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それぞれの時代の色合いと情感、スミスの不思議な未来史

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それぞれの時代の色合いと情感、スミスの不思議な未来史

 コードウェイナー・スミスの全短篇をまとめる企画の第一巻。続巻として『アルファ・ラルファ大通り』と『三惑星の探求』が予定されている。〈人類補完機構全短篇〉とうたわれているが、このシリーズ以外の作品も『三惑星の探求』に併録されるそうだ。

 もちろん、スミスといえば《人類補完機構》シリーズだ。唯一の長篇『ノーストリリア』(ハヤカワ文庫SF)もこのシリーズに属する。ハインラインやアシモフをはじめ、これまでSFはさまざまな未来史を描いてきた。そのなかでも《人類補完機構》は、ひときわ不思議な光を放っている。

 SF評論家J・J・ピアス(本書にも序文を寄せている)がスミスの作品を読みこんで作成した「人類補完機構年表」には、現代から西暦16000年までの長大な歴史がまとめられている。しかし、実際の作品にあたってみると「ひとつらなりの時間」の印象はあまり受けない。スミス自身が最初から未来史をすべて構想していたのではなく、個々の作品を書きながら細部をつくっていったという事情もあるだろう。しかし、それ以上に、この作者の歴史観や時間観が独特なのだ。

 本書に収められた「星の海に魂の帆をかけた女」を例にとろう。この作品は枠物語の形式で、遠い未来から新地球(ニュー・アース)開拓時代のロマンスを振り返っている。いま、ひとりの娘が母親に、ヘレン・アメリカの物語を聞かせてくれとせがんでいる。母親は言う。「ハニー、お話の中にはね、小さなころ聞いてもしかたがないものがあるの。でも大きくなってから、きっとお話ししてあげるわ」。

 ヘレン・アメリカは平面航法が発見される以前に、星の海をわたった女性だ。この時代の人類は太陽系の外へ出るため、光圧で飛行する帆船を用いた。ニュー・アースまでは片道四十年。そのころの人間の寿命は百六十年ぐらいだから、一生の四分の一をかけての旅になる。地球生まれのヘレン・アメリカは恋人のミスター・グレイ=ノー=モアに会うため、女性で最初の船乗り(セイラー)になった。ふたりの純愛はひとびとを感動させ、やがて有名な物語として語りつがれていく。

 娘と母親がいる時代(この作品の外枠)とヘレン・アメリカの時代(作品の枠内)とは、《人類補完機構》歴史線の過去と未来である。しかし、両者はまったく接点がない。時間が隔たっているのみならず、空気や感触がまったく違う。娘と母親がいるのが日常だとしたら、ヘレン・アメリカがいるのは「お話」のなかだ。タイムラインとしての歴史は因果のつらなりだが、過去の特定のできごとだけを取りだせば虚構の物語となんらかわるところがない。ひとつひとつの物語に固有の雰囲気があるように、スミスの未来史ではそれぞれの「時代」が独自の色彩や香りをたたえている。

 ヘレン・アメリカとミスター・グレイ=ノー=モアが育んだ愛を引きたてるのが、暗い宇宙に掲げられた巨大な帆だ。前檣帆(フォースル)は幅がもっとも広いところで三万二千キロメートル、全長が三十万キロ弱。自動操縦も可能だが、人間が帆を操作したほうが目的地まで早く到着できる。乗客はずっと人工冬眠しているが、船乗りだけ目覚めていなければならない。医学的処置で生理機能を遅くするため体感時間は短縮されるが、それでも孤独は一カ月間にもおよび、肉体は四十年の加齢をこうむる。それを覚悟してヘレン・アメリカは志願した。

 彼女は女性解放論の急先鋒モナ・マガリッジの私生児であり、生まれたときから「もっとも完全な子」として注目を浴びつづけてきた。その息苦しさを感じずにすむたったひとりの相手が、ニュー・アースから来た船乗りミスター・グレイ=ノー=モアだった。ふたりは恋に落ちるが、地球の整いすぎた生活環境に耐えきれず、彼は故郷へ戻ってしまう。帰路は船乗りではなく乗客としてだ。ヘレン・アメリカは彼のことが忘れられず、学業を終えたのち船乗りの資格に挑戦し合格をする。

 かつてミスター・グレイ=ノー=モアが航海の体験を話してくれた。「ときどきほんの一瞬(略)、やってよかった—-そう思えることもあるよ。神経の末端が長く長くのびて、星にとどくんだ」。こんどは彼女自身がそれを確かめるのだ。

 ピアスの年表によれば「星の海に魂の帆をかけた女」は西暦6000年ごろのできごとだが、むしろアメリカ開拓時代をモデルにしたメロドラマ(史実ではなく)みたいだ。ヘレン・アメリカの姓は「アメリカ全体を父に持つ」とみなして命名されたのだが、彼女が住む地球がこの時代には旧世界になっていて、ニュー・アースのほうが活気に満ちた新世界である。

 いっぽう、枠物語である娘と母親が暮らす遠未来は文化・習慣が劇的に変貌しているようなことはなく、むしろ、ぼくたちが暮らす現在をそのまま写しとったようだ。物語の小道具として自在に姿を変える動物スピールティアが登場するものの、その扱いもお気に入りのオモチャとかわりない。娘はやがて成長し「ママ、そんなもの捨ててしまいなさいよ」とあっけらかんと言い放つ。それに対し、老いた母親が「あんなに好きだったのに」と漏らす。ヘレン・アメリカとミスター・グレイ=ノー=モアのロマンスに対する考えかたも、この親子は異なっている。「ひどい話」とドライに見る娘と、センチメンタルに受けとめる母親。

「星の海に魂の帆をかけた女」だけではない。《人類補完機構》シリーズでは異なる時代を”対照”させる構成がしばしば見られる。「夢幻世界へ」では、1940年代のソ連と西暦13582年とが短絡する。冷戦下で資本主義陣営への軍事対抗としてテレパシー研究をおこなっているさなか、自ら被験者となった科学者が未来の音楽と踊りを垣間見てしまうのだ。想像力を凌駕するイメージが脳に衝撃をもたらす。「第81Q戦争(改稿版)」では、冒頭で戦争が文明を数千年も後退させてしまった事実が語られたのち、その遙か以前に国家間で”安全な戦争”がおこなわれていた時代が展望される。宣戦布告は簡単で、勝敗は貴族の義務(ノブレスオブリージュ)として受けいれられた。ひとびとはどんなイベントよりも興味をもって戦争を眺めるのだ。

「マーク・エルフ」では、壊滅戦争によってよって地表がグロテスクに荒廃したあとの時代に、時間を越えてドイツの貴婦人が舞いおりる。第二次大戦末期、赤軍が迫るなかフォムマハト博士は三人の娘をひとりずつロケットで打ちあげた。娘たちは仮死状態の処置をされているために歳をとらない。そのうちの長女カーロッタが〈真人〉レアードによって地上に戻されたのだ。まず、〈愚者〉が彼女を見つける。〈愚者〉は色欲に支配されているが〈真人〉への手出しは恐るべき禁忌だ。この女は〈真人〉なのだろうか? そう思案しているところに人間狩猟機械(メンシェンイエーガー)があらわれ、〈愚者〉は大慌てで逃げだす。このマシンは第六ドイツ帝国が逆らう人間に死をもたらすために開発された。帝国はとうに滅びているのだが、マシンだけプログラムされたどおりに地上を動きまわっているのだ。カーロッタがドイツ語で話しかけると、メンシェンイエーガーは「おまえがドイツ人なら、なぜわたしを知らない?」と首を傾げる。恐ろしいマシンなのに、カーロッタに振りまわされているのがおかしい。そんなふうにして、何も事情のわからない彼女はすっかり様変わりした世界でさまざまな存在と出会い、彼らの手助けと自らの気高さによってなんとかやっていく。まるでお伽話の主人公、動物や魔物が暮らす森に迷いこんでしまった無垢な娘のようだ。首から吊りさげた革袋のなかからメガネを取りだしてしょぼつく老眼にかける熊なんて、アニメみたいなキャラクターさえ登場する。

 カーロッタは人類が失っていた活力を取り戻す役割を担い、彼女の末裔であるヴォマクト一族はこの未来史に繰り返し登場することになる。これと対になるのが「昼下がりの女王」だ。カーロッタから二百年後、こんどはフォムマハトの次女ユーリが地上へ降りてくる。〈真人〉たちが直面している危機が深刻となり、それを打開するためにカーロッタにつづく古代の活力が必要だったのだ。ユーリの才知と動物たちの協力によって、状況が大きく動きはじめる。この作品には「マーク・エルフ」の老眼熊も再登場するし、都市の外ではまだメンシェンイエーガー—-一般にはマンショニャッガーに呼ばれるようになっているが—-がうろついている。また、シリーズを通して重要な役割を果たす”補完機構(インストルメンタリティ)”も、このときに創設される。

 カーロッタやユーリの活躍も、やがて「過去」の物語へと変わっていく。「スキャナーに生きがいはない」の舞台は人類が暗黒時代から抜けだしつつあった時期で、地上にはまだマンショニャッガーが残っているものの、すでに宇宙開発が進んでいる。宇宙での活動に欠かせない職能がスキャナーだが、その再古参ヴォマクトは「ある非合法かつ不可解な方法で、数百年の歳月を一夜にして旅した、古代のある女性の子孫」と紹介される」。ただし、この作品のヴォマクトはカーロッタやユーリとは違い、状況が変わろうとするのを押しとどめようとする側だ。

〈空のむこう〉では人間は虚空によって殺される。それを避けるためにはヘイバーマン手術によって、視覚以外のすべての感覚を脳から切り離さなければならない。肉体の損傷や変調を見守り、外部からコントロールするのがスキャナーの仕事だ。スキャナー自身も手術を受けているが、通常のヘイバーマン(彼らは罪人であり処罰としてこの処置を受けている)とは異なり、志願してこの困難な仕事を引きうけているため社会的ステイタスがきわめて高い。しかし、アダム・ストーンという研究者がヘイバーマン手術なしに宇宙で活動する方法を発見したという。それが実用化されればスキャナーの地位を脅かすばかりか、社会に対する影響力も大きい。

 スキャナーは地球に滞在しているあいだ、切断した脳と感覚をつなぐクランチという処置が認められている(ただし負荷がかかるため制限がある)。ちょうどその最中だったマーテルも緊急ミーティングに呼びだされる。大半のスキャナーはアダム・ストーンを仇敵と見なし、鉄鎚をくだすべきだと主張する。しかし、クランチによって血と肉の実感のなかにいるマーテルはそれに賛同できない。スミスはこの作品にかぎらず、しばしば身体性の問題をグロテスクなほどのなまなましさをもって扱う。

 未来史の時系列で見ると、このあとにくるのが先にふれた「星の海に魂の帆をかけた女」だ。ヘイバーマンのような酷烈な処置は必要なくなったものの、船乗りは孤独に耐えなければならず、宇宙は人間にとって過酷な環境であることはかわりがない。「青をこころに、一、二と数えよ」も光圧帆船が用いられているが、時代がくだりつききりで帆を操作する必要はなくなっている。不慮の事態が起きて人間の判断や作業が必要になったときに起きればよい。その船では出発して三百二十六年後に、三人の人間が目覚めさせられる。美しい娘ヴィーシイ、若くハンサムなトレーゼ、醜い男タラタシャー。タラタシャーはもとは整った顔だったのだが凍睡中の不具合で顔の半分が弛緩してしまったのだ。そして悲劇は起こる。ヴィーシイは自分の身危機が迫ったときに、古い物語を思いだす。それは〈オールド・トウェンティ・トゥ〉という光圧帆船の惨劇だ。ひとびとは地球では思いもよらない犯罪につぎつぎと手を染め、船内は地獄と化したという。

 この作品でも、現在のできごとと過去の物語が対照的に扱われている。さらにスミスの独特な時間観がうかがえるのが、人間が宇宙でなす悪は人類進化の百万年の歴史に遡る太古に由来するという説明だ。また、ヴィーシイの安全を確保するため、地球から出発する以前から講じられていた措置は百万年経っても機能するとの記述がある。デバイスの中核をなす積層加工されたネズミの脳は人類が死に絶えたのちもヴィーシイのことを考えつづけるのだ。注意深く読むと「百万年」という表現はほかにも見つかり、まるでこの作品の隠れたキーワードのようだ。

 宇宙飛行はその後、平面航法という画期的な手段が開発される。「鼠と竜のゲーム」はその時代の物語だ。新しい航法とともに人類は新しい脅威に遭遇する。宇宙の黒いがらんどうには、けものより狡猾なけもの、悪魔より存在が確かな悪魔が潜んでおり、人間を痙攣性の狂気につきおとすのだ。ひとびとはその存在を竜と呼んだ。竜は強烈な光によって粉砕できるが、相手の動きを察知して確実に光をあてるのは容易なことではない。しかし、パートナー—-テレパシーを備えた猫—-と一緒なら別だ。人間にとっては恐ろしい竜だが、パートナーにしてみれば狩るべき鼠に思えるらしい。パートナーとタッグを組んで竜を退治する戦士がピンライターだ。そのひとりが言う。「古代というのも、まんざら住みにくいところではなかったんじゃないかな。なぜ戦争なんかで世界を灰にしてしまったんだろう」。これもまた、過去という物語だ。

 しかし、いつの時代にも、どの物語にも共通するものがある。「マーク・エルフ」「昼下がりの女王」では老眼の熊が愛嬌を見せたが、この作品では気品ある猫のパートナー、レイディ・メイの躍動が素晴らしい。俊敏にして優雅。ぼくはとりたてて猫好きではないけれど、これにはころりとやられてしまった。

(牧眞司)

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