稀代の目利きのアンソロジー『楽しい夜』偏愛ベスト3+1

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稀代の目利きのアンソロジー『楽しい夜』偏愛ベスト3+1

 2015年12月第1週に取り上げた『コドモノセカイ』(よろしければバックナンバーをお読みになってみてください)同様、岸本佐知子氏の編訳によるアンソロジー。『コドモノセカイ』の各作品には文字通り”子ども”という共通項があったけれども、あとがきによれば本書は「テーマを決めずに、そのときどきに見つけた面白い翻訳小説を不定期に翻訳」していた連載を中心にまとめたものとのこと。あるテーマに沿って集められたものも大好きなのだが、一編一編予測のつかない驚きに出会えるのは本書のようなタイプのアンソロジーだろう。さすが稀代の目利きである岸本氏のお墨付きだけあって、いずれもユニークな作品ばかりだ。

 ということで、本書に収録された11編から松井が偏愛するベスト3(+次点)を発表させていただく。ドゥルルルルル…(←ドラムロール)。まず次点はマリー=ヘレン・ベルティーノ「ノース・オブ」。母親ともうすぐ軍に入隊する予定の兄が暮らす故郷に、ボブ・ディランを連れて帰省した21歳の妹が主人公だ。洋楽にそれほど詳しいわけではないのだが、ボブ・ディランというチョイスにはなんともいえない絶妙感がある。これがミック・ジャガーではゴージャスすぎるし、ポール・サイモンでは淡すぎる。スティーヴン・タイラーではエキセントリックすぎで、エルトン・ジョンだったらそもそも女子の実家に来ないだろう。最近のミュージシャンでいったら、フー・ファイターズのデイヴ・グロールが来てくれるような感じだろうか(的外れだったらすみません)。ディランファンの兄が興奮を隠しきれないでいるのに、母親はまったくピンときておらずサヤインゲンの筋を取らせたりしているのがおかしい。

 続いて第3位は、ミランダ・ジュライ「ロイ・スパイヴィ」。主人公が飛行機の中で出会った男性有名人のうちのひとり(もうひとりはニュージャージー・ネッツのジェイソン・キッド)、とあるハリウッドの超イケメン映画俳優との邂逅を描いた物語だ。彼に関するプロフィール情報は少ない。「奥さんもやっぱり芸能人」「ファーストネームにVがつく」「ヒント:スパイ」ということくらいだ。そんなわけで、彼は作品中「ロイ・スパイヴィ」という仮名で呼ばれる(「彼の名前のアナグラムにかなり近い」らしい)。背が高いという以外は平々凡々の女である主人公と彼はすっかり打ち解け、飛行機を降りてもからも連絡を取り合えるよう秘密のやりとりをするのだが…。ありふれた人生に不意に訪れた夢のような出来事は、それこそ映画の1シーンのように胸ときめくものだ。でも、ロイ・スパイヴィも魅力的だけれど、主人公の夫はそれ以上にキュートなような気がする。

 そして第2位。ジェームズ・ソルターによる表題作「楽しい夜」だ。なんといっても驚かされたのは、これが1925年生まれの著者が80歳頃に出版した短編集の収録作品だということだ。なんというか、すごくみずみずしい。物語はほぼ全編を通して、女友だち3人による女子会的なノリの会話で成り立っている。主人公のジェーンとモデルのような外見のキャスリンと大学で音楽を専攻したレスリー。キャスリンとレスリーの発言はかなり赤裸々、でもジェーンはそうではない。ラストでふたりにではなく、別の人物に発したジェーンの言葉は衝撃的なものだった。「楽しい夜」というタイトルから受ける印象とはまったく違った物語。

 さて、栄えある第1位は…本書の最後に収録されている、ラモーナ・オースベル「安全航海」! 「楽しい夜」とどちらにしようか迷いに迷ったが、作品の持つ不思議な明るさに惹かれてこちらに決めた。あと、私がおばあちゃん子だったことも影響していると思う。「祖母たちが気づくと、そこは海の上だ」という文章で始まるこの物語は、まさにたくさんの祖母であふれている。わけもわからず乗せられていた船の上で、しかしなんだかんだでいきいきと過ごし始める彼女たち(「こんな途方のない未知の状況にあっても、たとえ四方を荒れさわぐ海に囲まれていても、祖母たちは世間話を忘れない」との描写に納得)。主人公のアリスもそんな祖母のひとり。なぜ自分がここにいるのか、おぼろげにわかってくるが…。終わりを予感させながら明るさに満ちてもいる物語、不思議な読後感がいつまでも心に残った。

 この文章の冒頭でも触れたように、私が取り上げたもの以外の作品についても、岸本氏のチョイスは外れなしだ。私は比較的短編好きなので、どの作品もおもしろみがぎゅっと詰まっていてとてもよかったと思う(どれもちょっと詳しく書いたらあらすじを書き尽くしてしまいそうな短めの作品なので、なるべくネタばらしをしないよう気をつけたつもりですが…)。アンソロジーや短編集の中には、最後の作品だけやけに長くてそれまでさくさくと読み進んでいたペースが狂ってしまうようなものもたまにあるけど、本書はそういった心配とも無縁(そういった作品の並びであっても、おもしろい本はもちろんいっぱいあると思います)。つらくなったり哀しくなるような話も収録されているが、そういったものも含めて人生は生きる価値のあるものだと思わせてくれる一冊だった。

(松井ゆかり)

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