『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』平田広明&山田裕貴インタビュー「セリフを“謳う”ことを許さない現場だった」
2019年に公開されアカデミー主演男優賞を獲得するなど大ヒットとなった映画『ジョーカー』。その最新作にして完結編となる『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』が大ヒット上映中です。
彼は悪のカリスマなのか、それともただの人間なのか? “ジョーカー”とは一体誰なのか…?本作で、サスペンス、ラブストーリー、コメディ、歌唱、アニメーションなど様々な演出で、観客を翻弄するトッド・フィリップス監督。その多様な演出は観る人によって様々な解釈ができる作品として考察合戦が日に日に加熱しています。
日本語吹替版にてジョーカー/アーサー役を担当した平田広明さんと、ジョーカーを追い詰めるハービー検事役を演じた山田裕貴さんにお話を伺いました。
――素敵な吹替版をありがとうございました。山田さんは海外プレミアに参戦し、ホアキン・フェニックスさんらとお会いしていましたね。どんな刺激や影響を受けましたか?
山田:とても貴重な経験をさせていただきました。規模感も含めて作品に対するスタンスがまず違う感じがしましたし、決して日本のシステムが間違っているというわけではないですが、自分の視野の狭さを感じました。作品に対する許容の範囲が広く自由で、僕にとって世界が変わったような感覚でした。
僕は日本が大好きなので、まずは日本を知っていきたいという気持ちでいましたが、世界中で話を聞いたり見たり、色々な文化に触れるのは大事だなと、30代になってから感じはじめていたので、本当にありがたいタイミングでこのような貴重な経験させてもらいました。
これまでは自分を少し下げてしまうというか、自己評価が低い人間だったのですが、3人にお会いして(ホアキン・フェニックス、レディーガガ、トッド・フィリップス監督)自分がやっていることに自信を持って堂々としていることが大切だなと思えたので、感謝でいっぱいです。
――平田さんから、山田さんに「責任重大だぞ」というお言葉があったそうですね。
山田:スタッフさん経由で伝言を受け取りました。
平田:ただプレッシャーをかけたかったんですね。
――平田さんは前作に続いてジョーカー/アーサーを演じることになりどの様なお気持ちでしたか?
平田:僕はいつもセリフの少ない役がやりたいと思っていますし、アーサー自体はセリフが多い人ではないのですが、喋る時は平常心じゃないですからね。あの笑い声がまた大変なのですが、笑い以外でも「ブレスからブレスまでの間にこの文言を入れなきゃいけない」と尺を計算しながら収録をしていく中で、ジョーカーの場合は単にスピード調整をしてもダメなんです。会話中に急に怒りのスイッチが入ったときにどうしても早口になるので、短い尺の中にセリフを詰め込まなくちゃいけなくなる。その際にブツ切りにならないように、流れるようなセリフ運びを常に考えておく必要があるわけです。収録はそんな作業の繰り返しでした。ホアキンのお芝居がとても繊細でしたので苦労しました。
山田:何日くらいで収録したんですか?
平田:2日です。リーとの絡みを1日収録して、それ以外はずっと1人で収録していました。
山田:すごい…!リーと喋る時の温度感、声色というか、音への空気の入り方が違いましたよね。リーに惚れている瞬間のアーサーの音圧と、独房にいる時のジョーカーは全然違いますし、ホアキンって芝居をする時に歯をいじったりするじゃないですか。これは計算なのか?素で演じているのか?という部分でさえも平田さんが吹替で表現されていて、本当にすげえ…って思いました。
平田:お客さんたちは役に関しての僕の解釈を見たいわけじゃなくて、ホアキンがどういう芝居をしているのかを観たいわけです。なので、僕としては先入観や自己主張を一切持たないまま、ホアキンのお芝居に寄り添うことだけを考えていました。前作より2年の時が経っていますが、普通の人の2年じゃなくて、獄中での2年ですからね。前作よりずいぶんくたびれているということもあってホアキンもそれに合わせた減量をされたそうです。僕は「大変だな、映像に映るプロの俳優の仕事って」なんてパリパリとポテチ食いながら思っていました。
山田:(笑)。
――山田さんはハービー検事という役柄をどの様にとらえていましたか?
山田:台本を渡された時に演技について「こういう意図があって」みたいな説明はなかったんです。なので、演じているハリー・ローティーさんのお芝居を見ることで役作りをしていきました。ハービー検事は初め、民衆の前で「ジョーカーは犯罪者だ!」ととても情熱的に語るのですが、その後の法廷ではすごく冷静にジョーカーを追い詰めていくんです。その淡々とした感じが逆に気持ち悪くていいのかなと思いつつも、ハリー・ローティーさんがどんな音圧、どんな音で声を出しているのかを聞いて、それに合わせていくという感覚でした。
平田:すごく難しかったと思う。山田くんに限らずだけれど、“芝居をしない”のってすごく難しい。リーを演じた村中さんが、一緒に収録をした時に「もっと抑えて、もっと抑え気味に」というディレクションをされていて、本人がしっかり準備してきたはずなのに、もっと抑えるんだとなると不安になるんですよね。僕もかつてそういう経験がありました。じゃあ、ボソボソ台本を読めば良いのかというとそうではない。役者ってセリフを“謳う”と気持ち良いんですよ。でもそれを許さない現場だったから。ハービー検事もまさにそうだよね?
山田:そうですね。ずっと不安でした。抑えたところをちゃんと守りたいなと思ったので、音圧を上げるわけじゃなく、淡々とただそこにいるだけみたいな、そんな声になったらいいなという気持ちでした。音が出過ぎてしまわないように、細かな声色みたいなのを自分の中で探っていきながら、「これだったらニュアンスが伝わるかな?」という音の感覚を信じてセリフをはめ込んでいきました。
――衝撃的な展開が多く、お2人は吹替を担当されているということで客観視出来ない部分も多いかと思いますが、『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』という作品をどうとらえていますか?
平田:僕は完成披露試写で一回観たきりで、吹替版だったので純粋には楽しむことが出来なかったですね。『ジョーカー』(2019)の時はオーディションに受かって映画館に観に行ったんですよ。その時はただ素直に作品を楽しめて「うわ、すげえ…」って感じることが出来たのですが、そういう意味では『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』はまだ集中して観られていないですね。今日もいくつかインタビュー取材を受けさせてもらって、質問の答えを考えながら話しているうちに「もしかしたらあれってこうだったのかな?」と解釈もどんどん広がってきていて。この作品は、一度観て「分かった」「面白かった!」という映画ではないと思っています。何回も見ないと分からない映画なんじゃないかなっていうのはありますね。分かったところで暗い気持ちになるだけかもしれないけど。
山田:本当に色々な答えを持っている作品だと思います。僕も字幕版と吹替版を一回ずつ見させてもらったんですけど、字幕版より吹替版の方が「あ、こういうことなのかも」というのがスッと入ってきた気がしていて。それは単純に2度目だったからかもしれませんが。
ジョーカーも、一生懸命生きているんですよ。前作でもお母さん面倒を見たり、コメディアンになりたい夢に一生懸命だったり、自分の病に向き合って苦労はしているけれど、真っ直ぐ生きていた。だけど、色々なことに巻き込まれて凶行に走ってしまう…。周りに巻き込まれていくというのは、僕たちの人生の中にも、良い方向・悪い方向とどちらもあるじゃないですか。でも、ジョーカーには負の要素が多すぎた。ジョーカーが笑っている時って、僕には泣いている様にしか思えなくて。メイクをして、笑って、踊って誤魔化している。どんな人でも日々嘘をついたり、愛想笑いをしたり、メイクを一個ずつ重ねている所があると思うんです。絶対にやってはいけない罪を犯しているジョーカーに、僕を含め多くの人が惹かれる理由って、そんな所にあるんじゃないかなと感じています。
――今日は貴重なお話を本当にありがとうございました!
撮影:たむらとも
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