なぜ弱者男性は弱者女性より深刻に詰んでいるのか(はてこはだいたい家にいる)
今回はくたびれはてこさんのブログ『はてこはだいたい家にいる』からご寄稿いただきました。
なぜ弱者男性は弱者女性より深刻に詰んでいるのか(はてこはだいたい家にいる)
はてなフェミチームメンバーとして記憶されているわたくしですが、弱者男性の詰み具合はある面で確かに女性より深刻だと思う。今日はそのことについて苦い思い出話をします。
スーパーのレジで働いていたときに、毎日ボンカレーとサトウのご飯を買っていくおじいさんがいた。毎日おなじ薄汚れたつなぎを着て、脂じみた髪をほつれさせておじいさんはやって来る。姿だけ見るとホームレスのようだったが、おじいさんは一人暮らしで店のすぐ近くに住んでいた。
おじいさんを見るたび(こんな生活を続けていたら栄養失調になるんじゃないだろうか、身の回りのことは大丈夫なんだろうか)と心配した。でも結果的に最後まで何も手助けしなかった。
地元の同僚によると歩いていける距離に飲食店を営む娘夫婦が住んでいるということだったので、娘さんが世話をしてくれるだろう、そうだったらいいなと都合のいいように考えて自分の心を安らげていた。
あるときおじいさんは数日店に来なかった。スーパーは観光地の山奥にあり、冬は雪に閉ざされる。さすがに娘さん夫婦のところへ身を寄せているのだろうか、まともな食事が出来ているならいいな、と思った。おじいさんはいつも薄くて固そうなつなぎを着ているだけで、冬場もあまり暖かそうではなかった。
おじいさんを見かけなくなって数日後、不審に思った近所の人が様子を見に行った。おじいさんは風呂場で凍死していた。
わたしがおじいさんに何もしなかったことにはいくつか理由がある。
おじいさんは以前息子と暮らしていたのだけれど、この息子はわたしの家へ風呂をのぞきに来たり、深夜ベランダを歩き回ったりした形跡があった。警察も呼んだけれど犯人は捕まらず、後日息子は婦女暴行の現行犯で捕まった。おじいさんに怨みはないけれど、いつ出所してくるかわからない息子の家と関わるのは怖い気がした。
でも今回の弱者男性論争で再認識したけれど、わたしがおじいさんを助けなかったのはおじいさんが男性で、不潔で、知性が感じられなかったからだと思う。カレーを買いに来ていたのが女性で、清潔で、知的な輝きがあったら、わたしはもう少し立ち入って力になろうとしたんじゃないかと思う。可愛かったり素敵だったりしたらなおさらだ。たとえ息子がいつか出所して来るとしても「親と子は別です、世間の偏見に負けないで!」と熱く語ったかもしれない。
おじいさんは酒臭くも煙草臭くもなかった。ただ貧しく体力が衰え、身の回りのことが出来なくなっているということは火を見るより明らかだった。でも臭かったから近づきたくなかったし、不潔だから触りたくなかった。それがわたしがおじいさんを助けることを躊躇し、誰か他人がやってくれないかなと思った最大の理由じゃないかと思う。
おじいさんのつなぎはある時から股間に大きなシミが出来ていた。失禁したあとだということは一目瞭然だった。わたしは「そのつなぎを洗いましょうか」と言うこともなかった。服を洗って店で手渡すくらいのことは簡単に出来た。家にいかなくても店で野菜料理だって野菜ジュースだって渡せた。皮肉なことにそこは関東を支える農業地帯の一つで、辺りは野菜畑でいっぱいだった。
ではおじいさんが清潔で知的だったら助けたかというと、それでもわたしは同じ状態にある女性を助けるようには考えられなかった。おじいさんが男だったからだ。もう少し若いときか、子供の頃だったらそんな風に考えなかったと思う。年老いていても男の人の一人暮らしに一人で近づくのは危ないということをわたしは何度か痛い経験を通して学んだ後だった。
このおじいさんのことだけじゃなく、わたしは何度か助けが必要だと思える男性を見捨てて離れたことがある。食生活がよくない人の口臭や強烈な体臭、垢じみた服の山が放つ悪臭には寒気がする。ギトギトの髪の毛と抜けた歯を見ると怖気が走る。でも子供がそういう状態にあったなら、相手が女性だったら、相手が男性だったときほど心は萎えない。相手が男性の時ほど警戒することがないからだ。
わたしは男性を前にしているとき無意識に「襲われないように身を守らなければ」と思っているし、「好意を勘違いされないように」と思っている。男を獣扱いするな、自分は女性を虐げたことなどないと、どんなに言われてもそれはもう仕方がない。事が起きたとき責められるのはこちらだし、起きた後では取り返しがつかない。
そしてこういう自衛本能は女性なら誰でも、程度の差こそあれ、社会性を身に着けるのと同時に身に着けていくものだと思う。だから弱者男性は女性からの支援を受ける点で不利だ。また弱者であることはそれだけで人に生理的嫌悪を催される状態になりやすいということで不利だ。
そうして考えると男性は同性からの支援をいっそう必要としているように思う。結婚して夫がいる今だったら、カレーのおじいさんが気になると言えば夫は間に入ってきっと力になってくれる。おじいさんの息子だって夫がいたらあれほど図々しくやってこなかったかもしれない。
言うまでもなくこれは女だったら誰かが助けてくれるという意味ではない。ホームレスには女児もいる。けれども弱者であり、男性であるということには他の立場で得られる場合がある支援から除外されやすい要因がある。
フェミニズムが弱者男性を生んでいるとは思わない。でも女性が男性を助けることには肉体的、社会的な難しさがはある。だから個人的にはやっぱり男の人たちと一緒に力になることを模索していきたい。自分の父や兄弟たちが、夫が、そんな立場になったら助けてほしいと思うもんな。
執筆: この記事はくたびれはてこさんのブログ『はてこはだいたい家にいる』からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2015年06月03日時点のものです。
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