子どもからお年寄りが共に暮らし、最期まで自分らしくいられる「ライフの学校」。高齢者施設・保育所・交流施設を一体化した地域に開かれた居場所|仙台市若林区

子どもからお年寄りが共に暮らし、最期まで自分らしくいられる「ライフの学校」。高齢者施設・保育所・交流施設を一体化した地域に開かれた居場所|仙台市若林区

宮城県仙台市若林区に、社会福祉法人でありながら“学校”を名乗る施設がある。「ライフの学校」は、地域にひらかれた場所。そこには、年齢や立場を越えて人が行き交い、暮らしの延長で支えあい、学びあう光景が広がっていた。なぜこんな場が生まれたのかーー、田中伸弥(たなか・のぶや)理事長に聞いた。

「分けない」を掲げ、暮らしを耕す。ライフの学校の思想と全体像

社会福祉法人「ライフの学校」は、2007年に「社会福祉法人ウエル千寿会」として設立、以来特別養護老人ホームを中心に事業を広げてきた。2020年、法人名を「ライフの学校」へ改めたのは、福祉施設を“地域にひらかれた学びの場”として再定義するためだ。高齢者、障害のある人(※)、子ども、地域住民、スタッフ、そのすべての人々が暮らしの延長線上で交わり、支えあい、学びあう場をつくることを目指している。

※ライフの学校では、「個人に障害があるのではなく、社会の側に障害(バリア)がある」という考え(社会モデル)から「障害者」と表記。また、各拠点を「施設」ではなく暮らしと学びの「キャンパス」、働く人を「職員」ではなく共に歩む「パートナー(スタッフ)」と呼ぶ。

ライフの学校 萩の風キャンパス

ライフの学校「萩の風キャンパス」には特別養護老人ホーム、地域密着型特別養護老人ホーム、共生型デイサービスセンター、居住支援センター、相談支援センターなどが集結する(写真撮影/難波明彦)

2020年の名称変更にあわせ、ミッションも「支えあって、学びあって、すべての人の人生を豊かに」へと刷新された。この理念を、社会福祉法人としてどう地域で実践していくのか。田中さんはこう語る。

「社会福祉法人は非課税という優遇措置を受けているからこそ、利益追求ではなく、地域で困りごとを抱えた人の開かれた依存先となる責任があります。昭和の日本にあった地域コミュニティのような逃げ場や心の拠りどころとなる『中間集団』を複数もつことが重要で、ライフの学校は、この『中間集団』になることを目指しています」(田中さん)

田中伸弥さん

2011年に「ライフの学校」に入職、2016年に特別養護老人ホームの施設長、2019年より理事長兼統括施設長に就任した田中伸弥さん(撮影/難波明彦)

それを実践する方法が、“分けない”アプローチだ。高齢者と障害者、子どもといった属性で分けない。障害名(精神・知的・身体)で分けない。スタッフとパートナー(利用者)の立場も固定しない。ケアは一方向ではなく双方向であるべき、という考えから、多様な人が混在し関わり、各自が役割を担い、そこから学びが生まれている。

例えば、「雑巾縫い教室」は、認知症高齢者が隣接する幼稚園の年中児に雑巾縫いを教える教室で、週1回、10年以上も続く取り組みだ。高齢者は施設の中にいるとケアを受ける側だが、外に開くことで教える側(ケアをする側)になり子どもたちに元気づけられイキイキとする。子どもは老いを自然に受け入れ、そこに学びがある。こうして「ケアの双方向性」が自然に育っていく。

高齢者と子どもが交流する様子

高齢者と子どもが日常的に自然に交流し、季節の行事などを一緒に行うなど、世代間の壁を取り払う(写真提供/ライフの学校)

また、無料の「学習支援教室」も、地域の教育課題に応えた継続的な取り組みだ。毎週金曜日に小学生10名を対象に元校長先生がボランティアで学習をサポートする。

学習支援教室の様子

宿題を通して学習習慣を身に付けることを目的とした「学習支援教室」風景。10名定員、違う学校や学年の生徒が同じ空間で学び、人とのつながりも生まれている(写真提供/ライフの学校)

また、毎週土曜日に行う、人生の物語を語り合う「ライフストーリー学」、人生の最期について考える「オープン看取り学」、子どもたちが先生になる「ちびっこ先生」などのオープンイベントも、2020年から継続している。ほか、駄菓子屋、子ども食堂、障害者就労支援も双方向のケアが生まれる取り組みだ。

毎月第3土曜日にオープンしている子ども食堂の様子

毎月第3土曜日にオープンしている子ども食堂「おかえり」。地域のボランティアが手づくりしたご飯を低料金で提供、子どもも高齢者もテーブルを囲んで食べるのが楽しそう(撮影/難波明彦)

駄菓子屋 紙ふうせん

駄菓子屋「紙ふうせん」。子どもたちが買った品物を高齢者が会計し、そのやりとりも自然な交流のひとつになっている。みんなに可愛がられている猫の「ふうた」は県外から移住してきたデイサービスのパートナー(※ライフの学校では利用者をパートナーと呼ぶ、以下パートナー)が週3回来て世話をしてくれている(撮影/難波明彦)

ライフの学校は、2020年以降、コロナ禍5年間で事業領域を広げてきた。高齢者福祉、障害福祉、児童福祉、保育、就労支援、医療(内科・歯科)など、幅広い分野を担うようになり、現在は仙台市内に6つのキャンパス(萩の風・六郷・幸町・霞目・上飯田・新田)と「みんなの畑」を展開。福祉施設の枠を越え、地域の暮らしそのものを耕す「学びの拠点」として進化し続けている。

壁を壊す発想はどこから生まれたのか。田中理事長の原点

ライフの学校の「分けない」「ひらく」「学びあう」という独自の取り組みは、田中さんが若い頃に直面した“いのち”の場面と、震災での気づきから生まれたものだ。

嫁入りの庭

誰でも自由に利用できる「嫁入りの庭」は、古い電信柱や梁、柱などをベンチなどにリメイクしてつくりあげた。井戸は子どもたちが手洗いや水遊びに使い、震災時の緊急用の生活用水としても確保(撮影/難波明彦)

「私が25歳のとき、兄がバイク事故で意識不明の重体になりました。その後、兄の命は助かりましたが、26歳のときに母が末期がんで余命半年の診断を受けました。当時は緩和ケアがまだ十分ではなく、母は最期まで苦しんで旅立ちました」と田中さんは振り返る。

それまで医療法人で働いていた田中さんは、家族ケアの当事者となり、「人は最期を迎えるその時まで自分らしく過ごせているのだろうか」という疑問を抱くようになった。そして16年前、29歳のとき、現在の「ライフの学校」へとつながる前身の社会福祉法人に入職した。

その直後、東日本大震災が起きた。田中さんが入職した、現在の「ライフの学校」へとつながる前身の特別養護老人ホームは、海から3.5kmの沿岸部にあった。その屋上に、地域住民が避難してきた。「ここ、老人ホームだったんですか?」という住民の言葉に田中さんは驚いた。開設から3年経っても、地域の人は、生け垣に囲まれたその施設の存在を知らなかったのだ。

「有事のときだけ気づいて助け合うのでは遅い。平時から顔の見える関係がなければ、地域は守れない」。震災後、田中さんは地域の高齢者と一緒に、生け垣をチェーンソーで切り倒した。

庭園

生け垣を撤去し、建築家・校長・市民センター館長・民生委員らとのワークショップを通じて石をテーマにした庭園を整備。庭には柿・梨・リンゴ・ビワなどの果樹も植えられている(撮影/難波明彦)

田中さんは「REプロジェクト」として施設と地域を隔てていた約2メートルの壁を壊し、庭をひらき、井戸を掘り、古い家具や道具を集めて“嫁入りの庭”をつくった。 壁を壊すことは、地域との関係を取り戻す象徴的な行為だった。

兄の事故で感じた「人として向き合うこと」と、 母の看取りで抱いた「その人らしい最期への問い」。 震災で突きつけられた「地域との断絶」。ライフの学校の「分けない」「ひらく」「学びあう」という哲学は、こうした個人的な経験と震災での気づきから生まれた。

「支えられる側」から「支える側」へ。役割が人を強くする

ライフの学校の哲学・ミッションは、施設や地域の中で実践を通じて少しずつ形になっていった。効率化のための「分断」「分別」「分業」ではなく、状況に応じた柔軟な対応を大切にしている姿勢が明確にわかるいくつかの事例を見ていこう。

■ダウン症の女性/「障害者ばかりでつまらない」から役割の再発見へ
近隣の障害者施設に通っていたダウン症の女性は、「障害者ばかりでつまらない」と通所を拒否するようになった。ライフの学校は「ボランティアに来ませんか」と誘い、高齢者の洗濯物を畳む作業を依頼。「ありがとう」と感謝され、必要とされる感覚を取り戻すと、毎日笑顔で帰宅するようになった。それまで“ケアされる側”だった方が、暮らしの中で自然に役割を果たせる場をつくることで、ケアする側にもなれる「分けない共生型ケア」の原型だ。この事例が障害児事業のきっかけになった。

地域の子どもや親、地域のボランティア、職員、高齢者や障害のある人が集まりにぎやか

地域の子どもや親、地域のボランティア、職員、高齢者や障害のある人が集まり、にぎやか。子どもの笑い声が聞こえ、食事の匂いや食器の音、ボランティアの声掛けが混じる(撮影/難波明彦)

■就労継続支援センターのAさん/多様な登場人物の「居場所」になる
就労継続支援センターのパートナー、Aさんは、学生時代に統合失調症を発症。入退院を繰り返すなど、ほかの通所施設は1年も続かなかったが、ライフの学校の多様な人がそれぞれ役割を持って働いている就労の形態が馴染み、就労時間を段階的に増やし、現在は正社員として働いている。Aさんが描いた絵やデザインはブランドとコラボを実現している。「役割が社会につながる」実感がAさんを支え、ライフの学校の就労継続支援センターに通ってから早5年、一度も入院することなく現在も働いている。

イベントの看板

イベントの看板の絵や子ども食堂紹介のチラシなどにもAさんの絵が使われ、地域の方の目にふれる。地元新聞社の美術展に絵を出展。利用者を元気づけようと似顔絵を描いてプレゼントして喜ばれたこともある(写真撮影/難波明彦)

ここでも、障害名で枠にはめず“できること”を丁寧に探し、尊厳を取り戻す支援を続ける。制度より、その人の「心の動き」を大切にする姿勢がある。

■知的障害Yさんの物語/母子分離の壁を越えた共生のかたち
知的障害のYさんは、母親と二人暮らし。母親が認知症になり介護が必要になり、二人暮らしを続けるのが難しくなった。介護度や制度上、障害者と高齢者は別々の施設になるため、本来はYさんと母親は別々の施設に入るしかないが、Yさんが共生型ショートステイを利用し、母親は特別養護老人ホームに入居し、同じ建物内で親子が暮らせるよう段取りをつけた。その後9カ月間、母親を看取るまで、同じ屋根の下で行き来しながら暮らした。

Yさんの部屋

趣味の車やフィギュアなどのコレクションが整然と並ぶYさんの部屋。亡くなった両親の写真に手を合わせるのが日課だ。Yさんのお母さんの人生の振り返りを職員が聞き書きして本にまとめた「ライフストーリーブック」を見て懐かしむこともできる(撮影/難波明彦)

介護制度上、親子で最期を過ごせる場所はほとんどないが、マニュアル通りではなく「その人の心にどう働きかけるか」を軸にしたケア。パートナー(職員)は母親の不安に寄り添い、「お母さんの気持ちで見守りたい」とYさんが安心できる環境を整え、母子分離の難題を乗り越えた。

医療的ケアが必要な人の生活空間に子どもが入ることは一般の施設ではほぼない。ライフの学校では、「危険を排除するために閉じる(排除する)のではなく、どうすれば開いたまま安全を保てるかを考える。双方向のケアが当たり前に起きる環境だからこそ、こういう関係が自然と育っていく。

地域の風景がどう変わったか。「変化」ではなく「関係が増えた」

ライフの学校は、壁を壊し、庭をひらいたことでどう変わったのか。「変わったというより、関係が増えたという表現が正確です。子どもたちや住民の出入りが増え、交流人口が明らかに増加しました」と田中さんは語る。

この庭が生まれた背景にあるのは、2016年の「津久井やまゆり園事件」だ。知的障害者福祉施設に元職員が侵入し、施設の利用者を多数傷つけ、19人の入所者が亡くなった殺傷事件だ。国は「壁を作り、カメラを増やす」方向に動いたが、ライフの学校は逆を選んだ。「短期的なリスク管理や新しい制度の増設ではなく、根本的な問題解決が必要です。もし、幼少期から障害者や高齢者など多様な人と自然に関わり、無条件に肯定し合う経験があれば、20年後に某死刑囚のような偏見や差別の思想をもたないのではないか、と思います。ライフの学校は、今は見えない20年後の社会に投資しているつもりです」と田中さん。そして、「閉じる」のではなく、「開き続ける」ことを選んだ。

こうした関係の増加は、子どもの成長の記録にも表れている。「小学生のころは駄菓子屋や子ども食堂に通い、学習支援教室で宿題をし、ウィークエンドプログラムのちびっこ先生になる。中学生になると図書館で勉強し、高校受験を経て、やがて職員として戻ってくる子どもがいるかもしれない。こういう形で続いていく実際の記録があることは、『ひとつの正解』だと思います。けれども本当の評価は10年後、20年後の子どもたちがどう生きているかです」(田中さん)。目先の成果ではなく、地域で育つ“人生の軌跡”を見ているのだ。

ライフの図書館

「萩の風キャンパス」4階にある「ライフの図書館」は中学生以上が利用可能。初回に行う利用登録は既に200名が登録済み。昭和初期の希少な本なども所蔵され、貸し出しも可能(撮影/難波明彦)

ライフストーリーブック

利用者の人生を職員が聞き書きして製本した「ライフストーリーブック」もライフの図書館で閲覧できる。ここでしか読めない「ここで生きてきたおじいちゃん、おばあちゃんの本」だ(撮影/難波明彦)

ライフの図書館のデスクに置かれたノート

ライフの図書館のデスクに置かれたノート。訪れた中・高生が自由に好きなことを書く。「受験頑張ります」というメッセージに、職員が返事を書く、SNSとは違うぬくもりがある(撮影/難波明彦)

「中学を卒業して高校1年になった生徒が、母親の病気で家事をしていると話してくれたこともありました。それはライフの学校が『ただの学習支援の場』ではなく、安心して弱さを見せられる場になっていたから。地域の中で、子どもを支える依存先が増えたということかもしれません」(田中さん)

年に4回発行している「ライフの学校新聞」を読んだ地域の元養護学級の教師が、「自分も何かできるかもしれない」と学習支援の有償ボランティアとして参加するようになるなど、地域の人が自然に“関わり手”へと変わっていくこともある。庭先で介護の相談が生まれるようになったのも象徴的だ。かつては“施設の窓口”でしか起きなかった相談が、日常の延長でふっと立ち上がる。施設が地域に溶けて、相談のハードルが下がり、関係の入口が広がった。

そうした関係の広がりは、学校との連携にもつながっている。仙台市が、地域と学校が一体となって子どもたちの成長を支える「コミュニティスクール構想」を導入した際、先行して「コミュニティスクール」を掲げていたライフの学校に、地元の学校側から問い合わせがあったという。その流れの中で、ライフの学校は学校運営協議会の一員に選ばれた。学校・地域・福祉が分断されず、子どもの育ちを地域全体で支える仕組みが、少しずつ形になっている。

地域との関係をひらく試みは、六郷キャンパスにも見ることができる。東日本大震災の際に津波の水際線となった土地に建てられたこの施設は、地域密着型特別養護老人ホームや保育所などを一体的に運営する複合施設で、災害時には避難所にもなった。

六郷キャンパス

六郷キャンパスは、廊下を「道」に見立て誰でも通り抜けられる「抜け」のある設計。ガラス張りで就労パートナーの活動が外から見える。就労パートナーや地域枠の保護者からスタッフ採用につながった例も増えている(撮影/難波明彦)

六郷キャンパスにある保育園

六郷キャンパスにあり、職員の働きやすさに配慮した保育園。自然光がたっぷり射し込み明るい。定員19名、事業所内保育を利用する職員は保育料無料だ(撮影/難波明彦)

六郷キャンパスの屋上テラスからはなとり夏祭りの花火も見られる

「六郷キャンパス」の屋上テラスからは「なとり夏祭り」の花火も見られるため、地域に開放している。水害時には誰でも開けて避難できる門扉を設置しているのも特徴だ(撮影/難波明彦)

ライフの学校がつくっているのは、“特別な施設”ではなく、 地域の中にゆっくりと育つ「関係の風景」だ。

“地域の暮らし”を取り戻すためのライフの学校が描く長期ビジョン

ライフの学校の取り組みは、地域の風景を変えるだけでは終わらない。田中さんが見据えているのは、「施設がなくなるほど、地域が自律する未来」である。「霞目キャンパス」で話を聞いた。

霞目キャンパス

さまざまな人の居場所となり、多様性が育まれる拠点を目指してつくられた「霞目(かすみのめ)キャンパス」。スタッフ宿舎用のシェアハウスと、就労継続支援センターのカフェを擁する(撮影/難波明彦)

「以前は“依存先をつくる”フェーズでしたが、これからは得たノウハウとライフスキルを地域に返していく番だと思っています」 と語る。ライフの学校は本来、福祉施設というより、農業法人・カフェ事業・保育園・コミュニティスクールなど、複合的な産業・地域事業体として機能、地域が自ら支え合う力を取り戻す “仕組み”をつくっている段階だ。

田中伸弥さん

30代で理事長になった田中さん。「失うものがないところからのスタート。非課税である社会福祉法人だからこそ、地域の人々に選ばれ続けるために、常にチャレンジをしていかなければならない」と霞目キャンパスのカフェにて語った(撮影/難波明彦)

その核にあるのが、田中さんがインドのケララ州で学んだInstitute of Palliative Medicine(IPM)のコンパッションシティの思想と、「95%ルール」だ。「『重い病気や悩みを抱える人の生活やつらさの95%は、医療や病院の中ではなく『日常生活やコミュニティ(地域・学校・家庭)』の中に存在する。医療や福祉(専門家)が直接関わる領域は、実は全体の残り5%にすぎない』という考え方です。 残り5%の医療や福祉にどれだけ予算を投じても、95%の日常的な支えがなければ、人は“その人らしく”生きられない。 母の看取りのときに感じた『その人らしい最期とは何か』という問いが、この理念につながっていると思いました」

介助の様子

ライフの学校は、本人の人生の尊厳を最期まで尊重し、生まれてから死ぬまで地域が「開かれた依存先」として機能し続けることを目指す。また「尊厳に満ちた最期」があって初めてライフの学校が完結すると考える(撮影/難波明彦)

尊厳ある看取りを実現するためには、専門職だけではなく、地域の人々が「良き市民」として支え合う文化が必要だとして、田中氏は中・高生へのコンパッション教育を構想している。「ライフスキルを地域住民の手に取り戻す」というコンセプトをライフの学校に実装していきたいという。また、IPMの教科書を日本の高校生向けに翻訳し、20時間の研修として実装する準備を進めている。

未来を見据えた取り組みは、外国籍スタッフの採用にも表れている。ライフの学校には7カ国31名の
外国籍スタッフが働き、文化の違いがケアの質を高めている。「外国籍スタッフは、日本人にありがちな“空気を読む”慣習にとらわれすぎないからこそ、“その人のため”をまっすぐ言える」と語る。若い日本人職員が外国籍スタッフの行動を見て気づく場面が増え、組織の学びが深まっていることから、今後も積極的に採用を続ける方針だという。

自治体などからライフの学校モデルを活用したいと相談が寄せられれば、中長期的に助言・展開していくなど、自治体と連携した街づくりへの展開も視野に入れている。

また、未来への準備として働く場の多様化も進んでいる。農業法人を設立し、就労支援センターの障害のあるパートナー(利用者)が地域の一次産業に関わる仕組みを整えた。土に触れ、自然と関わり、生きる力を育む。収穫物は給食やイベントで活用され、働くことが地域に還元される循環が生まれている。

みんなの畑

約1000坪に大根・サツマイモ・ホップなどを栽培する「みんなの畑」。ホップは仙台市内のクラフトビール業者と連携しビールを製造し、カフェでの販売を計画中。米は7トン分を保存しており、ライフの学校の各拠点に就労継続支援センターのパートナーが、都度精米をして配達している(撮影/難波明彦)

ライフの学校が目指しているのは、福祉・教育・農業・地域コミュニティを分けずにつなぎ直し、地域の中に支え合いの力を取り戻すことだ。医療や介護だけに頼るのではなく、住民一人ひとりがライフスキルを自らの手に取り戻す。その先に、田中さんは同法人のミッション「支えあって、学びあって、すべての人の人生が豊かに」が実現する未来を描いている。

「究極の目標は、ライフの学校自体がなくなることです」と田中さんは語る。地域住民がお互いに支え合い、学び合う社会が実現すれば、施設という特別な場に頼らなくてもよくなる。施設の存在理由をなくすことを目標にするという、逆説的だが本質的な発想だ。

もちろん、それは一朝一夕に実現するものではない。田中さんは、まずやってみて、そこから学び、調整しながら前に進む姿勢を大切にしている。ライフの学校は9年単位の長期計画で運営されており、「ともに生きる」社会をつくるための挑戦は、これからも続いていく。

取材を終えて印象に残ったのは、ライフの学校が壊してきた“壁”の重さだ。生け垣を壊しただけではない。高齢者と子ども、障害のある人と地域の人、外国籍スタッフと日本人スタッフ……分けられてきた人たちの間にあった見えない壁をためらいもなく壊してきた。

状況を見て「このほうがいい」と判断すれば、常識や制度の壁さえ壊す。そのたびに風景が変わり、人の力が立ち上がる。「壁を壊す」とは、社会の見え方そのものを変えることなのだ、と何度も考えさせられた。
福祉施設という枠を越え、人が人と出会い直し、支えあい、学びあう場をつくろうとしているライフの学校の挑戦は、このまちの未来をゆっくり、けれど確かに動かし始めている。

●取材協力
社会福祉法人ライフの学校

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