藤岡みなみ|鮭に対しておこがましいあの言葉【思い立ったがDIY吉日】vol.86
文筆家・ラジオパーソナリティの藤岡みなみさんが、モノづくりに対してのあれこれをつづるコラム連載!題字ももちろん本人。かわいくも愉快な世界観には、思わず引き込まれちゃいます。今回は、イクラを作ることについて!
藤岡みなみ
文筆家。暮らしの中の異文化をテーマにした『パンダのうんこはいい匂い』(左右社)が発売中。
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鮭に対しておこがましいあの言葉
▲筋子からイクラを作るのもDIYかも。
ずっと気になっていた言葉がある。
それは「イクラを作る」である。
秋になるとSNSに「イクラを作りました」「今年もイクラを作るぞ」などの投稿があふれる。
イクラを、作る……?
それを言っていいのは鮭だけではないのか。
私だってその言葉が、筋子からイクラを取り出して醤油漬けにすることを指しているのはわかる。
わかるけれど、違和感があるのだ。
「イクラを漬ける」とか、百歩譲って「(筋子を)イクラにする」ならわかる。
「作る」は言い過ぎ。
そんな思いで過ごしていると、今年は筋子がとても安いという噂が飛び込んできた。
これは人生で初めてイクラを〝作る〞チャンスかもしれない。
例年に比べて安いとはいえ、やはり緊張する値段だ。
高級ステーキ肉のような価格の筋子をひとつスーパーで買ってきた。
40度の塩水につけて、筋子の膜を取り除いていくらしい。
アニサキス対策で70度の湯を使用する方法もある。
しかし子どもの頃おせちのイクラをお雑煮に入れたら粒が真っ白になりおいしくなくて泣いた思い出があり、そんな熱い湯に入れる勇気は出なかった。
完成したイクラを一旦冷凍することでも対策はできると知り、湯の温度は40度でいくことにした。
▲こんなに動揺するとは思わなかった。
怖い。少しでも力を入れると、膜を取るときに卵を潰してしまいそうだ。
でものんびりいつまでも触っているとそれはそれで壊れそう。
慎重さと勇敢さ、この二つが重要だ。
家庭菜園を思い出した。トマトのわき芽を取るとき、ピーマンの一番花を摘むとき、勇気が要る。
あるいは白い画用紙に色をのせる瞬間や、木材にノコギリを当てる瞬間もそうかもしれない。
えいやっと、小さく腹をくくる瞬間がある。集中の正体。
覚悟を決めて少し大胆な手つきに変えてみると、イクラはすんなり筋から離れた。
ぽろぽろ、自分から独立していく者もいる。
事前の調べによると、焼き網に押し付ける方法もあるという。
そんな強行手段いいんだろうかと思いつつ試してみると、こちらも簡単にほぐれた。
イクラは意外とたくましい。
▲ホームセンターで焼き網を買ってきた。
心配なのは、ほぐれたイクラたちが白く濁っているように見えることだ。
これ、大丈夫なのか。
熱が入り過ぎたのではないか、と不安がよぎる。
しかし、漬けダレの中に入れてしばらくするとすんなり透き通った朱色に戻っていった。
最初はまだふにゃふにゃの頼りない感じのイクラだったが、漬けて数時間後に様子を見ると、パン!とつややかに膨らんだ立派な粒になった。
この瞬間、イクラが出来た。
ただほぐしただけではまだイクラにならない。
私がイクラを作ったんだ、と思った。
季節の手仕事、イクラの旅
▲保存容器で眠るイクラがかわいい。
恐れ、不安、覚悟、集中、発見、充実感。
筋子と向き合うことで巻き起こる心の変化と、初めての手法で体得する新しい感覚。
筋子からイクラを作る短い時間に、旅をしたような新鮮さと満足感があった。
イクラ作りはDIYだ。
手作りのイクラは賞味期限が短いため、仕方ないなあと言いながら豪快に食べる。
函館の朝市にありそうなイクラたっぷりの海鮮丼を作った。
口の中でプチプチ弾けるたびに、イクラが保存容器の中で漬けダレにおとなしく浸かっていた時間のことを思う。
醤油やみりん、だしで出来たおいしい液を吸い込んで、ぷくぷくに育った。
自分で焼いたクッキーが何故かやけにおいしく感じるみたいに、自分で作ったイクラはうまい。
それに、ぴかぴか光って美しくって、道ゆく人誰にでも見せびらかしたい。
また来年も、イクラを作ろう。季節の仕事として、イクラ作りを生活の風景に取り入れたい。
日々の忙しさから一瞬離れて、繊細な粒々と勇敢に向き合う時間を作りたい。
どうかどうか今後も、ギリギリ手が届く価格でありますように。
▲夢の手作りイクラ丼、当然おいしい。
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