プロ野球の色んなベストナインを考えてみる 「引退試合を行わなかった選手ベストナイン編」

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プロ野球大好きな大井川鉄朗が様々な観点から独断と偏見で勝手にベストナインを選んでみるというこの企画。今回は「引退試合を行わなかった選手」ベストナイン。数多くの名選手がいるプロ野球界だが、ひっそりと去っていったスター選手も多い。そんな選手たちにスポットを当てて、NPB・MLBで引退試合を行わなかった選手たちでベストナインを組んでみた。

投手:上原浩治(読売ジャイアンツ)

投手は巨人、メジャーリーグで活躍した上原浩治さん。大体大から98年ドラフト1位(逆指名)で巨人に入団。1年目から20勝4敗と大活躍し、沢村賞を獲得するなど、巨人のエースとして活躍。09年にメジャーリーグ・オリオールズにFA移籍。レンジャーズを経て13年にレッドソックスに移籍すると、シーズン途中からクローザーに抜擢。守護神としてチーム6年ぶりのワールドシリーズ制覇に貢献した。カブスに在籍した17年の終了後にFAとなり、18年から古巣巨人に復帰。日米通算100勝100セーブ100ホールドを達成した。19年は開幕から二軍での調整が続き、5月にシーズン途中での引退を発表。シーズン終了後に引退セレモニーは行われたが、引退試合の開催は無かった。

捕手:矢野燿大(阪神タイガース)

捕手は引退試合の開催はあったものの、出場が叶わなかった矢野燿大さん。東北福祉大から90年にドラフト2位で中日に入団。2歳年上の中村武志さんが正捕手として活躍する中、レギュラーを掴み切れずに97年オフに阪神にトレードで移籍。この移籍が転機となり、レギュラー捕手として定着すると、03年、05年のリーグ優勝に貢献。08年には北京オリンピックにも出場した。
10年限りで引退を発表。9月30日の横浜戦で引退試合が行われたが、チームが優勝争い真っ盛りだったため、9回2死でリードしていれば捕手として出場する予定だった。しかし当時抑え投手の藤川球児監督が横浜・村田修一さんに逆転3ランを浴びて出番はなかった。後年トークショーで矢野さんは「ファンの皆さんも意外に覚えてくれている。出なかった方が『矢野出なかったよな』と。今となってはすごくいい思い出になっている」と語っている。

一塁手:落合博満(日本ハムファイターズ)

一塁手は三度の三冠王に輝いた大打者・落合博満さん。東洋大学中退後、東芝府中から78年ドラフト3位でロッテに入団。3年目となる81年に首位打者に輝いて主軸に定着すると、82年に戦後最年少(当時)三冠王に。85年、86年と連続で三冠王を獲得し、87年にトレードで中日に移籍。89年に史上初の両リーグ打点王、90年には史上初の両リーグホームラン王を獲得。94年に巨人へFA移籍し、憧れだった長嶋茂雄監督と同じユニフォームを着ることに。97年には日本ハムファイターズに移籍し、98年に引退した。現役最終試合は10月7日の古巣ロッテ戦。5回表に代打で登場し、一ゴロに倒れた。引退試合どころかセレモニーもスピーチも無い“オレ流”の去り際だった。

二塁手:仁志敏久(横浜ベイスターズ)

二塁手は90年代後半から00年代にかけて活躍した名二塁手・仁志敏久さん。常総学院時代に3年連続夏の甲子園出場、早大、日本生命と野球エリートとして96年ドラフト2位(逆指名)で巨人に入団。新人王に輝き、その後も不動の二塁手として巨人を支えた。04年には自己最多28本塁打を放ち、強打のリードオフマンとして打線の一角を担った。出場機会を求めて06年オフにトレードを志願し、横浜へ移籍。09年に退団すると、アメリカの独立リーグに挑戦。しかし怪我の悪化で6月に引退。帰国後に横浜対巨人戦で引退セレモニーは行われたものの、NPBでの引退試合の開催は無かった。

三塁手:中村紀洋(横浜DeNAベイスターズ)

三塁手は通算404本塁打を放った強打の三塁手、中村紀洋さん。エースで4番として大阪・渋谷高校を初の甲子園出場に導き、91年にドラフト4位で近鉄バファローズに入団。3年目に1軍に定着すると、当時のいてまえ打線の4番として活躍。00年に本塁打王と打点王、01年には2年連続となる打点王に輝き、チームの12年ぶりのリーグ優勝に貢献。メジャーリーグ挑戦の後、06年にオリックスに復帰。07年は中日で育成契約から這い上がり、日本シリーズMVPを獲得。楽天を経て、横浜DeNAに移籍した13年には通算2000安打を達成。14年限りで退団となり、事実上の引退。しかし本人は引退宣言はしておらず、生涯現役を貫いている。

遊撃手:井端弘和(読売ジャイアンツ)

遊撃手は侍ジャパンの監督も務めた井端弘和さん。亜細亜大から98年にドラフト5位で中日に入団。プロ3年目の01年にレギュラーを獲得すると、守備の名手として地位を不動のものに。04年には初の打率3割をマークし、リーグ優勝に貢献。荒木雅博さんとの二遊間は「アライバ」と呼ばれ、中日黄金期の象徴的な存在に。14年に巨人に移籍すると、同い年である高橋由伸さんの引退に合わせて15年限りで現役を引退。現役最終打席は10月17日クライマックスシリーズ・ファイナルステージのヤクルト戦で、ライト前ヒットを放った。

外野手:高橋由伸(読売ジャイアンツ)

外野手1人目は井端弘和さんと同じ年に引退した高橋由伸さん。慶大では3年春に三冠王、六大学野球新記録となる通算23本塁打と数々の記録を打ち立て、97年ドラフト1位(逆指名)で巨人に入団。巨人では長嶋茂雄さん以来となる新人打率3割をマークし、それ以降も怪我に悩まされながらも巨人の中心選手として活躍。15年に急きょ現役引退、巨人の監督就任が発表され、ファン感謝デーで引退セレモニーとして菅野智之投手と1打席勝負は行われたものの、引退試合の開催は無かった。

外野手:張本勲(ロッテ・オリオンズ)

外野手2人目は稀代のヒットメーカー張本勲さん。59年に浪商高から東映に入団。少年時代のやけどで右手にハンデがあったが、猛練習で瞬く間に頭角を現し、首位打者を7回獲得。チームの大黒柱として活躍し、76年に憧れていた巨人に移籍。長嶋茂雄監督の下で、盟友・王貞治氏とともにリーグ連覇に貢献した。80年にロッテに移籍すると、史上初で現在までNPB通算としては唯一の3000本安打を達成。81年10月31日にロッテ本社で引退記者会見を行ったが、引退試合の開催は無かった。

外野手:松井秀喜(タンパベイ・レイズ)

最後は日本を代表するスラッガー・松井秀喜さん。星稜高校から93年ドラフト1位で巨人に入団。数々の打撃タイトルを獲得し、03年にニューヨーク・ヤンキースへFA移籍。09年にはチームのワールドシリーズ制覇に貢献し、ワールドシリーズMVPを獲得。その後10年エンゼルス、11年アスレチックス、12年レイズと移籍。現役最後の試合は2012年7月23日マリナーズ戦。代打での登場で、初球をショートフライという結果だった。その後巨人、ヤンキースでそれぞれ引退セレモニーが行われたものの、引退試合の開催はなかった。

盛大な引退試合を行う選手もいれば、ひっそりと球界を去る名選手もいる。
あなたがあの頃憧れていたスター選手はどうだったのか、一度調べてみるのも面白いかもしれない。

(Written by 大井川鉄朗)

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