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天才トッド・ラングレンが72年にリリースした、極上のメロディー満載の『サムシング/エニシング?』

ロック界で天才と言えば、イギリスではスティーヴ・ウインウッドだが、アメリカにはトッド・ラングレンがいる。ふたりとも同じ1948年生まれなので、彼らが子供の頃に聴いた音楽の影響でその天才が開花したのかと思うと興味は尽きないが、この両者には似ている部分も多い。どちらも多くの楽器に精通しているマルチ・インストゥルメンタリストだし、曲作りやプロデュースをはじめ、新しいスタイルの音楽を生み出す才能もある。違いはと言えば、スティーヴはヴォーカルの巧みさが際立っていて、トッドはアレンジやプロデュース力に秀でていることだろう。スティーヴについては、トラフィックをすでに取り上げたので、今回はトッドがソロとしてリリースした名曲満載の『サムシング/エニシング?』を紹介する。
『Something/Anything?』 Todd Rundgren (okmusic UP's)

早すぎたパワーポップグループ「ナッズ」
僕が中1だった1970年、ワーナーミュージックから『アトランティック・スーパーヒッツ』というアトランティック・レコードのミュージシャンによるコンピが出ていた。このアルバムは、ロック、フォーク、ソウル、ポップスなどジャンルをまたいだ選曲がなされていて、その頃ハードロック一辺倒だった僕の一番お気に入りはもちろんレッド・ツェッペリンの「胸いっぱいの愛を」であったが、ウィルソン・ピケットの「シュガー・シュガー」、クロスビー・スティルス・ナッシュ・アンド・ヤングの「オハイオ」、ブルース・イメージの「ライド・キャプテン・ライド」、タイロン・デイヴィスの「時を戻しておくれ」など名曲揃いで、気付いた時には愛聴盤となっていた。
不思議だったのは、ラスカルズの「シー」とナッズの「ハロー・イッツ・ミー」の2曲(どちらもポップス的な香りのする軽めの曲…だと当時は思っていた)に惹かれる自分がいたこと。この2曲はハードロックの対極に位置するスタイルだったから、自分の信条としては認められない気がしていたのだ。今から思えば「青い!」のひと言で片付けられるようなしょーもないことなのだが、当時の僕としては大ごとだった。特にナッズの「ハロー・イッツ・ミー」は大好きで、この曲がハードロック以外の音楽に目を向けさせてくれたことに今となっては大いに感謝している次第である。
ナッズはしたたかなグループで、表面的には軽いポップロックのようでいて、トゲがあるというか、70年代の半ばにパンクと並んで注目されたニューウェイブやパワーポップのようなテイストさえ持っていた。おそらくナッズは“ロックスピリットを持ったポップス”がやりたかったのだと思う。この感性が一般大衆に浸透するのはパンクを経験してからのことだけに、彼らが同時代のミュージシャンと比べて、より早く、新しいロックサウンドを生み出していたかが分かるのだ。

トッド・ラングレンの才能
このナッズに在籍していたのが、今回の主人公トッド・ラングレンである。ナッズはブリティッシュロック、それもビートルズやヤードバーズに大きな影響を受けたグループで、ロックンロールとポップを混合したサウンドを目指していた。ナッズの音楽性は、そのリーダーであったトッドの音楽性でもあった。20歳そこそこで、彼の代表曲のひとつとなる名曲「ハロー・イッツ・ミー」を生み出したことを考えると、若くしてトッドの才能は非凡だったようだ。
ナッズは3枚のアルバムをリリースしたのちに解散する。大きな商業的な成功が得られなかったことも理由ではあろうが、トッドの才能が抜きん出ていたために、他のメンバーとの関係があまり良くなかったのだろうと僕は推測する。これはスティーヴ・ウインウッドも同じで、天才ミュージシャンにはある意味で仕方のないことかもしれない。
トッドの才能に目をつけた著名なマネージャー&プロデューサー、アルバート・グロスマン(ボブ・ディラン、ザ・バンド、ジャニス・ジョプリンなどを世に出した)は、自らが設立したベアズヴィル・スタジオのレコーディング・エンジニアにトッドを大抜擢、レコーディングの全てを極めたかったトッドにとっても、この仕事が大きな飛躍のチャンスになったことは間違いない。
ベアズヴィル・スタジオで数々の有能なミュージシャンたちと一緒に仕事をすることで、彼の天性の才能にますます磨きがかけられていくのだが、それと並行してトッドはスタジオにこもりっきりで、自分のアルバム作りもスタートさせている。自由にスタジオを切り盛りできるという事実は、いかにトッドがグロスマンに認められているのがよく分かるエピソードで、グロスマンの目利きはやっぱりたいしたものだと改めて思う。
71年、トッドは「Runt(ラント)」というグループ名義で2枚のアルバムをリリースするが、どちらも彼の以降のスタイルを予見させるようなサウンドになっていて興味深いものの、40年ほど前に、とあるロック喫茶(今は死語か)でこの2枚のアルバムを聴いた時、個人的には“まあまあの出来”だという印象であった。この2枚のアルバムをなぜロック喫茶で聴いたかというと、どちらもプレス枚数が少なく、当時すでに高値が付いていたからで、簡単には入手できなかったのだ。結局、LPを購入したのは大人になってからだった。

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