仮装社会コラム エコと経済成長と満足(中部大学教授 武田邦彦)

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仮装社会コラム エコと経済成長と満足(中部大学教授 武田邦彦)

今回は武田邦彦さんのブログ『武田邦彦(中部大学)』からご寄稿いただきました。

仮装社会コラム エコと経済成長と満足(中部大学教授 武田邦彦)

私は高度成長期に会社の技術職で、研究の傍ら原単位や原価の計算、研究が成功して事業化した時の収益などをいつも計算していました。つまり「現場の経済学」から経済を見ていたのですが、一番の問題は「常に売上を上げていかなければならない」という鉄則があることでした。

一言では言えないのですが、国全体の経済成長、他国との競争関係、会社の経営指標、そして国民の満足度、減税など主要な経済を「良く」していくためには絶え間ない売上高アップが必要なのです。

仮に世界には日本しかなく、人に向上心がなければ別ですが、実際には世界には多くの国があり、人に向上心(より良い生活を求める欲求)がある限り、「成長地獄(現在に留まっていては死ぬという企業の宿命)」が残るのです。私が先回、仮装社会で整理したのは、バブルの崩壊の後、「成長地獄」から脱皮しなければならないと主張していた経済学者も多かったのですが、具体的に、「国際競争力、人の向上心」などを含んだ広範な理論を構築した人はいなかったように思います。

「今後は今までのように無限な成長ができないのだから、制限された状態での論理を構築しなければならない」という「ねばならない論」だけだったように思います。そして私の指摘は(最終的な結論は別にして)、高度成長期に高度成長が終わったらどういう状態になるかわかっているのに、なにをやっていたの?ということなのです。「だからどうする」はこのシリーズの結論までかかるのですが、とりあえず、私たちは一所懸命働いていた時に、その目的(形式的に所得が欧米並みになる)が達成されたとき、真なる目的(より豊かな生活)をどのようにして達成するか、誰が考えていたのか?という問なのです。

第二次世界大戦が始まった後、日本が必死に闘っている時に、すでに欧米は「戦後の経済体制」をブレトンウッズのマウント・ワシントン・ホテルで国際会議を重ねていた。私が指摘したかったのは、日本は果たして「高度成長」のさなかに「高度成長をいつまで続け、その後、どうするのか」についての国民的議論をせず、単に「高度成長」という行為のみに走ったのではないか、その点では、大人とは言えず、子供のような社会ではないかということです。

高度成長期前期は年平均経済成長率が9%、後半は4.5%程度だったのですが、欧米は成熟社会に入って2%程度の成長率でした。それでも現在のアメリカ(バブル崩壊からすでに25年ほどを経ている)はまだ「エコ」や「温暖化対策」などは現実的にやっていません。アメリカやヨーロッパは日本より10年から20年は発展が早かったので、少なくとも日本も1990年から30年か40年あまり、つまりはせっかく努力して豊かになった社会で、「石油が枯渇するとかゴミが溢れる、温暖化する」などと言わずに、「標準的な経済成長」のもとでまずは目的だった「欧米並みの生活」をしてみるのが普通の考えだったのではないか、それが仮装社会の一つの原因となり、現在の締めつけられるような社会をもたらしたのではないか、と思うのです。

私は1990年まで日本では「成長後の社会」が国民的議論にならず、それは現在でも同じで、はっきりとした成長論、人生論を持たずに、とりあえず日銀総裁が言うから2%のインフレターゲットということでまた同じように進んでいるのではないかと考えています。

バッシングしたり、STAP事件のようにイジメたりすることに熱意を燃やすのではなく、「どうするべきか」に関心と議論を集中したいと思っています。

執筆: この記事は武田邦彦さんのブログ『武田邦彦(中部大学)』からご寄稿いただきました。

寄稿いただいた記事は2014年10月28日時点のものです。

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