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自分の妻をニセモノと見分けられますか?ある作家が突きつけた「夫婦のあり方」

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出版界の最重要人物にフォーカスする『ベストセラーズインタビュー』!
第79回のゲストは、最新作となる作品集『ニセモノの妻』(新潮社/刊)を刊行した三崎亜記さんです。

不条理小説の名手として知られる三崎さんが今回テーマに据えたのは「夫婦」。気持ちが通い合っているはずなのに、どこかがずれている。一つ屋根の下で暮らしているのに、案外相手を知らない。そんな夫婦の間にあるわずかな隙間が、奇妙な物語の中で露わに浮かび上がります。

この作品集の成り立ち、そして各作品にまつわるエピソードなどを三崎さんに語っていただきました。

■「一番近くて、一番遠い存在」妻が小説のテーマになる時

――三崎さんの新作『ニセモノの妻』について、この本に収められた4つの作品にはどれも夫婦が登場します。どの夫婦も特に問題がないようでいながら、夫と妻の間に微妙な温度差や食い違いがあって、その「ズレ」から物語が生まれていきます。
まずは「夫婦」というこの本のコンセプトがどのように決まっていったのかを教えていただけますか?

三崎:どれも『yom yom』に掲載された作品なのですが、明確に締切が決まっていたわけではなくて、「何か話ができたら送ります」という感じでやっていました。だから、コンセプトを最初に決めて書き始めたというわけではないんです。

1作目と2作目がともに夫婦の話で、そういえば3作目にも夫婦が出てくる。それなら4作とも夫婦ものにしてしまえばいいんじゃないか、という単純な考えでした。

――先にテーマがあったわけではなく、後づけだったんですね。

三崎:そうですね。ただ、これまであまり夫婦ものの小説を書いてこなかったのですが、自分の妻や私と妻の関係を考えてみると、「妻」という存在は私の小説でテーマになっている「不条理」に沿うのではないかという気持ちはあったんです。

たとえば両親や子どもは自分と血がつながっていますが、自分の横にいる奥さんは血がつながっていない赤の他人です。だからこそ、両親や子どもは選べないのに対して、奥さんは自分で選ぶことができる。赤の他人だけども、たった一人自分の一番傍にいてほしいと思って選んだ相手、ということで近いような遠いような変な相手なんですよね。そういう変な存在との距離感を小説にしたらおもしろいものができるのではないかと思っていました。

――冒頭の「終の筈の住処」から不穏な雰囲気が漂っています。引っ越してきたマンションを外から見たら、自分の家しか明かりがついていない、というのは悪い夢に出てきそうなシーンでした。

三崎:この話は、私が旅先のビジネスホテルに泊まった時のことが元になっています。
夜、ふと部屋のカーテンを開けたら、近くのワンルームマンションが見えたんです。

おかしなことに、そのマンションは部屋のカーテンの色や室内の明かりの色が全室同じなんですよ。しかも全てに明かりがついていました。びっくりしますよね。普通ならカーテンの色は部屋ごとに違っていて当たり前ですし、いくつかは住人が留守で明かりがついていない部屋がないとおかしい。

だから、どういうことか確かめようと、次の日そのマンションに行ってみたんですよ。そうしたら、そのマンションはある予備校が買い上げたものだとわかりました。カーテンもライトも予備校が用意したものですから統一されていて、僕が見た時間は予備校が決めた自習時間で、全員部屋にいたというわけです。

真相がわかってしまうとどうということもない話ですが、マンションの全室に明かりが灯っていて、しかもすべて同じ色のカーテンで、というのは何とも不自然ですよね。この時の経験から考えついて書いたのが「終の筈の住処」です。

――そのマンションの建設には近隣住民が根強く反対運動をしていて、抗議活動の結果マンション側が譲歩する形になります。この時のマンション側の対応と、反対運動の代表者のように登場する主人公の会社の先輩のロジックは滑稽さと不気味さが両立していて強く印象に残りました。

三崎:たとえば民事訴訟で100万円勝ち取ったけど、裁判費用が500万円かかったというようなことは実社会でも起こりえますよね。だとしたら、賠償金なり慰謝料を取ることよりも、「裁判で勝つ」という名誉を得るためだけに裁判をやっている人もいるはずで、そのあたりは、今の社会で不条理だけど起こっていることを置き換えて作品にしています。

――表題作「ニセモノの妻」では、主人公の妻がある日突然「自分はニセモノなんじゃないか」と言い出します。姿形からでは「本物の妻」か「ニセモノの妻」かを見分けられない主人公は、周囲の人の言うことや環境の変化に流されて、目の前の妻を本物かニセモノかを見定められません。このあたりは夫婦関係について考えさせられます。

三崎:身近にいるからこそ、普段の生活で正面から奥さんの顔を見ることって案外少なくて、その結果、髪型を変えたのに気づいてもくれないといって喧嘩が起きたりするわけです。

ある日、突然妻が「自分はニセモノだ」と言い始めたとして、夫はそのニセモノが本物とどこが違うのかを把握できるのか、昨日まで見てもいなかった妻の顔をまじまじ見たところで本物かニセモノか見分けられるのか、もしかしたらわからないんじゃないか、というアイデアからこの小説は始まりました。

――ある坂道を保護しようとバリケード封鎖してしまった「坂愛好家」たちと、生活上の不便さを訴えて封鎖を解こうとする近隣住民の争いを書いた「坂」は会話に引き込まれてしまいました。この作品もまた、現実世界への寓意があったのでしょうか?

三崎:すべての関係者が、自分なりの「曲がった理論」で話をするから、屁理屈の応酬になっておさまりがつかなくなってしまう。「坂」は、坂の傾きが、その屁理屈の土台になっている、登場人物それぞれが生きる過程で得てきた「人生の傾き」を象徴しているようなところがあります。

どんな人でも生きるなかで様々なものから影響を受けるわけで、そうなると本人はまっすぐに立っているつもりでも、別の人から見ると曲がっていたりする。その別の人にしてもやはり曲がっているから、本当は30度曲がっているのに、こちらから見ると60度も曲がっているように見えるかもしれません。

自分も曲がっていること、そして相手もまた曲がらざるを得ないことを踏まえたうえで、互いにその曲がり具合を尊重して生きていけるようにならないといけないわけじゃないですか。それは夫婦の関係もそうですけど、社会の中にある様々な対立や反目にしてもそうです。曲がっているのはお互い様なのに、「相手の方が曲がっている」と言い合っているようではどうしようもない。傾き具合を自覚しあったなかで、双方がどうにか真ん中の折衷点を見つけて生きていかないといけないよな、という思いはありましたね。

――最後の「断層」はSF色が強く、作品集の中でも異彩を放っていました。「夫婦」という同一のテーマを扱うなかで、どのように各作品を色分けしていかれたのでしょうか。

三崎:同じようなテイストにしたくないとは思っていたのですが、「こうやって変化をつけた」というのは特になくて、それぞれの作品で出てくる「不条理な状況」に変化を持たせるようにした結果、物語も変わっていったという感じです。

余談ですが、「断層」に出てくる夫婦は、そのまま私と妻をトレースしたところがあります。今はもう消してしまっているのですが、以前、私がやっているとは明かさずに、自分の夫婦生活についてのブログを書いていたことがあったんです。そこに書いた文章をどこかに残しておかないともったいないなと思って、「断層」の中で使っています。だから、夫婦の会話の場面などは、まるっきり私の日常会話だったりします。

――ものすごくアツアツな会話が繰り広げられていましたが……。

三崎:本当にあんな感じなんですよ、45歳にもなって(笑)。

次回「ただの面白い小説」なら、書く意味はない  につづく

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