日本の教育の「あるべき」論
今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
日本の教育の「あるべき」論
別エントリでも書いたが、高額な奨学金返済の話、問題点を整理できてないので、ワヤクチャになっている。
一つは返せない借金をすべきか?という話。まあ俺はこれは興味ないのでどうでもいい。もう一つが本題で、教育をどこまで無償化すべきか?という点。奨学金の問題というのは、つきつめれば教育の無償化の問題。
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現在は中学までが義務教育だが、もっとむかし江戸時代とかはそうではなかっただろう。最近はなにかと「江戸時代は低コストでみんな幸せにいきていた」と賛美する人が少なくないが、低コストというのはそういうことだ。医療も発達していないから病気になったら死ぬ。それはそれでいいと思うけど、現代社会がなぜ高コストになっているかを考えずに、江戸時代を賛美しても意味ないと思うんだけどね。
時代は移り変わるもので最近は高校の無償化という話もでてきた。これは時代の要請と捉えることもできるだろう。つまり明治や昭和の頃は中卒が社会に出て働くのに必要な教育の最低ラインと考えられていたが、現代では要求水準が上がり高卒が最低ラインになったと考えることができる。なのでそれに合わせて高校を義務教育化しつつあるわけだ(まだ、そこまでは行ってないけど)。
となると大学の無償化は、さらに社会が要求する最低限の教育水準が大卒になったと認めることと等価。俺はそうは思わないけど、そういう時代がくる可能性はないことはない。
でもそうすると次は大学院とかの無償化になるよね…。なんかどんどんインフレしている(苦笑)。
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ということで論じるべきは、このまま社会が要求する最低限の教育水準をインフレさせていいのか?そもそもインフレしているのか?という点だろう。
教育には時間がかかるから、このままインフレするとどんどん社会にでるまでの時間が長くなり、労働力は減り、一方で教育コストは増えていく。そのうち社会人の最初の3年間はお試し期間として給料を保証すべきだとかいうことになりかねない。はたしてそれがよいのか?
別に悪いと行ってるわけではないので念のため。でもそうなると社会構造がかなり変わるよね。それが吉とでるか凶と出るか…。そもそもそんな冒険をすべきなのか(ソ連は史上初の共産主義国家建設という大冒険をして、ものの見事に失敗してしまった)。
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一方で大学にいっても就職に役に立たないという人々がいる。しかも大学を無償化すべきという人が同時に両方を主張してたりする。役に立たないなら、大学に行かせるべきではないだろう。彼らが主張すべきは、就職で大卒を優遇する風潮を抑制すべきというもののはず。
こういう人は、中途半端に目先の問題を考えているから、こうした支離滅裂な主張になる。大学を卒業しても思うように就職できない人がいる→もっと就職に有利な教育をすべき。大学の学費が払えない人がいる→学費の負担を軽減すべき。という思考。
そこから俯瞰して、就職に役に立たない大学をそもそもやめるべきでは、というメタな思考に至らない。なんかこの手の人たちは自分たちこそ国家の将来の長期的な方向を憂えているつもりになってるけど、すごく近視眼的なんだよね。物事を根本にさかのぼって考えようとしない。とにかく目先の問題をなんとかしなくっちゃ、後のことは知らん、という短絡的な思考。
執筆: この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2013年10月16日時点のものです。
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