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「尾木ママがBPOの委員だった」 アナログ停波特番(2)

アナログ停波特番の司会を務めたジャーナリストの津田大介氏

 アナログテレビ放送が2011年7月24日正午に終了したことを受け、ニコニコ生放送では、「アナログ停波特番『テレビはどこへ行く』」を放送した。テレビ関係者らによる議論がBPO(放送倫理・番組向上機構)の存在意義と、それによって番組がどう変わってきたかに及ぶと、フジテレビの元プロデューサー・吉田正樹氏は「BPOは敵ということはない」と、現在では比較的BPOとの関係が良好であると語った。吉田氏によると、現在バラエティ番組等に出演している”尾木ママ”こと尾木直樹氏も、かつてはBPOの委員だったという。

池田信夫氏「アナログテレビのほうが先に死んでしまった」 アナログ停波特番(1)
http://news.nicovideo.jp/watch/nw91588

 以下、番組を全文書き起こすかたちで紹介する。

■「BPOがテレビをダメにした」のか?

津田大介氏(以下、津田): ちょっと、その辺の90年代でテレビっていうものがたぶん変わっていくみたいなものを語る前に、歴史だけ先におさらいしちゃうと、2003年に東京、名古屋、大阪の3大都市圏で、2003年からついにNHKと民放が一斉に地上波デジタル放送を開始しました。そして、2004年には茨城、富山で地デジが開始され、地デジの余った帯域を使ってやるみたいなところで、携帯端末向けの地上デジタル放送ワンセグも2006年に開始して。2008年にはデジタル放送。ずっともめていた地デジですね、この「ダビング10」という録画の新ルールが開始されたのが2008年で、2011年に地上アナログ放送が終了。

 ・・・1995年以降の歴史がかなりざっくりというか、かなりやる気がない感じ(笑)。最初のころはやる気があるような感じ(の資料)だったのが、スタッフが途中で力尽きたのかなという感じなのですが。宇野さんはどうですか。さっき吉田さんのほうでは「アナログで80年代はイケイケで」みたいなところがあって。80年代のテレビ番組って。

宇野常寛氏(以下、宇野): 80年代は・・・うち結構、両親が頭の固い人だったので、彼ら彼女の基準だと「全員集合」と「加トちゃんケンちゃん」はOKで、「ひょうきん族」はNGみたいなんですよね。でもその辺がまたちょっと僕の憧れでもあったんですよね。フジテレビってすごく80年代の東京の一部ではすごい輝いているものがあって、イケイケどんどんで。それこそ「おもしろくなければテレビじゃない」というキャッチコピーとか、これは当然僕は当時知らなくて後から知ったんですけども、まさにそうだったなと。そんな憧れの対象だったんですよね。それが、94年から97年まで高校の寮に入ってるいんですよ。寮に入って出てきたら、結構がらりと空気が変わっていて、何かテレビというのも、僕の知っていた民放のカラーというのがだいぶ変わってきちゃってるなという印象がすごく強かったですね。

津田: さっきずっと90年代になるまではフジテレビは圧倒的に視聴率でも強かったんですけど、一時期、日テレさんがガーッっと伸びていって抜かれるということがあったと思うんですけど、あれはどういう風に、フジテレビの中にいて評価されてましたか。「何で負けたんだろう」ていう。

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