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高度情報管理社会における「自由」の意味を問う

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 そこは自由な町だ。働く必要がない。

 面倒な通勤もタイトな納期も威張りちらす上司もうるさい顧客もかったるい同僚とのつきあいもすべておさらば。趣味にかまけたり友人と語らったり気まぐれに遊び歩いたり、のんしゃらんで一生暮らせる。

 そんなステキな町に住む条件はただひとつ。自分の情報への無制限アクセス権を情報銀行へ預けるだけだ。住民はつねにシステムに監視されている状態。どんな本を読みどんな音楽を聴きどんな言葉を語っているか、すべて吸いあげられデータ化される。当初はプライベートゾーンとされた寝室も、二階暗号化技術の発達により—-つまりセキュリティが確保されデータの外部流出の不安がなくなった—-監視範囲に組みいれられてしまう。見ているのはシステムだけなのだからかまわないという理屈だ。

 かろうじて浴室とトイレは監視外になっているが、それとて長時間とどまるとアラームが起動する。トイレ滞在時間が正規分布から飛びだすと、「等級」に影響してしまう。この「等級」とは、保険料を決めるときの等級と同じ考えかたで、等級が高いほど情報銀行から支給される報酬が高くなる。

 町は自治体と情報銀行大手のマイン社が共同で建設したもので、マイン社は住民から吸いあげたデータによって利益を得ている。といっても個人の名簿をダイレクトメール発送に使うなんてレベルではない。

ありとあらゆるライフログが、情報銀行を介してありとあらゆる会社に貸し出されている。一日のあくびの回数や、左足薬指の長さの情報が、女性用下着に使われるバネを作っている会社のコンサルをしている会社をさらにコンサルしているIT企業の、ライン担当ボットに買い取られる時代だった。 

 さて、あなたはこの町に住みたいと思うだろうか?

 ぼくは住みたい。カネの心配がなく、好きなこと—-たとえば新刊を読んでこうして書評を書く—-だけやって生きていきたい。プライベートのデータがすべて吸いあげられると言っても、非道徳的もしくは反社会的なことをしているのでなければ、知られたってなんら困ることはない。思想傾向や性的嗜好を晒したいとは思わないが、しょせんシステムがデータとして処理するだけだ。ひとに覗かれているのとは違う。ネット検索した単語に応じてウェブ広告が出るのとそう違いはない。

 しかし、本当にそれだけですむのか? 人類がいままで経験したことのない社会構造・生活様式には、思いがけない陥穽があるのではないか?

 第三回ハヤカワSFコンテスト受賞作。ディストピアSFの常道ならば「いかに機能的であっても人間性を蔑ろにした管理社会は不幸しかもたらさない」という地点に落ち着くのだが、本書はそう単純な展開ではない。

 この町は独裁者が押しつけたものでも、イデオロギーの狂気が作りだしたものでもなく、資本やメディアがひとびとを欺いているのでもなく、その仕組みはオープンで(データ処理の技術はきわめて高度だが、人間に刃向かうブラックボックスなどではない)、住民はみずからの意思でこの町—-「アガスティアリゾート」と名づけられている—-を選ぶ。作中で詳しく描かれてはいないが、出ていくのも自由なはずだ。

「アガスティアリゾート」はフィリピンのマニラ沖で試験的な運用がされたのち、まず、サンフランシスコ特別提携区(メガフロート上に建築された)で本格実施される。第一次募集の定員は約二万一千人だったが、応募が殺到した。

 この町は治安も良い。凶悪犯罪を取り締まる警察機構ABM(特別区管理局)が設けられ、データの管理・分析によって犯罪が起こす可能性を事前に察知して、危険人物をマークするからだ。ABMの警官は、データ機構(サーヴァント)と連動した端末をつねに携帯している。忘れて出かけようとすると、サーヴァントが「端末を携帯してください」とお節介を焼いてくる。サーヴァントはこの町のすべての人間関係と欲望を知っているため、殺人のような特殊性のある犯罪の予防は比較的容易だ。ABMは既存の警察がなしえなかった殺人ゼロを実現するかもしれない。

 だが、悲劇は起こる。サーヴァントは警告を出していたのだが、要注意人物を拘束しつづけることが人権的にできず(ジャーナリズムが問題視したから)、一瞬の隙をついて犯行がおこなわれてしまう。その結果、市民の怒りは殺人を防げなかったABMではなく、司法制度へと向けられる。潜在的犯罪者を野放しにするな。

 この世論の高まりに、犯罪予測システムを開発したドーフマンは戦慄する。事件を起こす以前に逮捕すべきとの発想は、ひとを行為ではなく目的で裁くことだ。犯罪や悪の概念が大きく変わってしまう。しかし、彼の主張はマスコミの恣意的な報道でねじまげられ、ドーフマンは倫理観の欠如したマッドサイエンティストの烙印をおされてしまう。

 ドーフマンと対をなすのは、ABMの第一線にいる警官スティーヴンスンだ。彼は殉職した同僚のノートパッドから「端末を携帯してください」とサーヴァントがしつこく繰り返すことに苛立つ。主義主張ではなく理屈もなく、情報銀行を憎むようになる。

 この作品が優れているのは、正面切っての文明批判ではなく、こうしたどうしようもない感情を巧みにストーリーに乗せていくところだ。「アガスティアリゾート」は、理想や哲学ではなく現世利益としての「自由」を実現するシステムとしてはよくできている。しかし、そのなかに新たな「不自由」が胚胎する。おそらく不可避に。

 各章で中心人物が替わる。社会的立場も異なり、自由に対する感覚もそれぞれだ。彼らの人生を映しながら「アガスティアリゾート」の不協和音が幾通りにも奏でられる。

(牧眞司)

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