【小川町】埼玉で移住希望者が1番多いワケは?都心70分で”ゆる移住”叶う「ちょうどいい田舎」の秘密

埼玉で移住相談No.1は小川町! 都心90分アクセス×有機農業、古民家宿…“ちょうどいい田舎”の魅力

埼玉県の中部に位置する小川町が、移住希望者から注目されています。『2025年版 住みたい田舎ベストランキング 首都圏エリア』(宝島社)の総合部門トップ5にランクインするほか、実は県内で移住相談が一番多い町だというのです。池袋から70分ほどでアクセスも便利。それ以外にもたくさんの人気の秘密があるようです。実際に移住した人などに暮らしぶりを聞いてきました。

かつては商いの街だった小川町が変化

移住と聞くと、今まで住んでいた街を離れ、生活環境や人間関係も心機一転、というようなイメージがあるかもしれません。とはいえ、何もかもが変わる生活は不安があるもの。ゆるやかな生活の変化を望んでいる人々にとって、魅力的に映っているのが埼玉県小川町です。

2022年に移住した皆本類(みなもと・るい)さんも、まさにその一人。
「それまでは東京23区内で暮らしていました。急に田舎に暮らすよりは、仕事のときに電車や車で都心に通える距離の場所に移住したいなと。希望をかなえることができますよ、と有楽町の移住サポートセンターの方が紹介してくれたのが小川町でした」と話します。

町内にはJR八高線と東武東上線が通っており、池袋駅からはおよそ1時間半で到着します。実際に、日常的に通勤やお出かけで都心部に出る人も多いそうです。

小川町

(写真撮影/栗原論)

小川町の中心を流れる槻川(つきがわ)のほとりには、築100年の数寄屋造りの古民家も(写真撮影/栗原論)

小川町の中心を流れる槻川(つきがわ)のほとりには、築100年の数寄屋造りの古民家も(写真撮影/栗原論)

町中には数々の古き良き日本家屋が立ち並ぶ(写真撮影/栗原論)

町中には数々の古き良き日本家屋が立ち並ぶ(写真撮影/栗原論)

古い蔵や町屋が残るノスタルジックな街並み。かつては商店や銀行が立ち並び、宿場町として栄えていました。時代の変化で流通の経路が変わると街の商業色は減り、商店も活気を失っていきました。
昭和50年代後半には、東武東上線の発展に合わせて東小川エリアに大規模な住宅分譲地が誕生。当時首都圏のあちこちで誕生していたベッドタウンです。40年経過した現在は、人口減少し過疎化していることが悩みだといいます。

かつては宿場町として栄えた小川町。川越と秩父を結ぶ街道沿いには、今も商店の名残がある(写真撮影/栗原論)

かつては宿場町として栄えた小川町。川越と秩父を結ぶ街道沿いには、今も商店の名残がある(写真撮影/栗原論)

ところが、ここ10年の間にじわりじわりと移住者が増えていっているというのです。

有機農業の先駆者が50年かけて街の印象を変えた

皆本さんのように、気軽に移住したい人にとって、小川町は都心と田舎が心地よい距離感です。しかし「小川町は距離感や田舎暮らしだけではない、いろいろな魅力があります」と話すのは移住サポートセンターの八田さと子(はった・さとこ)さんです。

小川町観光案内所と小川町移住サポートセンターが同居する施設「MUSUBIME(むすびめ)」。地元の老舗料亭「二葉」支店だった建物を町が購入してリノベーション。2021年にオープンした(写真撮影/栗原論)

小川町観光案内所と小川町移住サポートセンターが同居する施設「MUSUBIME(むすびめ)」。地元の老舗料亭「二葉」支店だった建物を町が購入してリノベーション。2021年にオープンした(写真撮影/栗原論)

実は八田さんもまた移住者の一人。2012年に「農」がきっかけで移住してきました。移住前は都内で暮らしていた八田さん。有機農業に関わる仕事をしていました。

「小川町は有機農業が盛んだということを周囲から耳にしていたため、自分の関心や仕事を深めたいという思いがあり移住しました。移住後にこの町で結婚し、家族が増えて地域コミュニティの一員として暮らしています」

小川町駅に降り立つとすぐ目の前にあるのが「小川町移住サポートセンター」。八田さんをはじめ、スタッフがお出迎え(最大120文字まで)(写真撮影/栗原論)

小川町駅に降り立つとすぐ目の前にあるのが「小川町移住サポートセンター」。八田さんをはじめ、スタッフがお出迎え(最大120文字まで)(写真撮影/栗原論)

町内の南東部に位置する下里エリアには「霜里農場」があり、この地で300年農業を続けてきた金子家の一員である故・金子美登さん・友子さんが1971年から有機農業を始めました。

当時はまだ有機農業に携わる人がおらず、地道に50年。お米や野菜をつくり、たくさんの研修生を育ててきました。現在の継ぎ手は宗郎(むねお)さん。 “もっと有機栽培を身近なものに”と「しもざと有機野菜塾」を始めました。宗郎さんと就農した元研修生を講師に、これまでに400名以上が受講をしています。

「有機栽培を経験したい、学びたいと多くの人が『しもざと有機野菜塾』に足を運んでいます。その魅力にとりつかれ、小川町にそのまま移住する人もいるんです」(八田さん)

日常的な町の魅力を伝えるために始めた宿

「住民の属性が偏っていないこともこの町のよさですね」と八田さん。農家をはじめ会社員、クリエーター、商店を営む個人事業主などがいます。

株式会社わきまの高橋かの(たかはし・かの)さんと中市里美(なかいち・さとみ)さんは、町の中心部で3つの宿泊施設を営んでいます。

実は高橋さんが小川町に訪れたきっかけも有機農業でした。霜里農場で研修をし静岡で就農したお父さんの影響もあり、2019年に小川町へ移住。都内の会社の学生インターンとして、町内で開催されるイベント「Ogawa Organic Fes」の運営や、町の農業ブランディング事業をお手伝いをすることになりました。

株式会社わきまの高橋かのさん。どこを訪れても「あ、かのちゃんね」と人々が口にするほど、町の人たちとゆるやか、かつ網羅的につながりを持つ(写真撮影/栗原論)

株式会社わきまの高橋かのさん。どこを訪れても「あ、かのちゃんね」と人々が口にするほど、町の人たちとゆるやか、かつ網羅的につながりを持つ(写真撮影/栗原論)

次第に町の人たちと関係を深めていった高橋さん。「一人で飲み歩いたり、いろいろなイベントの実行委員やボランティアをしているうちに、価値観を共有できる方たちとたくさん出会えたんです。その中で『まちやどをやりたい』というNPOメンバーと意気投合したのです。2019年にNPOが『小川まちやど ツキ』を立ち上げ、私は住み込みの女将(おかみ)という形でオープンを手伝いしたのです」と話します。

まちやどとは、まちを一つの宿と見立て、まちぐるみで宿泊客をもてなすことで地域価値を向上していくことを目指す考え方のこと。高橋さんたちの目指すまちやどは、ここに訪れる人たちが小川町の日常を感じ、隠れた小川町ならではの面白さを発見できる拠点になることを目指していました。

コロナ禍の2021年には高橋さんが個人名義で「三姉妹」を開業。同時期に都内との二拠点生活をし始めた中市さんが近所で「ジットハウス」の開業準備を始めていたため、2022年に共同で会社を立ち上げました。

以降は、NPOから引き継いだ「ツキ」も併せて3つの宿泊施設をまとめて「小川まちやど」として運営しています。

窓辺から、遮ることのない雄大な風景が望める「ツキ」。この景色の味わえる建物だからこそ、訪れる人に伝えられることがあると、まちやどにすることに(写真撮影/栗原論)

窓辺から、遮ることのない雄大な風景が望める「ツキ」。この景色の味わえる建物だからこそ、訪れる人に伝えられることがあると、まちやどにすることに(写真撮影/栗原論)

「ツキ」の2階からは町のシンボル、槻川をのぞむことができる(写真撮影/栗原論)

「ツキ」の2階からは町のシンボル、槻川をのぞむことができる(写真撮影/栗原論)

宿の清掃や運営は、二人を中心に町内に住む人たちが協力して日常的に行っています。その他にも、町の人たちとの関係性の中で、コワーキングやレンタサイクルが利用できる宿泊プランを開発したり、宿で開くピラティス教室や有機農家による家庭菜園講座の場として活用したり、宿をきっかけに訪れる人とまちとの接点をつくるための工夫をしたりしています。

「ツキ」の1階。宿泊施設としてリノベーションされてもなお、昔ながらの商家住宅の雰囲気が残る(写真撮影/栗原論)

「ツキ」の1階。宿泊施設としてリノベーションされてもなお、昔ながらの商家住宅の雰囲気が残る(写真撮影/栗原論)

「小川町には、深みのある人たちが集まっています。町の資源も豊富かつ多様なので、その良さをもっとたくさんの方に体感して深めてほしい。だからこそ伝える役割を、宿が果たせたらいいなと思っています」(高橋さん)

民家をほとんど手を加えずに宿とした「三姉妹」。宿泊はもちろん、1階の和室は、整体やアート教室、ボードゲーム会場として利用されることもあるそう(写真撮影/栗原論)

民家をほとんど手を加えずに宿とした「三姉妹」。宿泊はもちろん、1階の和室は、整体やアート教室、ボードゲーム会場として利用されることもあるそう(写真撮影/栗原論)

明かりのともる三姉妹の玄関照明。高橋さんが個人で開店した際に手づくりしたものが今でも生きている(写真撮影/栗原論)

明かりのともる三姉妹の玄関照明。高橋さんが個人で開店した際に手づくりしたものが今でも生きている(写真撮影/栗原論)

人気飲食店の店主はなぜ小川町を選んだか

ここ数年、町外からも訪れるほどの熱烈なファンがついているような飲食店が誕生しているのも興味深いところ。そんな人気店の店主たちは、なぜ小川町に移住してきたのか。「curry&noble強い女」「小川ぐらしの茄子おやじ」の各店主にとっても、「この町は面白くなるかもしれない」という予感があったようです。

2017年と移住者の中では比較的早くこの町に移住したのが、「curry&noble強い女」やシェアキッチン「薪をくべる」などを営む代々木原シゲル(よよぎばら・しげる)さんです。

店主の代々木原シゲルさん。小川町に根を下ろしながらもキッチンカーで全国のイベントをかけ回り、スパイスカレーの魅力を伝えている(写真撮影/栗原論)

店主の代々木原シゲルさん。小川町に根を下ろしながらもキッチンカーで全国のイベントをかけ回り、スパイスカレーの魅力を伝えている(写真撮影/栗原論)

もともとは都内でライブができる飲食店や音楽イベント運営の仕事をしていた代々木原さん。

「東京を離れたいな、と関東圏であちこち移住先を探したのですが、どこも自分のイメージと合わなかった。街に古き良きものが残りつつ、この先自分が”新しい事”を起こしたときに、地域で生き生きと活動できる場所ってどこだろうと考えたら、小川町にたどり着きました」

移住して2年が経過したころ、同じように移住してきた仲間とともにスパイスをふんだんに使ったカレー店をオープン。しかし簡単な道のりではありませんでした。

「当時、移住者で店を開いた人がいなかったんです。そういう意味で手を取り合う仲間が少なくて。町の人たちに溶けこむのにとても苦労しました」

商店の跡地をリノベーションしてオープンした「curry&noble強い女」。隠れ家のような店内は、アンティークな雰囲気のテーブルや椅子がそろい、一人客も落ち着いて過ごすことができる。扉を開けるとぶわっとスパイスの香りが包みこむ(写真撮影/栗原論)

商店の跡地をリノベーションしてオープンした「curry&noble強い女」。隠れ家のような店内は、アンティークな雰囲気のテーブルや椅子がそろい、一人客も落ち着いて過ごすことができる。扉を開けるとぶわっとスパイスの香りが包みこむ(写真撮影/栗原論)

次第にメディアや口コミ、SNSで注目され、遠方からもお客様が足を運ぶように。お店も営業が順調になった2022年ごろ、「代々木原さんのように」と移住に興味を持ち、この地へ店を開きたいと思う仲間が増えてきました。SNSを通じて代々木原さんに相談を持ちかける人も多いそうです。

「相談をしてくれる人は勇気ある一歩を踏み出そうとしています。でも想像だけではやっぱり簡単に引越しはできない。まずはやってみて、それで違うなと思ったら考え直す。そのくらいの気持ちでも良い気がします」と挑戦する面白さを話してくれました。

同じくカレー店を営む「小川ぐらしの茄子おやじ」阿部孝明(あべ・たかあき)さん。下北沢のカレー食堂「茄子おやじ」と聞けばピンとくる人もいるかもしれません。1990年、33歳のときに自身の愛称「茄子おやじ」を屋号に開業しました。“シモキタ”に現存する最古のカレー店として26年ほど、下北沢カレーフェスティバル開催に関わるなど、“シモキタカレー文化”をリードしてきたのです。

小川町駅から5分ほどの場所にある「小川ぐらしの茄子おやじ」。開店後、近隣に飲食店が増えて、小さな商店地域となりつつある(写真撮影/栗原論)

小川町駅から5分ほどの場所にある「小川ぐらしの茄子おやじ」。開店後、近隣に飲食店が増えて、小さな商店地域となりつつある(写真撮影/栗原論)

阿部さんが還暦を迎えた2016年のこと。スタッフに下北沢の店を譲って引退し、ご両親の住む小川町へ移り住みました。

暮らしていた世田谷から小川町に移住した当初、寂れた町の様子から再びの開業はないと思っていた阿部さん。そんな折に町内にある有機野菜食堂「わらしべ」の移転に伴い、空き店舗が生まれました。

空き店舗のことを知った阿部さんは、カレー店の再開へ向けて舵を切ったのです。町の空き店舗補助金を得てオープン準備を進め、2019年3月3日「小川ぐらしの茄子おやじ」を開店。ご両親の見守り、介護、看取りをしながら店を経営し、2025年現在で7年目になります。

一番人気のほぼ全部のせスペシャルカレー(1500円)肉のうま味、野菜の甘み、スパイスの風味プラス小川野菜(写真撮影/栗原論)

一番人気のほぼ全部のせスペシャルカレー(1500円)肉のうま味、野菜の甘み、スパイスの風味プラス小川野菜(写真撮影/栗原論)

阿部さんにとって小川町の家はあくまでご両親の家であり、自分の実家だとは感じないよう。でも実際に暮らしてみると、空が広く、山が視界に入り、鳥のさえずりが聞こえる日常が当たり前になっていったそうです。

有機の里で出会う、若い移住者はあらゆるスキルを持っており、阿部さんにとって驚きの連続。こうした移住者や地元の方たちとの交流は「良くも悪くもこれまで関わることのなかった存在。町のコミュニテイと関わったことでゆるやかな広がりを感じている」と話します。

両親の見守り、介護、看取りがきっかけで住んだ町で、町の活性化に励む役場、商工会、NPOや移住者に刺激を受けて新たな「一杯のカレー」から始めた阿部さん。それは父の背中を子らへ見せることでもあったようです。

カレーとともに歩んできた30年以上の日々を振り返り、ぽつりぽつりと言葉にする阿部さん(写真撮影/栗原論)

カレーとともに歩んできた30年以上の日々を振り返り、ぽつりぽつりと言葉にする阿部さん(写真撮影/栗原論)

かなえたかったのは、都心と離れすぎずに田舎を満喫できる暮らし

企業勤めや個人で仕事をしている人たちにとっての小川町での暮らしはどうでしょうか。

広告会社勤務後、ブランディングやコンテンツ制作を行う会社を経営している柳瀨武彦(やなせ・たけひこ)さんは、週末通いから移住に移行しました。

都内で働き暮らしていたが、自宅も職場も小川町に移した柳瀨さん(写真撮影/田上浩一)

都内で働き暮らしていたが、自宅も職場も小川町に移した柳瀨さん(写真撮影/田上浩一)

「当時暮らしていた場所とは異なる、自然豊かな地域に身を置きたいと。会社を辞めて独立するタイミングで『都内から通える田舎』を探していました。小川町は豊かな自然に加えて都内から電車や車で行きやすいところが気に入りました」

柳瀨さんは、「農」の豊かな風景に引かれたという(写真撮影/田上浩一)

柳瀨さんは、「農」の豊かな風景に引かれたという(写真撮影/田上浩一)

デスクワークが多く、頭ばかりを使う日々。体を動かし、五感を揺さぶる営みに触れたかった柳瀨さんは、有機農業を学びに2016年から毎週のように通い始めました。

「この町はまるで大学のキャンパスみたい。多様なコミュニティがほどよい距離感で共存しています。あちらこちらでちっちゃいイベントがあるから、誰かと知り合えば『あ、じゃあまた〇〇を紹介するね』と有機的なつながりができていくんです」

自然発生する人のつながりの中で「養蚕伝習所の跡地(玉成舎)を使わないか?」と誘われ、喫茶店「PEOPLE」をオープンしました。

町の産業を支えてきた養蚕伝習所を多様なお店が集まった「人と文化の交遊拠点」として2018年にリノベーションした「玉成舎」(写真撮影/田上浩一)

町の産業を支えてきた養蚕伝習所を多様なお店が集まった「人と文化の交遊拠点」として2018年にリノベーションした「玉成舎」(写真撮影/田上浩一)

柳瀨さん夫妻が営む喫茶店「PEOPLE」。2階には“植物本屋”「BOTABOOKS」がある。喫茶店でくつろぎながら本を読む時間は至福(写真撮影/田上浩一)

柳瀨さん夫妻が営む喫茶店「PEOPLE」。2階には“植物本屋”「BOTABOOKS」がある。喫茶店でくつろぎながら本を読む時間は至福(写真撮影/田上浩一)

平日は都内で仕事、週末は小川町で店を営業しながら暮らすスタイルに。週末通いの1.5拠点生活の始まりです。その後、2020年には小川町へ家を構えて2拠点生活になりました。2021年、柳瀨さん夫妻に子どもが誕生し、ついに都内の家を手放して、小川町へ引越し、完全移住したのです。

今、自身の仕事に加えて、夫妻で喫茶店や“植物本屋” 「BOTABOOKS」を運営するほか、町の人々が登場するポッドキャスト『おがわのね』を主催するなどして、暮らしを楽しんでいます。

ゆるやかにつながり合う商店。町中にさりげなく案内を掲げることで訪れる人がぐるりと行き交うことができるように心配りされている(写真撮影/栗原論)

ゆるやかにつながり合う商店。町中にさりげなく案内を掲げることで訪れる人がぐるりと行き交うことができるように心配りされている(写真撮影/栗原論)

手間ひまをかけた移住に思えますが、実際に町で暮らしている人々と顔を合わせて、会話を重ねて、関係を築いてきたからこそ、移住してもいいなと思えたそう。

冒頭で登場した皆本類さんも、柳瀨さんほどではないものの、時間をかけて家族に「移住したい」と相談してきました。皆本さん夫妻は、都内を拠点にカメラマンとライターとして活動していました。転機になったのは、コロナ禍。「”リモートワークができるなら、都心以外でも暮らせるよ”と夫に伝えて移住を決めました」

コワーキング・交流拠点「NESTo(ネスト)」で仕事をする皆本さん(写真提供/皆本類さん)

コワーキング・交流拠点「NESTo(ネスト)」で仕事をする皆本さん(写真提供/皆本類さん)

しかし、仕事柄あまり外に出ないため、移住後はどうやって顔見知りを増やすか、ご近所づきあいをするか悩んだそうです。そこで近所にあるコワーキング・交流拠点「NESTo(ネスト)」に登録して、皆本さんは利用者になりました。利用者同士で顔を合わせたり、「NESTo」で開くイベントに参加するうちに、人のつながりができて安心したそう。

「NESTo(ネスト)」で開催するトークイベントや展示会などのイベントは、利用者同士で協力しあってつくりあげる。この日は展示イベントに向けた撮影を行った(写真提供/皆本類さん)

「NESTo(ネスト)」で開催するトークイベントや展示会などのイベントは、利用者同士で協力しあってつくりあげる。この日は展示イベントに向けた撮影を行った(写真提供/皆本類さん)

「『NESTo』には本当にさまざまな仕事をしている方がいて、知らない世界を知ることができて面白いです。それに一人じゃない。つながる場があることで、移住者同士の仲間もできる。とてもありがたいことだと思っています」

ふらりと歩けば見知った顔がいる。その心地よさと安心感が小川町の魅力(写真撮影/栗原論)

ふらりと歩けば見知った顔がいる。その心地よさと安心感が小川町の魅力(写真撮影/栗原論)

小川町へのそれぞれの移住ストーリーに迫ってきましたが、「移住のタイミングは人それぞれ、自分なりの答えの見つけ方でいい」のだと思わされました。思い立って急に移住に挑戦してもいい。ちょっとずつ正解を探すのでもいい。失敗したとしてもいい。都市部に近いから、移住を決めるのもやめるのも自由に選択しやすい。こうしたゆるやかな気持ちで臨めるのが小川町の魅力かもしれません。

●取材協力
移住サポートセンター
・霜里学校
・小川まちやど
・curry&noble 強い女
・小川ぐらしの茄子おやじ
・玉成舎
・PEOPLE
・おがわのね
・コワーキングロビーNESTo

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