ガジェット通信

見たことのないものを見に行こう

スーパーカーを愛し、スーパーカーを憎む、すべての人々に――私がオーナーになれた理由【後編】

DATE:
  • ガジェット通信を≫

▲スーパーカーそのものではなく「スーパーカー乗りの人生」を探る当企画。写真は今回お話を聞いた神奈川県の会社社長、Aさんのアストンマーティン DB9

創業当時は給料5万円でラーメンをすする毎日

【前回のあらすじ】世のスーパーカーオーナーに、その愛車についてではなく「これまでの人生」をお聞きすることで、「どのように生きればスーパーカーをホイホイ買える人間になれるのか?」ということを探る当企画。今回訪ねた神奈川県の実業家Aさんは、車の方もアストンマーティン DB9など多数を所有するかたわら、世界的なグランドピアノや大量のヴィンテージギターなども所有する趣味人。その「財力」はどのようにして形成されたのか、いよいよ尋ねてみる。

答えは「一生懸命働くこと」

――そもそもAさんはいかにして、このような生活を構築できるまでに至ったのですか?

「……それはね、当たり前の答えでつまらないかもしれませんが、『一生懸命働いたから』ですよ」

Aさんが語った半生は以下のようなものだった。

1950年代、公務員の両親の間に生まれたAさん。最初は医者になろうかと考えたが、ご本人いわく「国立大の医学部に行けるアタマはなかった」ということで薬学部に。当時は4年制だった薬学部を22歳で卒業し、某製薬メーカーに就職した。

「若い男にはよくある話なんでしょうが、入社から半年もたつと、上司たちを見て思うわけですよ。『20年後のオレってあんな感じかなのか……』と。で、大変申し訳ないけど、正直ああはなりたくないって思いますよね。となるともう、自分で何かビジネスを起こすしかないわけです」

少なくとも5年はいようと思い入社した会社だったが、「1年ぐらいでもう仕組みはわかったから」ということで、24歳のときに退職。そして、友人と共同で医療関係のビジネスをスタートさせた。ご本人の命により詳細を記すことはできないが、店舗型のビジネスである。そこで、まずはがむしゃらに働いた。

「やっと2店舗目を出せたのは10年後の34歳のときでしたね。最初はとにかくモーレツに働きましたよ。自分の給料は月5万円で、店に寝泊まりしながらラーメンすすって(笑)」

▲成功にまつわる苦労譚では「1日3食、即席ラーメンで乗りきった」という話がしばしば登場するが、Aさんも、若き日々はラーメンのお世話になったようだ(写真はイメージ)

「真摯な商売」をベースに最大限レバレッジを利かせる

ラーメンをすすりながらのがむしゃらな毎日。それはよくある創業風景なのかもしれない。そして「よくある風景」だけあって、ただがむしゃらに働くだけでは「優位性」は得られない、つまり後のスーパーカー獲得人生にはつながらないような気もするのだが?

「それはもちろんです。ですからわたしの場合『立地』にはかなり頭を使いましたね。ただ賃料が安いからとか、そこが空いたからとかではなく、様々な条件を脳みそが沸騰するぐらい考えて立地を決めました。あとはシンプルは話ですが、『とにかく良いモノだけを売ろう』と決めたんです」

医療関係にはまったく詳しくない筆者だが、モノの良し悪しというのがあるのか?

「ありますね。短期的に儲けようと思うなら、もしかしたら粗悪なモノを安く仕入れて売るのが手っ取り早いのかもしれません。でも、それって違うだろ? と。キレイ事に聞こえるかもしれませんが、わたしは『地域に根差した、地域の人々に貢献できる人間』でありたかったんですよ。それが結果としては良かったのだなと、今にして思います」

「急がば回れ」の一言で片付けられる単純な話ではないのかもしれないが、「成功したいなら真摯な商売をせよ」ということなのだろう。……しかしアレだ、ただ普通に真摯に店舗を回しているだけでは、ベーゼンドルファーのグランドピアノは手に入らないと思うのだが?

「おっしゃるとおりですね。……転機は40歳のときに訪れました」

▲お気に入りのグランドピアノの前で静かに自らの半生を語ってくれたAさん

40歳のとき、それまでの店舗運営に加えてコンサルティング的な業務を開始したのだ。

詳細は伏せるが、店を持ちたいと考える人のために「超絶ベストな立地条件」を検討し提案するという仕事だ。Aさん自身が開業資金を出すわけではないが、自らの知見をフル動員し、それこそ脳みそが沸騰するほど子細なシミュレーションを行い、立地を決める。そしてときにはビルのオーナーとタフな交渉を行い、そしてときには開業資金の保証人にもなった。……なぜ、そこまで?

「もちろん慈善事業ではありません。そうやって若い方を真剣にサポートすることが、巡り巡って自分のビジネスに果実をもたらしてくれると踏んだからこその行動です」

ことわざでいう「情けは人のためならず」というやつか。

過剰なリスクは取らず、基本的には石橋をも叩く

なるほど。しかしビジネスに限らずこの世の中では、「果実」を得るためには必ず「リスク」を取らなければならない。Aさんの場合でいえば、ときにはとはいえ、開業資金の保証人になったりしたのがそれにあたるだろう。そしてそもそも店舗経営にも多大な初期コストが必要。……後にスーパーカーオーナーとなる人というのは、やはりリスクを取ることをいとわない豪傑なのだろうか?

「はは、決して豪傑なんかじゃありませんよ。……わたし自身は石橋を叩いて渡るタイプの人間です。そういった投資をするのも医療系というきわめてリスクが低い業種だからであり、担保などについても実はしっかり詰めています。決して丁半博打ではないんです」

ギャンブルではない、と。

「はい。ちなみにわたしは私生活でも麻雀やパチンコなどの賭け事はいっさいやりません」

実店舗の経営で40歳までに力を蓄え、そして40歳からはコンサル的業務という強力なレバレッジ(テコの作用)を利かせることで、以降のAさんのビジネス収支は右肩上がりで増加していった。倍々ゲームかどうかまでは尋ねなかったが、おそらくはそのようなニュアンスなのだろう。かくしてAさんは富豪となり、アストンマーティン DB9をはじめとする高級輸入車、時価にして数千万円(?)のヴィンテージ・ギター・コレクション、グランドピアノなどを手に入れるに至った。

以上が取材当日、Aさんが筆者に語ってくれたことのほぼすべてである。無論、得体のしれない初対面の男である筆者に、Aさんが「すべて」を語ってくれたとは思っていない。しかし限られた範囲でしかないこの半生記からも、学べる点は多いはずだ。次章にてそれをまとめてみよう。

▲ピアノもギターもセミプロ級の腕前であるAさん。「仕事はもちろん大切ですが、それ以外の趣味の分野にも打ち込んで、いろいろな幅を広げることも大切でしょうね」

近い将来スーパーカーを手に入れるための(?)ビジネス3箇条

まず第1に、当然だが「雇われ」では経済的な大成功は難しい。なんらかの自分のビジネスを行わなければ、複数のスーパーカーは基本的には手に入るまい。まぁ外資系投資銀行のフロントオフィスに採用されれば同程度稼げる可能性はあるが、あれも一種の自営業のようなものだ。完全に結果次第でUP or OUTが決まるシビアな世界である。

そして第2に「ビジネスは真摯に行う」ということ。短期的な利己の心で行うのではなく、クサい言葉かもしれないが「周囲の人を笑顔にするために働く」ことが、巡り巡って自分のところに大きな果実として返ってくるのであろう。

さらに第3のポイントとして「冷静に、しかし積極的にレバレッジを利かせる」ということだ。自分自身の肉体という「1馬力」だけでビジネスを行うのも悪くないが、そこから生まれる利益には自ずと限界がある。スーパーカーやヴィンテージ・ギターをホイホイ買える人生を構築したいなら、具体的な手段は人それぞれだが、何らかのレバレッジを思いきって利かせる必要があるのだ(これは本当に、数多くの富裕層を見ていて強く実感する部分である)。

しかしその際、ただアツくなって種銭を投じるのではなく、リスク・リワード比などを冷静に検討しながら事を進めることが非常に肝要であるということを、今回のAさんインタビューから学ばせていただいた。

以上をヒントに今後、わたし自身の生き方と働き方を再検討し、そして中期的な将来、スーパーカーあるいはヴィンテージ物のフェンダー・ストラトキャスターなどを多数コレクションする男として、またここに戻ってきたいと密かに企んでいる不肖筆者である。

さて、あなたにおかれてはどうだろうか?

text/伊達軍曹

photo/尾形和美、photo AC

関連記事リンク(外部サイト)

イマドキ女子は「助手席セルフィー」がお好き!? 盛れる撮り方を検証してみた
スーパーカーを愛し、スーパーカーを憎む、すべての人々に――私がオーナーになれた理由【前編】
都内でもスポーツドライビングが楽しめる!【S660編・東京スマート軽ライフ】

カテゴリー : 生活・趣味 タグ :
日刊カーセンサーの記事一覧をみる ▶
  • 誤字を発見した方はこちらからご連絡ください。
  • ガジェット通信編集部への情報提供はこちらから
  • 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。

TOP