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70年代初頭のアメリカの若者の苦悩を代弁した、シカゴの代表作『シカゴと23の誓い』

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ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズやチェイスと並び、“ブラスロック”グループのひとつとして知られるシカゴ。彼らの2作目となる2枚組(LP発売時)アルバム『シカゴと23の誓い』(原題:Chicago)は1970年にリリースされ、収録曲の「長い夜」(全米4位)や「ぼくらに微笑みを」(全米9位)が世界中で大ヒットした。特に日本では熱狂的に迎えられ、当時まだ珍しかった外タレ公演ではあったが、翌71年にはタイミングよく来日公演も果たしている。ちょうど世界中でヒットを連発していた旬のグループだけに、その人気にますます拍車がかかり、1973年まで3年連続で来日、71年の初公演はLP2枚組『シカゴ・ライブ・イン・ジャパン』としてリリースされている。その後もグループの節目には来日、多くのファンを魅了し続けている。2016年1月には4年ぶりの来日公演が予定されているので、ぜひ会場に足を運んで、高い技術と熱いロックスピリットを持つシカゴのパフォーマンスを堪能してもらいたい。

シングル盤で振り返る1970年のヒット曲
『シカゴと23の誓い』がリリースされた1970年は、大阪万博が開催された年であり、ビートルズが解散した年だ。ロックが誕生してから10年以上が経過し、斬新なサウンドを持ったグループやシンガーが続々と登場してきた時期でもある。
自分で買ったシングル盤をもとに、この年のヒット曲を思い出してみると、レッド・ツェッペリン「移民の歌」(ハードロック)、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル「トラヴェリン・バンド」(スワンプロック)、ブレッド「二人の架け橋」(フォークロック)、ショッキング・ブルー「ヴィーナス」「悲しき鉄道員」(ポップロック:出身がオランダであったため、ダッチサウンドとも呼ばれた)、ジャクソン5「ABC」(モータウンソウル)、マンゴ・ジェリー「イン・ザ・サマータイム」(スキッフル)、マッシュマッカーン「霧の中の二人」(カナディアンロック)などが日本では大ヒットを記録していて、実に多彩なロックグループが輩出されていた時代であったと言える。

“ブラスロック”グループでは最も親しみやすいシカゴ
そんな中、同じく大ヒットしていたのが本作に収録されている「長い夜」。当時、僕の大好きだったハードロックのテイストではあるのだが、他のグループとはひと味もふた味も違っていたのが印象的であった。その違いとは、大々的に導入されたホーンセクションの存在であり、管楽器が入るとサウンドの厚みが大幅に増すということを体験した。ほどなくして、ホーンセクションを加えたロックを“ブラスロック”と呼ぶらしいと知った。しかし、この呼び方は日本だけのもので、海外では“ジャズロック”のカテゴリーに分けられている。
シカゴの他にも、先輩格のブラッド・スウェット・アンド・ティアーズをはじめ、チェイス、タワー・オブ・パワー(今でこそファンクバンドとされているが、当時はタワーでさえブラスロックの範疇で語られることが少なくなかった)など、いくつかの“ブラスロック”グループがひしめき合っていたが、ロックを主体としたグループはシカゴとチェイスのふたつぐらいで、素直にカッコ良いと思えたのは、なんと言ってもシカゴの「長い夜」であった。同じく本作収録の「ぼくらに微笑みを」もヒットしていたが、こっちはもっとポップなサウンドで「同じグループなのに音楽性が違うじゃん」と、浅はかな中学生の僕はそう思っていた。

デビューアルバムからサードアルバムまでが2枚組制作
お年玉をもらう正月以外、シングル盤しか買えない中学生にシカゴのすごさは分からない…これは本当だ。なぜなら、シカゴはさまざまな音楽的側面を持っているがゆえに、シングルヒット曲を聴くだけでは、ある面しか見えない。アルバムを通して聴いて初めて、その多彩な音楽性が理解できるというグループだ。
ただ、彼らのアルバムはデビューアルバムの『シカゴの軌跡』、セカンド『シカゴと23の誓い』(本作)、サードの『シカゴIII』までが全て2枚組で、次作の『シカゴ・アット・カーネギー・ホール』に至っては4枚組(!)でリリースされているだけに、貧乏な中学生に手が出せる代物ではなかった…。アメリカでは2枚組でも、1枚ものとさほど変わらない値段で発売されている(LPもCDも、アメリカでは日本よりかなり安い)のだが、日本は高い! そんな事情があるので、ロック好きの友だちと相談して、お互いが買ったレコードを貸し借りできるよう根回ししておくのが当然の時代だった。

アメリカの若者の苦悩を代弁する『シカゴと23の誓い』
友だち同士の政治的な交渉(?)を経て、僕もようやく『シカゴと23の誓い』を聴くことができたのだが、音楽性の幅広さと少し難しい部分もあって、本当にシカゴの良さが分かったのは高校生になってからである。
LP発売当時、本作は2枚組なので、サイドAからサイドDの4面構成になっている。アルバム全編を通してみると、ベトナム戦争に対する異議申し立てや不安感を代弁するような内容で、当時の各曲に付けられた邦題を見るだけでも、歌の内容が伝わってくるようだ。例えば、サイドAは4曲収録。1.「ぼくらは何処へ」(Movin’ In) 2.「ぼくらの道」(The Road)3.「ぼくらの詩」(Poem for the People)4.「ぼくらの国」(In the Country)といったタイトルだし、サイドBの組曲「バレエ・フォー・ア・ガール・イン・ブキャノン」でも、2.「言いたいことが沢山」 (So Much to Say, So Much to Give)3.「不安の日々」(Anxiety’s Moment) 7.「今こそ自由を」(To Be Free)など、当時のアメリカの世相を反映して、反戦という主張が滲み出ている。日本でも1970年はまだ学生運動が盛んだったので、シカゴの政治的な部分に共感してファンになった人は少なくなかったはずだ。
サウンド面では、難解な部分もあることはあるが、基本的にはアーシーなロックサウンドの中に、ホーンセクションを巧みに織り込んでいるのが特徴だ。ホーンのアレンジは個性的だけれど分かりやすい組み立てだったので、ハードロックっぽい曲とポップな曲が同居していても不思議と違和感はなかった。サイドBとサイドDの組曲では、ジャズやソウルの要素を絡めつつ、プログレのようなクラシックっぽい展開もあって、未だに何度聴いても新しい発見がある。曲づくりの面では、ポップ性と芸術性の混在を目指しているように見える。双方が絶妙のバランスで配分されており、これらが渾然一体となって制作されただけに、本作『シカゴと23の誓い』は、シカゴという共同体の魅力が十二分に発揮された傑作となったのである。

本作以降のシカゴ
シングル「サタデイ・イン・ザ・パーク」の大ヒットを受けて、初の全米1位を獲得した5thアルバム『シカゴV』(’72)以降、9thアルバムの『シカゴIX』(’76)まで、5枚連続で全米1位を獲得するという快挙を成し遂げる。78年には、オリジナルメンバーのテリー・キャスが拳銃の暴発で亡くなるという痛ましい事故があり、日本でもマスコミ等が事件を大々的に報じていた。この頃からシカゴの音楽は微妙に変化していく。
80年代に入ると、ホーンを抑えたAOR路線に転向、爆発的なヒットを連発し、ライヴ以外ではソフト路線のグループに変貌している。この路線がかなり長い間続いたので、世間的には、むしろこの時代こそがシカゴだというイメージを持っているかもしれない…。

『ライブ・イン・ジャパン』の先駆者
冒頭でシカゴの初来日公演が『シカゴ・ライブ・イン・ジャパン』(’72)としてリリースされたと書いたけど、彼らのこのライヴ盤がきっかけで、日本の録音技術とホール音響の良さが話題を呼び、この後続々来日するグループやシンガーが『ライブ・イン・ジャパン』をリリースしているという事実があるが、これもシカゴの大きな功績ではないだろうか。
オマケ:「シカゴで一番良い曲は?」と聞かれたら、迷うことなく僕は「サタデイ・イン・ザ・パーク」と答える。これは『シカゴV』(’72)に収録された名曲中の名曲だ。でも、「シカゴで一番好きな曲は?」と聞かれたら、絶対に「長い夜」と答える。完成はされていないけれど、最もロックスピリットのある曲だと思うから。

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