近未来的なICT化が進む学校教育に潜む落とし穴
文科省も年間1千億円単位の予算で教育のICT化を推進
受験シーズンも佳境に入ってきましたが、最近はiPadなどのタブレットやパソコンといったICT(情報通信技術)を駆使した先進的な授業を取り入れた学校の人気が高いようです。文部科学省も年間1千億円単位の予算を投入して教育のICT化を推進し、2020年度を目途に全国の児童生徒に1人1台の情報端末を導入する計画です。
また、佐賀県武雄市のように、国に先駆けて独自の教育ICT政策を進めている自治体もあります。ICT機器を導入した教育現場からは、学習意欲の増加や知識・理解の定着、コミュニケーションの活発化、情報リテラシーの向上などの「成果」があったと報告されています。
表面的なデジタル化では何も変わらない
しかし、教室をICTで装備することが目的化され、「教科書と鉛筆」を「タブレットとタッチペン」に、「黒板とチョーク」を「パワポとプロジェクター」に置き換えさえすれば、「21世紀の教育だ」と早合点しているケースが多いようにも見受けられます。
それだけでは、日本で100年以上も続いている受動型集団画一教育の「クラス全員が指定された同じ教科書を使い、決められた時間割に沿って、同じ内容の講義を静かに座って聴き、板書をノートに写す」という前近代的な枠組みは変わらぬまま、表面的にデジタル化しただけにすぎません。
教育ICTの真の目的は、21世紀の多様化するニーズに応えること
教育ICTの真の目的は、時代錯誤の集団画一教育を根底から構造的に転換し、21世紀の多様化したニーズに応えること、すなわち「一人ひとりの学力や目標、性格などに見合った個別カリキュラム」を構築し、「誰もが・いつでも・どこでも・自分のペースで必要なことを自律的に学ぶ」環境を提供することです。この従来とは180度正反対の「個別+自律」型教育を手作業で実現するには膨大な時間と労力がかかるため、手段としてテクノロジーを利用するのです。
21世紀の多様性に適応した教育を実現するには、「子どもたち一人ひとりにとって何がベストか」を唯一絶対の基準にして、固定観念や常識、前例、規則といったものを一旦全部捨ててゼロから考え直すことが必要です。例えば、学力や体力に大きな差があるにもかかわらず、全員が同時に6歳の4月に小学校へ、12歳で中学校へ進学することに本当に合理性があるのでしょうか。また、クラスの人数(40人、1年間固定)や年度設定(4月~3月、1か月以上の夏休み)、時間割(毎朝8時半~午後3時に45・50分×6コマ)、教材や試験の時期、宿題の量が全員一律であることの妥当性などです。
今後は経験豊かな教師の重要性が高まっていく
子どもたちの都合を最優先して一人ひとりに合った個別カリキュラムを実現すれば、必然的に時間割は自由化され、教材は個人の選定に委ね、年齢基準の学年は撤廃されます。結果、教室にクラス全員が一同に介して教師の講義を聞いて試験を受ける代わりに、各自の学習予定はカレンダーソフトで管理し、タブレットで映像授業を視聴し、進捗状況はクラウドにリアルタイムで記録されると同時にメールで報告されるようになります。
一方、デジタル化が進んだ21世紀の学校では、教師という職業が不要になるのではないかと心配する声もあります。確かに、単に教科書に書かれた内容を説明して板書する「講義」は、機械に取って代わられるでしょう。しかし、生徒のニーズが個別化・細分化すればするほど、的確にポイントを突いた専門的な指導・助言が不可欠になり、経験豊かな教師の重要性はむしろ高まります。そうなれば、数週間の教育実習だけで、大学卒業後、すぐに教壇に立たせる現在の教員採用制度を再考する必要も出てくるはずです。
(小松 健司/個別指導塾塾長)
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