単純には喜べない青色レーザーダイオードのノーベル賞。日本ではゼロから1を作った人がリスペクトされるのか?(中央大学教授 竹内健)
今回は竹内 健さんのブログ『竹内研究室の日記』からご寄稿いただきました。
※この記事は2014年10月07日に書かれたものです。
単純には喜べない青色レーザーダイオードのノーベル賞。日本ではゼロから1を作った人がリスペクトされるのか?(中央大学教授 竹内健)
青色レーザーダイオードを実現した赤崎先生、天野先生、中村修二さんがノーベル賞を受賞されました。本当におめでとうございます。
特に中村修二さんは企業(日亜化学)での仕事で受賞したわけですから、私は中村さんよりも下の世代ですが、企業で技術者だった私は大変勇気づけられました。
大変失礼な言い方をすると、赤崎先生は偉すぎて雲の上の存在ですが、中村修二さんならひょっとしたら自分もなれるかもと、企業などで実用研究をしている技術者にも思われるところがあるのが、今回のノーベル賞は良いですね。
また実は私は学部、修士の時に青色レーザーに関連する研究をしていたので、昔(学生時代)を思い出して感慨もひとしおです。
当時は青色レーザーを目指して、今回受賞したGaNとZnSeが激しく競争。いずれの陣営も日本の企業・大学が中心で、「日本を制したものが世界を制する」という、日本の黄金期でした。
私は「負け組」であるZnSe陣営で、青色レーザーの実現を目指す企業の方と組んで、基礎的な物性の研究をしていました。
負け組の下っ端ながらも、熱い戦いの渦中に居られたことは、自分にとってかけがえのない経験でした。
私は修士を卒業後、東芝に就職。こちらもノーベル賞の候補者と言われる、フラッシュメモリの発明者、舛岡先生のご指導の下、フラッシュメモリの開発に取り組みました。
幸いにもフラッシュメモリの開発は成功し、こちらは「勝ち組」の一員になりました。
学部、修士、企業と長い間、ノーベル賞を取るようなコミュニティの中で仕事ができたのは、凡才の自分にとってもかけがえのない良い経験でした。
やはり、飛び切り優秀な人は、周囲にも波及効果が大きいですからね。
あの当時の熱気を思い出すと、もう一度、元気のある日本を取り戻したい、それが自分の責任だと改めて思いました。
ノーベル賞にうれしく思う一方、ノーベル賞のプレスリリースに中村修二さんが「American」と書かれていたのは、最初は誤植ではないかと思いました。
うそだろう・・・と思いたい。
中村修二さんはかねてから日本の中での技術者の扱われ方に批判的でした。
ただ、その批判も、「日本を何とか変えたい」という熱い思いからなんだろうな、と「中村語録」を愛読していました。
それが国籍まで変えられているとは・・・
個人の事情は他人にはわかりませんが、いろいろな思いをされたのだろうなとご本人の心中を思うにつけ、ショックであり、とてもやるせない思いを感じました。
中村修二さんが青色レーザーを立ち上げた日亜化学を辞めてUCサンタバーバラに移られたちょうど後に、私は同じ西海岸のスタンフォードに留学しました。
私も日本企業のエンジニアでしたので、最初に技術を立ち上げた人が、なかなか日本の組織では報われないことを感じていました。
中村修二さんは青色レーザーを開発した当時に在籍した日亜化学を特許の報酬が十分でないと訴えました。
私のかつての上司の舛岡先生も同様に古巣の東芝を訴えました。
私もいわば、エンジニアが古巣の企業を訴える渦中にいたわけですが、エンジニアはお金が欲しくて訴えるわけではないと思うのです。
「報われない」「リスペクトされない」という悔しさが、訴訟に駆り立てるのではないでしょうか。
そんな中、私も留学中は色々な思いがありましたが、結局は日本に戻って頑張ることを選択したわけです。
人にはそれぞれの道があって、日本に戻るという、自分の選択を後悔しているわけではありません。
それでも中村修二さんが国籍を変える決断をされた、というのは、大変衝撃を受けました。
古くは、江崎玲於奈さんもソニーでの仕事でノーベル賞を取りましたが、受賞時の所属は米国のIBMでした。
日本でノーベル賞を取るような仕事をした人が、その後、米国に渡るのは以前から良くあることだったのです。
これから日本が元気を取り戻すには、エンジニアに限りませんが、新しいことにチャレンジした人をリスペクトすることは絶対に必要でしょう。
私が新人の時に上司の舛岡先生が仰った言葉を思い出しました。
「ゼロから1を作った奴は、1を100、1000にした奴よりも偉いんだ」
日本はゼロから1を生み出した人をリスペクトするようになっているのでしょうか。
日本の組織も少しずつは変わっていますが、周囲からバカにされながらも新しいことを始めた人を、成功した後になってからは、
「周囲のサポートがあったからだ」
「あいつ一人の手柄ではない」
などと言ったり、ひどい場合には
「実は俺がやったんだ」
と成果を横取りすることが少なくないのではないでしょうか。
海外への人材の流出はノーベル賞レベルだけでなく身近な所でも起こっています。
技術者だけに限る話ではないと思いますが、まずはパイオニアをリスペクトするようにならないと、日本の復活はないのではないかと思わされたノーベル賞でした。
執筆: この記事は竹内 健さんのブログ『竹内研究室の日記』からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2014年10月09日時点のものです。
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