昔は鶴をおせち料理にしていたことも!? 意外に謎が多いおせち料理の由来

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みなさま、あけましておめでとうございます。
ネットを見ながら、テレビをみながらまったりとお過ごしの方も多いかと。

今時は変わってきたようですが、ご実家がある方は帰省されて、ふだん会わない家族と「おせち料理」をつついたりされたりしてる方も多いのではないでしょうか。
ところで、不思議に思いませんか? なぜお正月におせち料理を食べるんでしょう?

農家の女性の休暇のためと神道の祭礼からおせちが生まれたのでは?

なぜ、お正月におせち料理を食べるかということについては、確証のある学説もないようですが、保存食と神道の祭礼から来ているというのが真実味がありそうです。

100年ほど前まで、大多数の日本人は、農耕民族でした。農家が休める時といえば、せいぜい年末年始の一時だけ。農家は家事に加えて朝から農業を手伝わなければなりません。せめて、お正月くらいは女性が休めるように、年末から料理を創って家事から解放しようという習慣があったようです。
福岡発で今や全国区になった「筑前煮」という料理がありますが、地元では「がめ煮」と呼ばれ、年末に大量に作ってお正月の間食べるのが通例でした。

実際、おせち料理は、昭和30年代くらいまで家庭で作ることが一般的でしたが、全国的に味付けを濃くして、腐敗を防ぐ「保存食」としての位置づけでした。
そのことから考えると、家事から女性を解放するための習慣だったというのは信憑性があります。

もう一つ考えられるのは、神道の祭礼から一般に普及したという意見です。もともと、宮中では元旦から小正月(1月15日)までは厳格な食事のしきたりがありました。
その多くは、神道の祭礼にならっています。清酒、濁り酒、半分澱が沈殿した酒、きよきさけ(真水)、塩、栗、野菜、解体していない魚、獅子肉などの獣肉、鶏肉(身分の高い家では鶴が使われていたが、雉などの野鳥が主だったようです)……。
これらを神前にささげた後、集ったみなで食べる習慣がありました。

今でも、おうちを建てる際に地鎮祭を行った後、神前に捧げたものを食べる直会(なおらい)という習慣がありますが、神道では、神様に捧げたものを食べることは、神の力を体に乞う行為だと考えられていました。単にごちそうを食べるだけではなく、神様の力をいただいて、一年を健やかに過ごせるように祈る機会だったとも考えられます。

現在のスタイルのおせち料理は江戸時代から?

宮中では、神事ということもあって、豪華なおせちが食べられていました。一般庶民が、現在のスタイルに近いおせち料理を食べるようになったのは、江戸中期以降ではないかと考えられます。

その根拠ですが、なますなどに使う酢は、もともと日本酒を発酵させて造る調味料だったため、非常に高価でした。江戸時代中期に、酒粕を発酵させて大量に酢を醸造する方法が発明されて、握り寿司が屋台で売られるようになりますが、おそらくその頃と時期が重なるのではないかと思います。

時代の変化にともなって、おせちに使われる食材も変わってきています。

たとえば、栗きんとんなどは、もともと神前に供える箸を作るために、大晦日に栗の木を切って箸を作る習慣の名残ではないかという説があります。

かまぼこも、江戸時代になって調理法が完成したものですから、それ以前のおせち料理にはなかった可能性が高いはずです。
現在も年を追うごとにおせちに使われる食材は変わっていますし、国産のものも珍しくなってきました。子孫繁栄の意味をたくした数の子も、外国産がほとんどになってしまっています。

おせちにつかう食材は時代とともに変わっているとはいえ、新年の幸運を祈る気持ちは変わりません。ありがたくいただきながら、一年が幸運で満ちたものであることを祈りたいですね。

※写真は足成 http://www.ashinari.com/ より

※この記事はガジェ通ウェブライターの「松沢直樹」が執筆しました。あなたもウェブライターになって一緒に執筆しませんか?

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