【誰がこんな場所に建てた!?】常識を覆す“異常立地”スポット5選
人はなぜ、わざわざ“そこ”に建てたのか──。
自然の猛威、交通の不便さ、常識では考えられない場所に、堂々と建つ建物や施設。
日本全国には「どうしてここに!?」と思わず二度見したくなる“異常立地”のスポットが点在しています。
今回は、そんな“謎すぎる場所”に建てられた日本の異常立地スポットを5つご紹介。
歴史・宗教・政治・そして人間の強い意志が交差する場所の数々に、あなたもきっと驚くはずです。
【1】軍艦島(長崎県)──絶海の炭鉱都市

見渡す限り海。周囲に一切の陸地がない岩礁の上に、密集するビル群。
長崎港から約20km沖合に浮かぶ「端島(はしま)」、通称【軍艦島】はまさに“異常立地の極み”。
炭鉱開発のために島全体が人工的に拡張され、東京以上の人口密度を誇った炭鉱都市として栄えました。
なぜここに建てた?
石炭資源の存在が大きな理由。島全体が“エネルギー”そのものだったのです。
1960年代には小中学校、病院、映画館まで完備し、完全なる“空中都市”状態。
しかし、エネルギー政策の転換で1974年に閉山。島民は全員退去し、現在は廃墟として残されています。
【2】谷瀬の吊り橋にある集落(奈良県)──空中移動の生活

奈良県十津川村にかかる、全長297メートル・高さ54メートルの生活用吊り橋「谷瀬の吊り橋」。
橋の向こうには、今も人が住む小さな集落があります。
なぜここに建てた?
もともと山深いこの地に住んでいた人々が、川を隔てたまま生活していたため。
長らく渡し船を使っていたが、生活の利便性向上のため吊り橋を村人総出で建設。なんと1954年のこと。
現在も、この橋は通勤・通学・買い物など日常の“道”として使われています。
【3】JR根室本線・幾寅駅(北海道)──人より“鹿”の通勤が多い?
北海道南部の山あいに存在する「幾寅駅」。
鉄道は通っているものの、周辺には人の気配がほとんどない。冬には駅舎が雪に埋もれ、電車が動かない日も多い。
なぜここに駅を建てた?
幾寅駅は、かつて林業や鉱業が盛んだった時代に建設されました。
物資輸送や通勤に重要だった駅も、産業の衰退により“利用者ゼロ”の日もあるほどに。
ちなみに、映画『鉄道員(ぽっぽや)』のロケ地としても有名。駅舎はそのまま保存され、観光客が訪れる“異常に静かな名所”として注目されています。
【4】四国・祖谷のかずら橋──崖の間に浮かぶ原始の道

徳島県三好市にある「祖谷(いや)のかずら橋」は、深い渓谷の間にかかるシラクチカズラ製の吊り橋。
風に揺れ、足元の隙間から下の川が見えるスリル満点の橋ですが、地元住民は長らくこれを日常使いしていました。
なぜここに?
源平合戦に敗れた平家の落人がこの地に逃れ、追っ手から身を守るために「すぐに切り落とせる橋」を作ったのが始まり。
現在は安全性を高めて観光地化されていますが、その“逃げ道に架けられた橋”という立地は異様ともいえます。
【5】伊豆大島の「緩やかな裾野に位置する中学校」

東京都に属する伊豆大島。
活火山・三原山を抱えるこの島には、海抜 50〜90mほどの緩やかな溶岩台地や丘陵に建つ“異常立地”の中学校があります。
昭和の大噴火を経て、島民は火山活動に警戒しながらも再びこの地に戻り、教育環境も整えてきました。
再び噴火するかもしれない──そんなリスクがあるにもかかわらず、なぜ火山の裾野に学校を建てたのでしょう。
それは、限られた土地という事情と、「この場所で生きていく」という島民の覚悟があったからだといわれています。
この学校では、火山避難訓練が日常のカリキュラムに組み込まれており、非常時にはシェルターとして使える設計がなされているそうです。
火山とともにある暮らしは、どこかスリリング。それでも、子どもたちはそこからたくましさを育んでいきます。
危険と背中合わせの共存。その覚悟ある日常は、きっと訪れる人の心にも強く残ることでしょう。
まとめ|“異常”は、時代や信念がつくる常識かもしれない
「なぜこんなところに?」と驚く立地の裏には、生活の知恵・生存戦略・信念が存在します。
一見すると非合理でも、当時の人々にとっては“それが最善だった”のです。
異常立地は、私たちに問いかけます。
「常識って、誰が決めたの?」
「本当に“変”なのは場所? それとも私たちの視点?」
次に旅に出るときは、そんな“異常”な景色を探してみてください。
きっと、そこにはただの観光では味わえない、人間の生き様が刻まれているはずです。

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