本を介した連続殺人犯と被害者の対決〜キャサリン・ライアン・ハワード『ナッシング・マン』

本を介した連続殺人犯と被害者の対決〜キャサリン・ライアン・ハワード『ナッシング・マン』

 これは素敵な、息詰まる心理の読み合い。

 連続殺人鬼もののスリラーは、暗躍する犯人と追い詰める捜査陣とが、次第に距離を詰めながら対決していく構図に緊迫感がある。犯人の視点がある場合は、それが偏ったものになる。捜査陣は完全な五里霧中、犯人側は相手の動きを読んで裏をかくことが可能なので、最初は形勢が一方的になる。それがどこで逆転するか、というのがプロットの要である。

 キャサリン・ライアン・ハワード『ナッシング・マン』(高山祥子訳、新潮文庫)は、この連続殺人鬼ものなのだが、プロットは実に変わっている。主たる視点が犯人の側に置かれていて、読者はその揺れ動く心理を共有することになるのである。ええっ、そんな気味わるい小説は嫌だなあ、などと言わず、ちょっと話を聞いてもらいたい。

 題名の『ナッシング・マン』とは、2000年から翌年にかけてアイルランド最南部のコーク県に出没し、5件の事件を起こしたとされている謎の犯人だ。各事件では女性被害者に性的暴行が加えられ、そのうちの多くが死亡した。さらに女性だけではなく、その配偶者などにも命を奪われた者がいる。最後の事件ではディアドリとロスのブラック夫妻が殺害され、7歳の娘アンナまで命を奪われたが、幸いにも12歳だった姉のイヴだけは犯人の目を逃れたのか無傷で生き延びた。このイヴ・ブラックが一方の主役である。

 祖母に育てられて成人したイヴは、大学院で創作課程を選択した。その指導教官は、彼女に自分の中に存在する主題を形にするよう勧める。〈ナッシング・マン〉に殺されたブラック家唯一の生き残りとして、一連の事件に関するすべてについて知ること。特に、〈ナッシング・マン〉の正体について。こうして書き始めた原稿が、犯罪ノンフィクション『ナッシング・マン 生き残った者による真実を求める調査』として出版された。連続殺人事件の生存者が自分の家族を殺した犯人について書いたこの本はあっという間に話題になる。

 その『ナッシング・マン』を、手に取るのである。誰が。〈ナッシング・マン〉が、だ。事件から18年が経過し、相応に歳を重ねた男は今、ショッピング・モールの警備員として働いていた。そんなことを書いてしまって大丈夫かって。大丈夫なのである。本書は、〈ナッシング・マン〉が自分のことを書かれた書籍が発売されていることを知る場面から始まるからだ。〈ナッシング・マン〉の本名は、ジム・ドイルという。

 このジムが、刊行された書籍『ナッシング・マン』に何が書かれているかを知ろうとして読んでいく、というのが物語の骨幹になっている。作中作としての『ナッシング・マン』を読む犯人がおり、18年前の事件は彼が読む文章の中で展開していく。ジムが本を読む動機は、言うまでもなく著者のイヴが事件の真相にどこまで迫っているかを知るためだ。だから読みながら、記述の中で覚えた違和や、書き手の意図を考えることになる。つまり犯人が、自分を追ってくる者の意図を推理するのである。この作中作の使い方がおもしろい。

 ジムはじっと座って本を読んでいるだけではなく、時間経過と共に行動を起こす。その行動に関する記述で書かれることの中には、だいぶ後にならないと意味がわからない、重要な手がかりも含まれているのである。そうやって情報操作をして作者は読者に作中人物よりも少し先を行かせる。あれはどういう意味だろう、と考えるように仕向けるわけである。

 作中作の書き手として本の向う側にいるイヴ、彼女の書いたものを読んでいるジムという対決図式がまずある。イヴの作中作と現在のジム視点とを同時進行で目にしている読者は、自分が今持っている情報が、全体のどこに当てはまるのかわからない。平行線になっている二つの記述が交われば判明するはずなので、そこまで早く行こうとして読み続けることになる。それがページをめくらせる原動力だ。

 犯人が最初から登場しているのに、いわゆる倒叙方式のミステリーにならないのは、犯行に関する記述が作中作がイヴ、つまり被害者側から綴られるからである。すべて伝聞と推量で語られたものを、当の本人である犯人自身が読むという構図が凝っている。さらりと書いているが、技巧としての完成度は非常に高い。

 キャサリン・ライアン・ハワードはこういうひねりのある小説を書く作家で、これまで邦訳された2作、豪華客船という巨大な密室内で展開するデビュー作『遭難信号』(創元推理文庫)や、コロナ・ウイルス蔓延の影響により都市封鎖が行われた特殊状況下の物語である『56日間』(新潮文庫)には、まったく先が読めず、かつ物語構造が判明すると大きな驚きが生まれるという共通点があった。構成が複雑なのに異常に読みやすいというのもこの作家の特徴で、とにかく読者の心を掴むのが巧いのだ。

〈ナッシング・マン〉とは、事件捜査が行われていた当時の警察が犯人の足取りをまったく掴めなかったことからマスメディアが揶揄気味につけたあだなである。彼が魔法のように暗躍できたのはなぜか、そもそもどういう基準で犠牲者を選んでいたのか、というような犯行手段に関する疑問が当然生じる。それについては終盤で明かされることなので省くが、犯人が最初から登場しているにも関わらず、謎解きの興味が中盤以降まで持続する点は見事としか言いようがない。ジム・ドイルというのはつまるところ何者なのか、ということが読者は気になって仕方なくなるはずだが、それが判明したときには〈ナッシング・マン〉の名称がまた別の意味を持ったものとして浮上してくることになるだろう。ダブル・ミーニングの技法である。鮮やかだ、本当に鮮やかだ。

(杉江松恋)

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