英語がわからないまま単身渡米 夢を実現した日本人
学生生活の後半になったら就職活動をして、卒業したら会社員として働く、というのは今も昔も学生の進路の主流です。
でも、中には起業したりNPOを立ち上げたりと、この主流とは違った進路を選び、しかも大きな成功を収めてしまう人も。
自分の夢や目標に忠実に生きて、それを実現させてしまう人は、そうでないとどう違うのでしょうか。
このことについて考える時、『頑張る力、創る力 夢をかなえる仕事のルール』(集英社/刊)の著者、RUMIKOさんの生き方はヒントを与えてくれます。
RUMIKOさんはは、メイクアップアーティストを目指して専門学校に行くも、日本にいたままではそれが実現できないと知り、単身ニューヨークに渡ったというツワモノ。しかも、英語もわからないところから、ファッション誌の最高峰『アメリカン・ヴォーグ』のメイクアップを手掛けるところまで登り詰めるという離れ業を成し遂げています。
今回はそのRUMIKOさんにお話をうかがい、夢を叶える秘訣を教えていただきました。
――『頑張る力、創る力夢をかなえる仕事のルール』についてお話をうかがいます。何といっても、夢を追って外国に出ていくRUMIKOさんの行動力には驚かされました。ニューヨークで活躍するメイクアップ・アーティストで、後にRUMIKOさんがアシスタントになるリック・ジレットさんとの出会いがあったとはいえ、20代でニューヨーク行きを決意するということは、よほどの覚悟がないとできないですよね。決意に至った経緯や、そのときの思いについて教えていただけますか。
RUMIKO:メイクの仕事をやりたいと思っていましたが、当時の日本では、まだヘアメイクの仕事しかなく、メイク専門の仕事はありませんでした。そこで、メイクの仕事があるニューヨークを選んだのです。
自分が東京生まれ、東京育ちだったこともあり、外国に行くことで自立ができるという思いもありました。
――ニューヨークで活動をはじめてから、とまどったことや困ったことはありましたか? あれば教えていただけますか。
RUMIKO:外国なので、とまどいは日常茶飯事でした。言葉の問題をはじめとして、文化の違い、生活の仕方もまったく異なりました。
ただ、私の場合は、日本的な考え方より、アメリカ的な思考(自由なところ、まわりを気にしないで生きていけること)が合っていたので、長く住み続けることができました。
――本書を読んで、ひときわ目立つのがRUMIKOさんの前向きさです。この前向きさは、ニューヨークに行ってから培われたのでしょうか。それとも、もともとRUMIKO さんが持っていらっしゃったものでしょうか?
RUMIKO:昔からネガティブではなく、ポジティブな方でしたが、よりポジティブに考えることは、ニューヨークに行ってから、ニューヨークの人たちと仕事をすることで学びました。
(後編につづく)
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