黒沢あすかインタビュー 主演映画『歩女(あゆめ)』は、「大人の女性の背中を追った映画に」
特殊メイクアーティストとして、『ゴールド・ボーイ』、Netflix映画『ゾン100 〜ゾンビになるまでにしたい100のこと』、「岸辺露伴」シリーズなど数々の映画やTVに参加する梅沢壮一監督。前作『積むさおり』に続いて、妻の黒沢あすか(『沈黙〜サイレンス』『楽園』『658km、陽子の旅』『法廷遊戯』ほか)さんを再び主演に迎えた、映画『歩女(あゆめ)』が公開中です。交通事故で記憶の一部を失った主人公の女性が、生きもののような不思議な“靴”に導かれ、自身の過去にまつわるおそろしい真実を知る新感覚サスペンス。黒沢さんにお話を聞きました。
●梅沢壮一監督を象徴するようなホラー色というよりは、ミステリーに近い作風という印象でした。
大人の女性の背中を追った映画だなと思いました。実際にユリの背中を撮ったショットが多いことも確かですし、このタイトルのように彼女が歩いているシーンも象徴的に出てきます。その背中を追っていただいて突き抜けた先に、この作品を観た方それぞれの人生だったり、あるいはひとりの女性がいろいろなものを背負った後に人生を生き直す、変えて行くには何がつきまとっていくのかということが浮かび上がって来るんですね。
●観る方がどう人生を歩まれたかで確かに印象は変わりそうですよね、
やがて現実世界に戻った時に、女性の息苦しさを表現していたのか、それとも女性の地位向上を訴えることを問うているのか、観てくださる女性のアイデンティティーがどう作用するのかによって、印象は変わってくるものだとは思います。でもこの作品で言うと、これはユリという女性の人生の歩き方、震えた手の中に何を背負って生きてきたのか、彼女のバックグランドは何だったのかということを描いていく物語なんです。
●あの震えはユリ固有のものですが、とても象徴的でしたよね。誰しも“震え”はありそうな気がして。
そうなんです。あそこに彼女のすべてが出ているのですが、彼女は気が付かないんですね。震えは分かるので病院へ通って、薬を飲み治療するけれども、一向に良くはならない。彼女はたぶん日々新しく生き直すということに意思が行っているから、そのことに関して深追いはしないんです。
ただ、そういう自分の前にあの靴が出て来る。恐ろしいと思っているけれど、足を入れたことによってともに呼び覚まされてしまうということになるわけです。つまり<向こう側>から問いかけられてしまった。あなたが一向に分からないのであれば、僕のほう、わたしのほうから行きましょうと。それで来られてしまったという感じだと思うんです。
だから「歩きましょう」というのは、あなたが歩き出せないのであれば向こう側から一緒に伴走して上げるから思い出しましょう、歩きましょうと言われているのではないかなと。そういう意味もあるのではないかと、わたしは捉えましたね。
●また、K’s cinemaでは短編の『積むさおり』も9日(金)まで上映されますね。
数年前の作品ですが、まさかの上映していただけることになりました(笑)。梅沢の作品がこうして上映されることは、本当にうれしい限りですね。特に今回の『歩女』はこれまでの作風とは違い、好きだったホラー一辺倒からミステリーを基本に、出てくる俳優のみなさまのお力でほんのり笑える要素もあり、テンポ感がある作品になっておりますので、その新しい梅沢作品の公開を記念しましょうということに感謝しています。
●作風の変化には、何か理由があったのでしょうか?
そうですね。おそらく本人の中でも作品作りの何かが変わったのだと思いますね。ホラーたけで推していくには、日本の土壌では難しい。シッチェスなどの映画祭では、血しぶきで拍手喝采なんですよね。それを観るために俺たちは来ているんだと、満喫する土壌が深いんですよ。日本のホラーはわび・さび、五感で感じて、それぞれの恐怖を震わせる。そういう楽しみが根付いていますから、梅沢が表現したいホラーとは、ちょっと違うところがあると思うんです。
●新しいことへのチャレンジという意味合いもあったわけですね。
理想と現実のような解離を感じているわけではないだろうけれども、自分が今後作品を作っていくにあたって、世の中の人にちょっとでも引っ掛かってもらうには、どうしたらいいかを考えたのかなと、完成した映画を観て思いました。世の中に寄り添うわけではなく、世の中の動きを感じ、それでいて自分の良さを忘れない。そういうことを今回、『歩女』で目指し、それが出来ているのではと感じます。
●今日はありがとうございました!
公開中
(執筆者: ときたたかし)
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