第3回 将棋電王戦 第2局(筆者・河口俊彦 将棋棋士七段)

 いきなり指し手の話で恐縮だが、先手番のやねうら王が初手の▲1六歩と突き、以下△3四歩▲7六歩△8四歩▲1五歩と進んだ。それが第1図の場面だが、ここまで見て、やねうら王も味なことをやる、と感心した。

 棋史に名を残す、阪田三吉と木村義雄が戦った「南禅寺の決戦」で、阪田が後手番の一手目に△9四歩と端歩を突いたのは、ご存知の方も多いだろう。

 世間は驚いたが真意は誰にもわからず、以来「謎の一手」と言うことになっていた。

 それが十年くらい前から後手一手損換戦法が多く指されるようになり、阪田の端歩も不思議な手とは思われなくなった。第1図も、▲9五歩を序盤に於いては不急の一手と見れば「南禅寺の決戦」と先後を入れ替えた、本質的には同じ局面とも言える。要するに、相手の出方を見る、という意味なのである。イギリスの古い諺は「真理は時の娘」と言っているが、歳月はいろいろな事を教えてくれる。

 さて、対局場は両国の国技館。土俵の上に舞台を作り、そこで対局するわけだが、最初だけ立会いの有野七段と並んで私も盤側に座った。そうして広い館内を見渡しているうち40年も昔の思い出が甦ってきた。

 昔話のついでにそれを書くと、昭和50年、「将棋の日」が制定されたのを記念して、先代の蔵前国技館で第1回の催しが行われた。

 まず十段戦の中原誠対大山康晴戦が戦われ、それが序盤だけで終ると、指導対局やら棋士多数による連将棋などあった。八千人ものファンが集まり、催しは大成功だった。この企画から実行まで、総てを取り仕切ったのは芹澤博文で、彼も大いに気をよくした。

 ところが、後に請求書が将棋連盟に来ると、その金額の莫大さに理事会は仰天した。そして芹澤はきつく叱責されたそうである。接待と称して連日、銀座、赤坂あたりのクラブ、料亭でドンチャン騒ぎをしていたから、叱られても仕方ないが、それにしても大らかな時代だった。

 戦型は「四間飛車」対「居飛車穴熊」となった(第2図)。またまた昔話になるが、これは30年も昔、盛んに指された戦型である。私も振り飛車党だったので、ずい分指したが、いつもひどい目にあったものだった。

 第2図からの指し手。

△8六歩 ▲同角  △7五歩 ▲2五桂
△5一角 ▲7五歩 △2四歩 ▲1三桂成
△同銀  ▲7四歩 △2二銀 ▲1四歩

 はやる気持ちをおさえかねたか、佐藤は△8六歩と仕掛けた、自信はあったのだろうが、これが敗因の一つとなった。もっとも、この後の進行中、佐藤有利と思われる場面もあったから、△8六歩を悪手と言うことはできないが、結果的には、やねうら王ペースとなった。

 △8六歩では、△4二金引と固め、以下先手が▲2六歩から「銀冠り」に組んだら△3二金寄とさらに固める。これが振り飛車側には嫌なのである。昔はみんなそう指した。

 △8六歩を▲同角は意外。△同歩以外は考えられないところだ。私は控室でもっぱら、一丸さん(ツツカナ)と竹内さん(習甦)のところにいて、ツツカナの読み筋をパソコンの画面で見ていたのだが、アナログ老人には驚異的な精密さだった。第2図から第3図あたりまではそれほどでなかったが、その後に目を見張ったのである。たしかに終盤はめちゃくちゃ凄い。

 一例を上げれば、第3図からのツツカナの予想手順は、△3二金から△2三銀の組み替えで、そうして△2二玉と上れば、端の勢力関係は後手が有利になる。桂得の利がはっきりする、という理屈である。

 こうした考え方は、人間にはできない。穴熊にもぐった流れにこだわってしまう。コンピュータのセンスがよいのは、第1戦の最終手△6七歩成ですでに見せつけられた。あの局面は、プロ用語で言う「どうやっても勝ち」で、勝ち方はいろいろあっただろう。その中で習甦は△6七歩成を選んだ。私はすっかり感嘆し、竹内さんに「谷川浩司を思わせる」と言ったのだった。

■やねうら王、会心の指しまわし

 局面は進み、佐藤が△8三飛と浮き、▲6三歩成を受けたのが第4図。

 佐藤は人生の苦難をすべて背負いこんだ(ちょっとオーバーか)ような表情である。形勢が思わしくないからではない。第一手目を指すときから同じ表情なのだ。だから名物棋士なのだが、これを機会に佐藤ファンが増えることだろう。

 第4図からが本局のハイライト。ここからやねうら王は会心の手順を見せる。

 △7三歩成と成り捨てたのがうまい。▲同飛と取らせて△6五飛と出たところは、後手が困っている。

 ツツカナの評価値は千点を越えた。やねうら王はどうなのだろうと、特に中継室に入れてもらい、遠山五段と共に、やねうら王の読み筋を見た。やはり△7三歩成と△6五飛の二手を指したところで評価値がぐんと上っている。必勝の形勢と読んでいるのだ。

 「やっぱりな」と遠山君の呟きも力がない。彼は電王戦に深くかかわっているから、勝負が一方的になるのはおもしろくないのだろう。

 傍観者たる私だって同じだ。控室に戻ると第3戦の登場する豊島七段がいた。

 「君、第3局はしっかり勝ってくれよ。将棋界の命運は君にかかっているんだ」

と言うと、すかさず片上六段が

 「先生はプレッシャーをかけますね」

 なに本当に強い棋士は、プレッシャーがかかったときは、さらに強くなるものだ。

 当の豊島君は、どこ吹く風と反応がなかった。こういうところが、かえって頼もしい。

■戦い終えて

 突然控室が騒然としてきた。「逆転したか」の声も聞えてくる。声色から察するに、多くの人がプロ棋士を応援しているのだ。一年前と様変りである。さらに、コンピュータが定評ある終盤で誤ったらしい、というのも興奮の一因になっていたのだろう。

 その局面が第5図で、佐藤が△6三香と打ったところ。次に、うっかり▲3一角成は△同銀▲6三飛成のとき、△2八角で詰み。もちろんこんなヘマをコンピュータは絶対にやらない。ツツカナの評価値も急激に下がって、百点になっている。まだやねうら王がやや有利、という判断だ。

 しかし、コンピュータの読みを見ていた私は、やはり佐藤が勝てないだろうと思った。

 第5図からの指し手

 ▲2五飛 △6四香 ▲4八金引 △6七香成
 ▲3二金 △2四歩 ▲6五飛(第6図)

 角を見捨てて▲2五飛が冷静。△6四香には▲4八金引と玉を広くして、先手玉は容易に寄らない形になった。ここで大勢、決したのである。

 実を言うと、△6三香と打たれた局面でもやはり佐藤が勝てない、と私は思っていた。というのも、ツツカナは、▲2五飛から△4八金引までを早くから読んでいたからである。なら、やねうら王も当然読んでいるに決っている。

 佐藤は眼鏡をかけた。左肘を脇息にかけ、手のひらで俯いた額をささえている。それは何よりも佐藤の非勢をあらわしていた。  

 第6図から一分のすきもなく寄せ切って、やねうら王の勝ち。佐藤もよく戦ったが、やねうら王が強すぎた。

 終ってから磯崎さんに「第2図のところでは、後手△4二金引がよく指されたんですけどね」と言ったら「それも予想していました」これには絶句。まるで大山名人みたいだ。

 将棋に於いて、コンピュータが人間にどれだけ戦えるか、というところから電王戦が始まり、世の関心を呼んだ。

 それからたった一年で、人間がコンピュータに勝てるか、と逆転してしまった気配である。仕方ない、と言う人もいるが、私はやっぱりまだ人間の方が強いと思いたい。くり返すが、豊島七段以下の諸君には、ぜひ勝ってもらいたい。

◇関連サイト
・[ニコニコ生放送]第3回 将棋電王戦 第2局 佐藤紳哉六段 vs やねうら王
http://live.nicovideo.jp/watch/lv161973445?po=newsgetnews&ref=news
・[ニコニコ静画]第2局 佐藤紳哉 六段 vs やねうら王
http://seiga.nicovideo.jp/watch/mg85595

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