じゃないか。結局、ぼくたちは似ているのさ。つまり、技術で世界を塗り替えようとする、仄暗い欲望においてね」

 ナツキは天真爛漫な元気娘だ。そのままアニメ化したいほどキャラが立っている。しかし、そのいっぽうで、この敵が投げかける言葉もまったくの言いがかりとはいえないのだ。これもまた、宮内悠介ならではの多義性である。ナツキは、それを自らの人生において受けとめていかなければならない。

 この小説を読みおえたとき、読者は『あとは野となれ大和撫子』というタイトルに、底知れぬ含意を見いだすことになるだろう。

(牧眞司)

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