“地元で何かしたい人”が大勢いないと、生活圏内は面白くならない。だから僕はこの場所をつくった。徳島県脇町の「うだつ上がる」
地方を訪れると、みな「ここには何もないから」という。気の効いた飲食店、カフェやパン屋もない。近くに遊ぶところがないからと県外まで出かける。「でもそれなら、いま住んでいる場所を、遊びに行きたい所にする方がおもろいやん」と話すのは、徳島の美馬市脇町で店舗兼ギャラリー兼オフィス「-みんなの複合文化市庭-うだつ上がる」を運営する高橋利明さんだ。いま、うだつ上がるには地元の20~30代が集まり、新しいイベントや仕事が生まれる文化の発信地になっている。(取材執筆/甲斐かおり)
美馬市脇町のうだつの町並みは重要伝統的建造物群保存地区で観光客も訪れる(撮影/藤岡優)
「うだつ上がる」とは何か?
徳島県の美馬市脇町は、「うだつの町並み」で知られる重要伝統的建造物群保存地区である。
「うだつ」とは、町家の両端につくられた小さな屋根つきの防火壁のことをいう。高い位置にあるほど繁栄の象徴となり「うだつが上がる」の語源となった。脇町は江戸時代、藍の集散地として栄え、いまも“うだつ”の上がる建造物、大きな商家の並ぶ街並みが残っている。
そんな街中に、築150年の民家を改修してできた店舗兼ギャラリー兼オフィスが、「-みんなの複合文化市庭-うだつ上がる」(以下、うだつ上がる)だ。いまは雑貨屋、喫茶、本屋、古着屋、家具屋、ギャラリーが入居しており、週末にはモーニングやチャイカフェ、洋菓子屋が営業している。
うだつ上がるの入り口。(撮影/藤岡優)
うだつ上がるを運営する高橋さんの本業は、建築家。設計事務所として活用するには広すぎるこの家の一部をオフィスとして使いながら、自ら雑貨屋を運営。2階では家具のショールーム(大阪を拠点に活動するクリエイティブユニット graf のサテライトでもある)、ギャラリーも運営している。
加えて、ここを「誰もがスモールスタートをきれる場所にしたい」と、各スペースを“間借り”できるサービスを始めた。高橋さんは、その理由をこう話す。
高橋利明さん。建築家であり「うだつ上がる」を運営している(撮影/藤岡優)
「この町は観光地ですけど、数年前に来たとき、お店がほとんどなくてびっくりしたんです。建物はきれいに残っているけど、住人には高齢者が多くて、街並みの維持で精いっぱい。まちのポテンシャルを活かすには、保存するだけじゃなく利活用するのが大事やなと」
建築家の知識をいかして、古い建物でも明るく活用できることを、ショールームとして見せられるんじゃないかと考えた。
うだつ上がる店内のショップ部分。この右奥がカフェスペース(撮影/藤岡優)
うだつ上がるの2階。家具のショールーム(graf)であり、奥はギャラリーになっている(撮影/藤岡優)
「もう一つ、僕の生活圏を楽しくするには、僕以外にも“何かしたい人”が沢山いないと面白くならないなと。この辺りでは、やりたいことより安定した仕事を選ぶ若い人が多くて、でも徳島には何もないって週末は県外に遊びに行っちゃう。それなら地元を遊びに行きたい町にする方が楽しいやんって。うだつが、そうした“何かしたい”を叶えられる場所になったらいいなと思ったんです」
左から谷あおいさん、高橋利明さん、岑田安沙美さん、脇川裕多さん。それぞれ「うだつ上がる」で活動している。うだつを行き来する人はほかにも大勢いる(撮影/藤岡優)
「うだつ上がる」があったから、徳島に戻ってきた
いま、「うだつ上がる」は地元の20~30代を惹きつけ、地域内外の人が行き交う場所になっている。出会いの場というだけでなく、新しいことに挑戦できる場。ただ仲の良い人たちと過ごすだけではなく、ほどよく緊張感のある場でもある。
では、どんな風に、みんなここに集まってくるのだろう。
たとえば、脇川裕多さん(31歳)の場合。実家は同じ美馬市の老舗和菓子店で、20代のころから神戸、東京へ出てパティシエの仕事をしてきた。いつか、地元に戻り、脇町でケーキ屋を始めたいと思っていて、SNSで「うだつ」を知り、高橋さんの元に遊びに訪れた。
「時々、地元に戻った時だけでもうだつでポップアップやったらええやんと高橋さんが言ってくれて。その2~3カ月後、父が病気になって一時的に戻ってきて実家を手伝うことになったんです。そしたら高橋さんが、週末だけでも自分のお菓子屋始めたらと言ってくれて。平日は実家の和菓子屋を手伝って、週末だけここで洋菓子屋を始めて。ちょうどチャイ屋をやりたいという女性がいたので、一緒にやったらと」(脇川さん)
脇川さんの焼き菓子ブランド「あわい」のお菓子。滋味深くて美味しい(写真提供:脇川さん)
徳島の季節のものを素材にした、ケーキやシュークリーム、夏はかき氷が評判。(写真提供:脇川さん)
いずれまた東京に戻ると話していた脇川さんは、この2~3カ月の間に、東京に帰るのをやめたのだという。なぜだろう。
「うだつにいたら全国から訪れる人に、土日だけでもたくさん会えるんです。マルシェやイベントなどの情報も入るのでチャイ屋さんと一緒に出店したり。地元に誰も知り合いがいなかったけど、一気につながりが増えました。今なら徳島に戻ってもいいなって。こっちで本腰いれてやろうと思えました」(脇川さん)
パティシエの脇川裕多さん。徳島で焼き菓子ブランド「あわい」を立ち上げた(撮影/藤岡優)
脇川さんとともにチャイ屋を始めた岑田安沙美(みねだ・あさみ)さん(27歳)の場合はこうだ。つい2年前まで姫路の小さな会社で、コワーキングスペース事業など企画系の仕事をしていた。個人でデザインの仕事も請けるようになり、もうしばらくは県外で働こうと思っていたが「高橋さんとうだつに出会って、徳島に帰っても何とかなる気がした」と言う。
うだつで出会った人たちからデザインの仕事が入り始める。
岑田安沙美さん。今はデザインの仕事を手がける(撮影/藤岡優)
いつかチャイ屋をやってみたいと話す岑田さんに、古本市というイベントでチャイを出した後、パティシエの脇川さんを紹介されて「常設で二人でやってみたら」と背中を押したのも高橋さんだった。
高橋さんは言う。
「準備ができたらやりたいとみんな言うけど、いつ準備できんねんって話で。やるって決めたら、いやでも準備せなあかんので。チャイが飲めて、美味しいケーキ食べられる店なんて、この辺りに他にないぞと」(高橋さん)
もちろんそうして始めた活動が、すぐに本業になるわけではない。そうしたいかどうかも人によってさまざまだろう。本業にならなくたっていいのかもしれない。大事なのは、まずやってみたかったことにチャレンジできる場があること。
ほかにも「うだつの高橋さんと出会って、土日だけでも来たら?と言ってもらったのが、徳島に帰るタイミングだと思った」と話す若者が何人もいた。
チャイおよび洋菓子カフェの様子(提供:うだつ上がる)
うだつ上がるでのイベントの際の様子(提供:うだつ上がる)
20代女性たちの出会いから始まった「古本市」
この場所がまさに20代世代の出会いの場所になり、一つの形として結実したイベントに「うだつのあがる古本市」がある。2022年11月に第1回目の古本市が開催され、半年後の春に第2回、そして2023年10月、うだつの近くの「オデオン座」という劇場で、第3回が開催された。
主催は、うだつで知り合った23~28歳の女性6人組。リーダーで発起人の谷亜央唯(たに・あおい)さんはこう話す。
「もともと徳島には本屋や美術館など、文化的なものが少ないなと思っていて。同じことをSNSで投稿している徳島の女性がいて、気になっていたんです。うだつに初めて来たとき、その女性と会って意気投合して。古本市の仲間になるほかのメンバーともここで出会って、その日にはもうどんな場所が徳島にあったら嬉しいか、みんなで話していました。卒業して徳島で一度就職したけどうまくいかなくて。数カ月で辞めたとき、うだつがなかったら東京に出てたと思うんです。でもやっぱり徳島で何かしたいなと思っていて、うだつでみんなと会って今があります」
谷亜央唯(たに・あおい)さん。今はうだつ上がるで週末にモーニングを提供しながら神山町の宿で働き、「古本市」の活動を進めている(撮影/藤岡優)
できることなら地元に居たい、戻りたい。そう思っている若い人たちは意外に多いのだと、改めて気付かされる。でも地元にはできることが何もないと思っている。
「じゃあまず、自分たちで何か始めてみては」という高橋さんの気持が20代の女性たちにも伝わった。6人は本業の傍ら、古本市の準備を進めていく。
「古本市に来てくれたお客さんには、本だけじゃなくてこの町も楽しんでほしいから、お客さんの目線でみなでまちを見てみようと歩いてみたり。1回目のときは出店してくれる人がいるかもわからなかったので、最悪自分たちで出店すればいいよねと話して。でも結果的に全部出店枠が埋まったんです」(谷さん)
「うだつのあがる古本市」の垂れ幕(提供:うだつのあがる古本市)
古本市の準備で、まち歩きをした際の様子 (提供:うだつのあがる古本市)
初回の開催から第3回にかけて、古本市の規模はどんどん大きくなっていった。第3回目の出店数はうだつ上がるに10組、オデオン座に15組。この成功は、谷さんたちの自信につながったに違いない。都会でなくても、これほど本や人が集まる素敵なイベントができる。徳島でもできる、自分たちで実現できたと。
第3回の古本市が開催された、うだつ上がるから徒歩3分ほどの「オデオン劇場」。屋外には多くの飲食店の出店も。(撮影/筆者)
第3回の古本市の様子。大勢の出店者とお客さんでにぎわった(提供:うだつのあがる古本市)
イベント当日は出店者に向けたトークイベントも行われた(提供:うだつのあがる古本市)
うだつ上がるは、「何か面白いことの生まれる場所」「いろんな若い人たちが集まってくる場所」として、認識され始めている。
「巻き込み力」の源
高橋さんは不思議な人だ。独特の関西弁で周りを笑わせながら、知らず知らずみなの背中を押している。高橋さんなくして、今のうだつ上がるはないし、うだつに惹き寄せられて徳島に戻った若い人たちもいないだろう。
大阪の生まれ育ちで、中学生までは芸人になりたかったという。その後、成り行きのような形で建築への道を歩み始める。建築の勉強は嫌いだったが「学校は楽しくて仕方なくて、無遅刻・無欠勤・無早退やった」と胸を張って言う。
(撮影/藤岡優)
人と関わるのがとことん好きなのだと思う。そしてその楽しい気持を全身全霊で表してくれるので、関わる人は嬉しくなるし、何かあれば高橋さんに声をかけたくなる。
最初はそれほど好きではなかった建築も、「自然と共生型」の建築との出会いをきっかけに、のめりこんだ。大阪から徳島へやってきたのも、徳島で活動していた建築家の元で修行しようと決めたからだった。
その人の元で9年間修行した後に独立してからは阿波市に暮らし、設計事務所を開業。イベント企画の仕事なども手がけるようになる。阿波市の地産の食材の美味しさをアピールするために「100人BBQ」を企画したときには、世代を超えて150人以上が集まった。現在は美馬市に店兼事務所を構えて、住宅や店舗など建築の仕事を手がけながら、うだつ上がるを運営している。
高橋さんと話す中ではっとした瞬間があった。
「小さいころから、自分と関わった人はみんな幸せになるべきやって思い込んでるところがあって。せめて僕とおるときは、みんな笑顔にしたい。常に笑かしたい。相手が笑えば自分も一緒に笑うしな。自分一人で笑ってんなってよく言われますが(笑)」
高橋さんの巻き込み力は、そこからくるのかもしれないと思った。
(撮影/藤岡優)
変な大人に出会える、寄り道できる場所
たとえば取材の日、高橋さんは「今日はこの後、建築の仕事で福井に出張する」と話していた。パティシエの脇川さんも福井まで連れていくという。
「福井でショップやっている知り合いが、ポップアップをやらせてくれるというので、僕が打ち合わせしている間に、脇川くんがかき氷を販売したらいいなと思って。僕がもっているつながりも、自分だけがもっているより、できるだけ誰かと共有できるならその方がいいので」
高橋さんは23年近く徳島にいて、嫌でも自分が生まれ育った環境、大阪との違いを感じるという。
「この近くの高校は進学校で、みんな遅くまでスーパーの休憩室で勉強しています。でも何になりたいとか話さない子が多い。徳島におったら、いろんなものに触れる機会が圧倒的に少ない。自分は大阪にいた頃、無意識にいろんなものにふれていたと思うんです。チラシのデザイン一つとってもそうやし、学校帰りには毎日まちに出て遊んで、いろんな人に会うてたし。
徳島にいても、その環境は大人が提供しないとだめだと思う。いろんな仕事や遊び場にふれる機会を。うだつ上がるの意味って、そういうところにあるんかなとも最近思う」
だから、地元の人たちが“何かを始められる”場であることと、「ここでもこんなに面白いことや楽しいことができるで」と若い人たちに見せられることが重要。
「地元の高校生が制服でうだつに来てくれると、テンションあがります。最近、明石くんという男の子が学校帰りに店に来てくれるんですよ。うちで初めてブラックコーヒー飲んで、美味しかったんでまた来ましたって。『友達いないんですよねぇ』とか色々しゃべってくれて。そんな風に子どもが寄り道して、変な大人に出会える場所を増やしたい」
最近は、同じうだつの町並みの通りに、うだつの2号店を増やすことを考え始めた。
「2号店の店名はもう『よりみち』でもいいかなと思ってます」。
そう言って笑った。
(撮影/藤岡優)
●取材協力
-みんなの複合文化市庭-うだつ上がる
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