今の音楽の授業に欠落している「何か」とは
皆さんは、学校での音楽の授業は好きだったでしょうか。あるいは苦手だったでしょうか。苦手だった方のなかには、トラウマレベルだという方もいらっしゃるかもしれません。
近年ではNHK連続テレビ小説「あまちゃん」の音楽でお馴染みのミュージシャン・作曲家の大友良英さんも後者のうちの一人。長年、ミュージシャンとしてシーンの第一線で活躍されている大友さんですが、学校の音楽の時間は嫌いだったのだとか。
そこで大友さんは、学校の音楽の授業が苦手な人でも大丈夫な音楽の授業を目指し、一般参加型の音楽プロジェクトや障がいを持つ人々とのワークショップを各地で開催。本書『学校で教えてくれない音楽』では、そうした実際の授業の様子が記されています。
学校の音楽の授業で教わるのは、まず「ドレミファソラシド」や「音符」の読み方・書き方といったもの。しかし大友さんは、それらは音楽のほんの一部に過ぎないのだといいます。
「世界には、それこそ言葉の数ほどのいろんな音楽があって、『ドレミファ』というのは、そのなかの一つでしかない。もちろん非常に強力な、もっとも普及した音階ではあるけど、例えて言うなら英語が世界中で話されているってのと同じように『ドレミファ』が普及しているだけで、世の中には、日本語もベトナム語もあるように、いろんな音楽が存在します」(本書より)
楽器のスキルや「ドレミファ」という音程が上手くとれるか否かといったことのみが重要なのではなく、そうではないところにも音楽の面白さはあるのだと指摘します。たとえば音楽には「共有する喜び」があるのだと、大友さんは本書の中で綴ります。
「ひとりでリズムを出すだけじゃなく、みなでそのリズムを出し合いながらシェアする。(中略)音楽には間違いなく、複数で音を共有する喜び、一緒に体を動かす喜びがあると思います」
「(中略)みんなが勝手にただ音を出して、楽しそうにしていて、まとまりがあるのか、ないのかも、わからないけど、音がやたら生き生きしている状態。僕にとっては、それはある種の理想郷です」
「今の音楽の授業には、たぶん何かが大きく欠落している」のではないかと、自らの経験を通して語る大友さん。その欠落した部分に焦点を当て、生き生きとした音楽を共有していこうとする大友さんの試みからは、従来の音楽の授業の価値観とはまた異なる、音楽にたいする新たな気づきを得ることが出来るかもしれません。
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