「啐啄同時」とはどんな意味?その成り立ちは仏教の弟子と師匠の関係から?

絶好の機会を意味する四字熟語、それが「啐啄同時」です。
しかし、この言葉はそもそもどのような状況を指すのでしょうか。

今回は「啐啄同時」がどのような言葉なのかを解説します。
併せて成り立ちについても紹介します。

「啐啄同時」とは

ここでは「啐啄同時」の意味を解説します。

「啐啄同時」の意味

「啐啄同時」は絶好の機会のことを意味する四字熟語です。
絶好のタイミングにあることを指して使用されるのが特徴です。

現代では条件がぴったりと重なることで物事がうまくいくというような意味で使用されます。

理想の教育の例え「啐啄同時」

「啐啄同時」は理想の教育の例えとしても使用されます。
現に学習者と指導者の呼吸がぴったり合うという意味でも使用される言葉です。

基本的に学ぼうとする者と教える者の息が合って相通じることを指すのが特徴です。

なお、禅宗などの世界では今まさに弟子が悟りを開こうとしている瞬間に師匠が手助けするような場面を意味します。

転じて「啐啄同時」は理想の教育の例えとして使用されるようになったそうです。

「啐啄同時」の成り立ち

ここからは「啐啄同時」の成り立ちを解説します。

「啐啄同時」は仏教から生まれた言葉

「啐啄同時」は仏教から生まれた言葉として知られています。

実際に「啐啄同時」は禅宗で弟子が悟りを開くまであと一歩というときに、師匠がすかさず指導して悟りを得られるようにすることをいいます。

悟りを開くのにあと一歩何か足りないときに師匠が手助けすることで、弟子は見事に悟りを開ける場合があるわけです。

そのことを仏教の世界では「啐啄同時」と表現します。

転じて、現代では絶好の機会のことを意味するようになったとされています。
現代では絶好のタイミングでぴったりと息が合う意味でも使用されるのが特徴です。

その表現は孵化しようとするヒナの姿から

「啐啄同時」という言葉自体はヒナが今まさに孵化しようとしている姿から来ているのが特徴です。

「啐」は雛鳥が孵ろうとする際に殻の中で泣く声のことを意味します。
「啄」は親鳥が殻の外から突いて雛が孵るのを助けることを意味します。

つまり、あと一歩で雛鳥が孵りそうなときに親鳥が外から助けてあげる様子を表現したのが「啐啄同時」という四字熟語なのです。

「啐啄同時」の類義語

ここからは「啐啄同時」の類義語を紹介します。

啐啄の機

「啐啄の機」は「啐啄同時」の別表現の1つとなっています。

この言葉も雛鳥と親鳥が内側・外側から同時に突くことで、殻が破れることを意味します。

転じて、絶好の機会を意味する言葉として使用されているのが特徴です。

その点が「啐啄同時」と同じ表現といえるでしょう。

千載一遇

「千載一遇」は滅多にない絶好の機会であることを意味します。
二度と来ないかもしれないほど恵まれた状態を指して使用します。

「千載」は1000年という途方もない年月を意味する言葉です。
「一遇」は一度だけの出会いを意味する言葉です。

つまり「千載一遇」は1000年に一度出会えるかどうかのチャンスを意味する四字熟語といえるでしょう。

その点が「啐啄同時」と似ているのではないでしょうか。

まとめ

「啐啄同時」は絶好の機会を意味する四字熟語です。
現代では学習する人と指導する人の息がぴったり合うという意味で使用されることもあります。

この言葉はもともと雛鳥と親鳥の関係から生まれた言葉です。
現に「啐啄同時」は内側から鳴く雛鳥の声と外側から突く親鳥の様子を意味した言葉となっています。

それが仏教の世界で使用されるようになり、一般にも広まったとされています。

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