人を殺した記憶と、どう向き合うのか…… 戦争体験を語り続けた「ネルソンさん」の苦悩
第83回ヴェネチア国際映画祭で「レオンチーノ・ドーロ賞(金の小獅子賞)」を受賞した映画『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』(塚本晋也監督)。今回紹介する書籍『「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」 ベトナム帰還兵が語る「ほんとうの戦争」』は、同映画の原作となったノンフィクションです。
著者のアレン・ネルソンさんは、1947年、アフリカ系アメリカ人(黒人)の家庭に生まれました。当時のアメリカ社会は人種差別も激しく、シングルマザーのネルソンさんの母親が充分な収入を得るのは難しい時代でした。学校にも居場所がなかったネルソンさんは、高校中退後は職を転々とします。そして1965年、貧困の連鎖から抜け出したいという思いから海兵隊への入隊を決めたのでした。
18歳の青年を待っていたのは、上官の命令には絶対服従、人間としての思考力を奪う過酷な訓練でした。戦地でためらわずに人を殺せるように、ベトナム人を「グークス」(本書より)という蔑称で呼ぶ教育がされました。本書には、最前線に向かう前の1カ月間、沖縄でこうした教育が徹底的に行われたことも記されています。
そして、実際のベトナム戦争でも人種差別の苛烈な現実が待っていました。
「それは、最前線の兵士にはなぜか黒人が多いということでした。アメリカの人口にしめる黒人の割合よりも、最前線で戦う部隊での黒人の割合のほうが、ずっと多いように感じられたのでした」(本書より)
本国では白人から「ニガー」(本書より)と呼ばれ、差別された黒人兵が、今度は、東洋人は自分たちと同じ人間ではない「グークス」(本書より)だから殺してもよいという論理に従わせられる、陰惨な構図があったのです。
ベトナムから帰還したネルソンさんは、深刻なPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しみ、家族関係も破綻してしまいます。フラッシュバックに苦しむなかでの精神科医との出会いと、再会した同級生からの、地元の小学校で戦争体験を語ってほしいという依頼を転機に、少しずつ加害行為に向き合い、回復への道を歩んでいきます。本書では、小学校の教室に掲示されていた、黒人差別への抗議と反戦を訴えたキング牧師の写真を見つめる場面が象徴的に描かれています。
ネルソンさんの後半生を語る上で欠かせないのが、沖縄との関わりです。契機となったのは、1995年9月に沖縄で起きた、海兵隊員による少女暴行事件のニュースでした。
「被害者が、娘のロビンとそれほど歳のちがわない子どもだったことに、わたしは強いショックを受けました」(本書より)
ベトナムに向かう前の訓練で植え付けられた、東洋人を人とみなさないという意識は、当然のように沖縄の人々にも向けられていました。沖縄の歓楽街で浴びるように酒を飲み、タクシー代金の踏み倒しや、女性への性暴力をしても、基地の中に入ってしまえば、米軍からは一切とがめられることはなかったといいます。かつての自分の加害を悔いるとともに、ベトナム戦争が終結し20年以上が経過しても米軍は撤退せずに駐留し続けていた事実に、ネルソンさんは驚きます。
そして、自分も何かしなければ、という思いから翌1996年には沖縄を訪れ、やがて米軍基地建設反対運動にも精力的に関わります。本書の「あとがきにかえて」では、生前のネルソンさんと親交が深かった人々が、平和活動家としての彼の素顔を寄せています。
そこでは、辺野古での基地反対運動中、海上保安庁の船舶に抗議活動を妨害されたネルソンさんが、衝動的に「あいつらを殺したい」(本書より)と思ったというエピソードが紹介されています。
そして「こんな私はどうしたらいいのだ。人には非暴力を説き、自分自身もたくさんの人を殺して、そのことに死ぬほど苦しんできた。にもかかわらず、まだ私の中から暴力が消えていない。こんな私はどうしたらいいのだ」(本書より)と、苦悩する自身の姿を見せていたと明かされています。
2009年に、枯葉剤の影響による多発性骨髄腫で、61歳で亡くなるまで、平和活動家として後半生を捧げたネルソンさん。自分のなかに残る暴力性と向き合い、反戦への強い意思を語った本書は、一人の元海兵隊員の終わらない戦いを伝える、貴重な証言です。
[文・山口幸映]
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