60年の時を超える犯人当て小説〜クリスティン・ペリン『白薔薇殺人事件』

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60年の時を超える犯人当て小説〜クリスティン・ペリン『白薔薇殺人事件』

 犯人当て小説は作者の、読者の心理を読むセンスが問われる形式だ。

 最もらしからぬ登場人物を犯人にするだけでは不十分で、真相を明かすことによって読者に最大限の驚きを与えなければいけない。この呼吸は難しいだろうと思うが、うまく決まれば生涯忘れ得ぬほどの強烈な印象を刻み込むことができる。

 その点でクリスティン・ペリン『白薔薇殺人事件』(上條ひろみ訳。創元推理文庫)は健闘していると思うのだ。死ぬほどびっくりさせられる、というような作品ではないが、そっと後ろからすり寄ってきて実は、と囁きかけるようなやり方が巧く、個人的には長く記憶に残るであろう解決場面となった。

 この作品の、最大の特徴は人物造形にある。主要登場人物の約半数が、1966年の青春時代と、2020年代に入ってからの老境、二つの肖像を描かれることになるのだ。若さに任せて暴走していた人物も、年を経て落ち着きのある紳士に変貌している。二つの時間軸を往復して叙述が進められていくことにより、各々の登場人物に読者が寄せる関心は高まっていく。現代のパートにしか登場しないキャラクターもいて、たとえば視点人物であるアナベル(アニー)・アダムズはその一人だ。彼女は時の流れの不思議を読者と共に感じるために配置された主人公で、六十年の間に何があって人々は今あるような姿になってしまったのだろうか、という謎を解くことになる。

 中心にいるのはアナベルにとっては母方の大叔母にあたる女性、フランシス(フラニー)・アダムズだ。ある日、アナベルはフランシスから遺産相続に関することで招きを受ける。なぜ、母のローラではなく自分なのかと訝しみつつアナベルはフランシスの住むキャッスルノール村を訪れるのだが、肝腎の集まりを待たずに大叔母は急逝してしまう。ミステリー作家志望のアナベルは現場の状況に不審を感じ、警察署で殺人の疑いがあると申し立てるが、すでに検死の準備は進められていた。実はフランシスは、1965年につきつけられた不吉な占いにのめりこみ、いつか誰かに殺されると信じていたのである。そのため、自分が息を引き取ったら必ず検死をするようにと生前から手配をしていた。そしてその準備は無駄にならなかった。フランシスは自然死ではなく、毒殺されていたのだ。

 この、1965年の占いというのが物語を動かす梃子になっている。文言はこうだ。

—-おまえの未来には乾いた骨がある。おまえのゆるやかな終焉は、クイーンを片手のひらににぎったとたんにはじまる。鳥に気をつけるがいい、なぜならおまえを裏切るから。そしてそこからは決して引き返せない。だが、娘たちが正義の鍵となる。正しい娘を見つけ、彼女を手放すな。すべての印はおまえが殺されることを示している。

 フランシスはこの占いに取りつかれ、以降の生涯において決して警戒を緩めなかった。たとえば自分を裏切る者に気を付けるあまり、鳥を意味する名前の者を敵視し、しばしば告発を行ったために地元警察署では悪質なクレーマーと見なされていた。突然館に呼び出されたアナベルは「正義の鍵となる」「正しい娘」に指名されたのだ。あることが明かされ、彼女はフランシス殺しの犯人を探さなければならなくなる。警察の捜査に先んじて真相を突き止めるという条件を満たさねばならず、物語には解決までの時限が切られるのである。

 フランシスの過去は、挿入される日記によって明かされていく。1966年の夏に事件が起きたことが明かされる。占いがほのめかすような、不吉な出来事は実際に起きたのだ。だがそれはフランシスではなく、彼女の友人であったエミリー・スパロウの身の上に降ってきた。スパロウ、すなわち雀。日記の記述はその事件に向けて進んでいくのだが、現在進行形で書かれているために視界は遮られており、不穏な雰囲気が漂っている。過去の事件が現在の大叔母の死と関連しているという前提でアナベルは動くため、二重になった遮蔽物を取り除くことが彼女の第一任務になる。

 過去の犯罪が現在の、なんでも覚えている人によって語られることで真相が明らかになっていく。そうした物語構造はアガサ・クリスティーが得意としたものである。本作にはその〈記憶の中の殺人〉プロットが組み込まれている。過去パートは日記の文章で明かされるのだが、それにアナベルが目を通せばすべてが判るというわけではなく、現在との間に横たわる60年という時間の変遷を考慮に入れなければ真相へはたどり着けない。60年もあれば人間は変化する。若さを武器に青春を謳歌していたフランシス・アダムズが、自身の死を恐れてすべての人間を疑ってかかる妄執の虜になっていたように。

 視点のもたらす効果を最大限に利用した作品である。過去パートが読者の興味を惹くのは、そこにフランシスの視点が強烈に反映されているからだ。たとえば、ジョーカーのような形で登場して人間関係に変化を起こすラザフォードという富裕家の青年は、フランシスの目からは一面的にしか描かれない。後に彼はフランシスの夫になる。意識的にか無意識かフランシスは、はじめから恋愛感情をもってラザフォードを見ているのだ。フランシスの視点が偏光作用を及ぼし、過去パートはあらかじめ些かの歪みが生じた状態で読者に、あるいはその代理人であるアナベルに呈示される。フランシスを理解し、その偏光の原則を解き明かすのがアナベルの任務なのである。

 こうした過去の解明と並行して現代パートではアリバイ検証などの推理が進められていく。読者のストレスを軽減するためか、アナベルがそこにいない親友のジェニーに電話をして相談しながら事件について考えていくという方式がとられているのが微笑ましい。アナベルもまた単なる視点人物ではなく、他人の痛みを理解できる成熟した女性として描かれている。フランシスの60年に最も同情を寄せ、理解しようとするのがこのアナベルだ。実際には顔を合わすことのなかった二人の女性が、推理という行為を通じて触れ合う物語ということもできる。アナベルによるフランシスへの共感、自分とはまったく違う時を生きた人と共に立つということが話の要になっている。

 評価が分かれるかもしれないのは、あることが語られないままになる点である。それは読者の想像に任されているのだが、書いてもらいたかったと思う人もいるだろう。私も最初はそういう考えだったのだが、読み終えてみて変わった。この小説はアナベルに同化して、そこに描かれている人間模様を見ていくのが最も幸福な読み方である。アナベルが想像するしかない出来事については、同じように読者も想像したほうがいいのだ。そうすることで登場人物の理解は深まる。真相が明かされたときの驚きも、より新鮮に受け止めることができるだろう。物語世界に読者を引き込み、そこで長い時間を過ごさせることで作者は、謎解き小説としての強度を上げようとしている。小説としておもしろいからこそミステリーとしても優れている、という作品なのだ。

 ミステリーとしてはいろいろギミックの多い作品なのだが、あまり触れずに紹介した。実際に読んで確かめてみていただきたい。クリスティン・ペリンはこれが大人向け小説のデビュー作だという。将来が楽しみな作家がまた一人。ぜひ続けて邦訳してもらいたい。

(杉江松恋)

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