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2011年3月11日の演奏会『あの日、マーラーが』

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 2011年3月11日午後2時46分。記憶に問題が発生しない限り、私はあの瞬間のことを死ぬまで忘れないだろう。揺れている間、心を占めていたのはとにかく驚きの感情だった。「これは何だ、何が起こっているんだ」と。

 この物語は、東日本大震災当日の午後7時半に新日本フィルハーモニー交響楽団が演奏会を開いたという事実を題材にとって書かれたものだ。会場は東京都墨田区にあるすみだトリフォニーホール、指揮はダニエル・ハーディング氏、演目はグスタフ・マーラー作曲の交響曲第五番嬰ハ短調。この小説はフィクションであり、実在の人物が登場するわけではない(指揮者の名前もデイヴィッド・ハーディとなっている)。

 震災当日に開かれていたコンサートがあったことは、この本を読むまで知らなかった。自分が知る限りほとんどのこうした催し物は中止または延期されたと記憶しているし、新聞などで記事になっていたとしてもあの当時は目に入らなかっただろうと思う。

 本書で描かれた激しい揺れのさなかの感情やコンサートへ行くことを決めるまでの人々の心の動きは、まるでその場にいた当事者の内面そのものであるかのようにリアルに感じられた。ある者は地震によって物が散乱した部屋にいたくなくて、ある者はほとんど客が来ないであろう演奏会を見届ける歴史の証人となるために、そしてある者は”コンサートが行われるのであれば行きたい”というシンプルな気持ちで。105人の聴衆がそれぞれの思いを抱えつつ、その夜錦糸ホールに集まった。

 主催者側の心には、さらなる逡巡や葛藤があった。楽団員から「中止でしょうね」と既定路線のように言われて反発を覚えたホールの事業運営者は、同時に「ひとりでもいらしてくださるお客様がおられるなら」とコンサートの開催を決めた理事会に対して「不謹慎ではないか」との疑問を表明していた。ひとりの人間の中にも相反する感情があったし、理事たちの気持ちも満場一致というわけではなかったし、そもそも自分たちの決定が最善のものとは考えていなかった。演奏が終わった後でさえ「やはりこんなときにコンサートを開くべきではなかったのではないか」と苦悩するオーケストラ団員もいたということが描写されている。

 私はあの震災からずっと、こんな揺らぎの中にいるような気がする。どのように行動するのが最善だったのか。自分にももっとできることがあったのではないか。そして、あんなにたくさんの人が亡くなったのにどうして自分は助かったのか…。登場人物のひとりが「自分はあの人たちを見殺しにした」と感じる場面がある。あの日、津波が多くの家や車を飲み込んでいくのを見ながら、テレビの前で為す術もなく立ち尽くしていた私も、同じように感じていた。都内にいて家族や親類に被害が出ていない身でさえこうなのだ、まして被災地におられた方々はどれほど打撃を受けられたことだろう。そして忘れてはならない、阪神淡路大震災をはじめとするさまざまな自然災害の被災者にとっても、苦しみはずっと続いているということを(どの災害時にも胸を痛めはしたものの、ここまでの当事者意識を持てなかったのはやはり実感としての恐怖を伴っていなかったからだと思う。東日本大震災に関しては、原発問題が絡んでいるということもより身近な事態として意識せざるを得なかった要因だが)。

 本書で最も冷静さを失わなかったようにみえるのは、指揮者のデイヴィッド・ハーディ氏だ。予定より1時間遅れて始まったゲネプロ(全体練習)に現れた彼の様子が「いつも通り」であることに、多くの楽団員たちが胸を衝かれている。もちろんハーディ氏とてまったく動揺がなかったわけではないだろうが、彼の身の内にはすでに存在していたのだと思う。聴衆のひとりである音楽評論家・永瀬が演奏中に突然たどり着いた「芸術は人間が人間であるためにある」という真理とでも呼ぶべきものが。永瀬はこうも考える、「芸術は助けを求める人々を救うことの尊さに千分の一も及ばない。だが今の永瀬には、災禍にある人を助けることはできない」「そうである以上、手をこまねいて、苦しんでいる人がいるという情報を見聞きするか、同じような苦しみが我が身に降りかかるかもしれないと不安に打ち震えるか、さもなければ(本文ではこの箇所に傍点)、こうして「それでも人間は人間である」と歌う芸術に立ち会うしかないのだ」と。しかし、震災のときに何もできなかったという後悔を持ち続けている人も、今ならもう少しやれることがあるのではないか。まずは非力だった自分を受け入れ、震災の記憶を風化させず、(起こってほしくはないけれど)次の災害への教訓とすること。そしてもうひとつ、芸術を愛すること。

 この4年半、東北はまだまだ完全に復興したとは言えないだろうし、どれだけ時間がたっても癒えない傷があるに違いない。それでも、被災者の方々が芸術によって少しでも救われていたならばいいと思う。『復興の書店』(稲泉連/小学館)というノンフィクションを読んで、震災直後の混乱の最中であるにもかかわらず本を求める被災者の数が驚くほど多かったという事実に、涙が止まらなくなったことを思い出す。音楽が、本が、通常の衣食住すら満たしていない人々の心を救うこともある。被災されたみなさんが、一定以上の生活レベルを送れることと同時に、精神的にも生活の中に楽しみを見出せることができていますように。芸術に触れることで、錦糸ホールにいた人々の心に生まれたような感動や喜びを感じられていますように。

(松井ゆかり)

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