理念とは卑きょうの提案

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レジデント初期研修用資料

今回はmedtoolzさんのブログ『レジデント初期研修用資料』からご寄稿いただきました。

理念とは卑きょうの提案
30年以上も昔、担任の先生が産休に入って、代打要員として音楽の先生が県から派遣されてきた。ちょうどその頃、県の音楽コンクールが重なっていて、「どうせでるなら勝ちましょう」なんて、いろんなことを教わった。

・柔らかい音を出す
「トライアングルを柔らかく鳴らしましょう」というのが、演奏の課題として取りあげられていた。どれだけの感情を込めたところで、あれだけシンプルな楽器を“柔らかく”鳴らす術は分からなかったのだけれど、その先生は「柔らかいとは、ヒモの根本を固く持つことだ」なんて教えてくれた。“柔らかい”というのは、要するに響きの減衰が早いことと同義であって、トライアングルをつっている持ちヒモの、トライアングルに一番近い場所を固く握ることで、音は“柔らかく”鳴るのだと。

縦笛を鳴らす人は、パートが終わった瞬間に両手を膝の上に置くときれいに見えること。シンバルをたたく人は、たたいたあとでシンバルごと“ばんざい”の姿勢を何秒か行うことで、音がとてもきれいに“見える”こと。いろんな勝ちかたを教わって、うちのクラスは市で3位になった。

・見えないルールがある
学校では、「ルールがあるんだよ。ルールを見つけてから、それに従って努力しないと意味ないよ」ということを、きちんと教えてほしいなと思う。

「好きな絵を描きなさい」とか「好きなことを研究しなさい」なんて課題を出して、“自由”にやって、それに点数を付けられる側は、たまらない。点数が付いて、序列がつくのだから、そこにはもちろん何らかのルールがあるのに、ルールは教えてもらえない。点数の付け方は一方的で、子ども達は“自由”と習っているものだから、お互いに付けられた評価を比較して、ルールを探索することすら想像できない。

隠蔽されたルールに、たまたま乗っかった子どもは“努力した”ことになって、ルールを探せなかった誰かは“努力不足”になる。“ルールがある”ことを習わない状況での成功は、誉められた子どもにしたところで、結果として何がよかったのかが分からないから、次につながらないし、下手をするとその成功が呪縛になって、道を誤ってしまうことだってある。

リアル社会には、“ルールが見えない”状況はたくさんある。でもそこで、ルールを探そうとする人と、内面の“良さ”を磨くことに全てのリソースをブチ込んだあげく、「世の中は分かってくれない」と、何かに屈する人とがいる。

ルールがあるのは当たり前のことだけれど、“当たり前”のことだって、習わなければ分からない。心臓が止まった人の顔色は悪くなる。これは“当たり前”だけれど、外来や病棟で急変して、心肺そ生が必要な患者さんに対して、「どうしましたか?」と尋ねる研修医は、毎年必ず出現する。習っていないから。

・卑きょうを提案してほしい
ルールが示されない状況にあって、隠蔽されたルールを見いだして成功した人は、“卑きょう”であると認識される。“社会に対してどう卑きょうであるか”を見いだせなくて、その場の道徳を一生懸命磨いた人は、成功から遠ざかって、結果としてたぶん、道徳それ自体を呪いはじめる。

組織の理念というものは、本来は“卑きょうの提案”であるべきなのだと思う。

ある状況を前に、リーダーがそれをどういうゲームであると解釈して、どういう勝ちかたを目指しているのか。その場で“道徳的である”ありかたは、示されなくても見えるけれど、それだけではたいてい、食べられない。道徳に対して、どこに“卑きょう”を持ち込んで、組織として食べていくのか、それをリーダーがきちんと示せないと、メンバーの独りよがりな“良さ”が暴走して、組織は瓦解してしまう。

そこが病院なら、「寝たきり老人にありったけの高価薬を投与することで稼ぐ」だって理念だし、「救急を止めずに回して、補助金を得て不採算を回避する」だって理念だと思う。賛否はともかく、方向は見えて、リーダーの考えかたは、みんなに伝わる。ところが「患者様のために素晴らしい医療を提供する」は、きれいな言葉ではあるけれど、理念とはちがう。こんな言葉を聞いたところで、部下はどう動いていいのか分からない。

・“本気”を教えてもらうために
「自由にやりなさい」という課題設定は、部下に対して「勝て。やりかたは任せる。負けたらお前の責任で」と命じる上司のようなもので、そのありかたはやっぱりどこかおかしい。

「柔軟な思考が大切です」と昔習って、算数の問題が解けなくて、塾の先生は「算数は暗記だ」と教えてくれた。他のみんなは「考えなさい」と教わって、自分たち塾の子どもは過去問を暗記して、頭を使ってないのに点数は取れた。こういうのは“卑きょう”だけれど、卑きょうをその場から追放しようと思ったならば、それを禁じるのではなく、それを公知のものにすべきなのだと思う。

読書感想文のような自由課題も、たとえば“団体戦”ルールを導入してほしい。子どもへの評価は従来どおり、その代わり、クラスで獲得した点数で“団体戦”を行って、担任の先生を全国ランキングにしたら、もう「自由に好きなことを書きなさい」と教える先生はいなくなる。それが“教育的”なのかどうかは別問題だけれど、読書感想文が嫌いな子どもは、むしろ減るんじゃないかと思う。

読書感想文や自由課題絵画のような、“勝ちかた”が見えない競争は、先生がたの工夫を引き出して、クラスごとに作られた戦略のぶつかりあいになる。ところが100m競争のタイムを合計して順位付けを行ったら、今度はもしかしたら、足の遅い子どもがひたすら怒られることになってしまう。“裏側のルールが見えにくい競争”においては、工夫と戦略、試行錯誤の量が成功を左右して、理念に基づいた比較的健全な組織が生まれる。“速く走ればいい”といったような、ルールが明快な競争だと、今度はブラック企業と言われるような組織に似てくる。

どんな競技を設定すればいいのか、そこは考えどころだけれど、「自由にやりなさい」よりは、たぶん子どもは半歩だけ前に進める。

執筆: この記事はmedtoolzさんのブログ『レジデント初期研修用資料』からご寄稿いただきました。

文責: ガジェット通信

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