「四六時中」が長い時間という意味になる理由とは?その由来や数字の入った他の言葉も解説
「あいつは四六時中ゲームしてるよ!」という風に、何かに没頭して一日中同じことをしていることをあらわす「四六時中」。
この表現は、なぜ4時から6時で長い時間という意味になるのでしょうか。
実は、江戸時代特有のダジャレ文化が関係している「四六時中」について、ここでは解説します。
「四六時中」とは
まずは、「四六時中」という言葉の意味や類義語について見ていきましょう。
「四六時中」の意味
四六時中は、「一日中ずっと」「いつも」などという意味で使われます。
「四六時中、スマホばっかり触っている」や「四六時中、仕事の事が頭を離れない」のように、とにかく継続していつも何かの事柄ばかりをしているということを表現したいときに使います。
良い意味でも、悪い意味でも、「そればかりしている」というニュアンスで使われる言葉ですね。
「四六時中」の類義語
四六時中の類義語は複数あり、「明けても暮れても」「朝な夕な」「年がら年中」「寝ても覚めても」などがあげられます。
いずれも、いかにその人がそればかりをしているか、そればかりに囚われているかということを強調する、枕詞となっています。
四六時中の由来
「四六時中」という言葉には、時刻の数え方が関係しています。
それも掛け算の九九を元にした、まるでシャレのような発想から生まれていたのです。
元は「二六時中」だった
「子(ね)の刻」とか「午(うま)の刻」などという言い方が、時代劇などで出てくるのですが、聞いたことがありませんか?
これは昔用いられていた時刻の数え方で、江戸時代には日の出と日没を境として昼夜に分け、それぞれを6つに区切って1日を12刻で表していました。
そこに十二支を当てはめてることで、深夜の0時ころの「子の刻」と正午12字頃の「午の刻」が九つとされていました。
そこから時間が深まるに連れ8つ、7つ、6つ、5つ、4つと下っていく数で呼ぶ言い方をしていました。
ちなみに、9からカウントして6つに区切っていたので、3つ、2つ、1つと呼ばれる時間帯はありません。
この時間の考え方から生まれたのが「二六時中(にろくじちゅう)」という言葉です。
6つに区切った時刻が2回ある、つまり2×6をあらわしている言葉なので、12刻を示している。
1刻が2時間相当なので、12刻は24時間つまり1日中になるという発想ですね。
時刻の数え方が変わり、言葉も変わった
この12刻制に変化が生じたのが明治時代の初め。
明治5年(1872年)に、現在も使われている24時間制が採用されたことで、1日は24分割されることになりました。
それまでとは違い、午前0時から翌日の午前0時までを24等分する制度に変わったことで、1日は2×6=12ではなくなってしまいました。
そのため、1日中を表すこの言葉が、4×6=24で「四六時中(しろくじちゅう)」と変化したというわけです。
他にもあるよ!数字を使ったダジャレな言葉
江戸時代の人たちは、「二六時中」のように数字を使ったダシャレのような言葉を生み出すのが上手かったようです。
今でも使われている言葉もあるので、いくつかご紹介しますね。
二八蕎麦(にはちそば)
二八蕎麦は一般的に、そば粉8に対してつなぎの小麦粉を2とする”粉の混合割合”のことだと思われています。
しかし、これには別の説があるようです。
江戸時代、安いそばは1杯16文で売られていました。
そのため、2×8=16で「二八蕎麦」と呼ばれるようになったといわれています。
ちなみに、16文で売られていたその蕎麦は、そば粉2に対しうどん粉8という割合で作られていたという説もあります。
おやつ
「おやつ」という言葉も、昔の時間の数え方から生まれた言葉です。
今でいう午後2時頃から4時頃までの時間は、12刻でいうと「八つ刻(やつどき)」に当たります。
この八つ刻に食べる間食ということで「おやつ」と呼ぶようになり、それが今でも使われているというのです。
三五夜(さんごや)
「三五夜」は旧暦8月15日の月、つまり「中秋の名月となる十五夜」の事です。
理由はもうおわかりですよね。
そう、3×5で15になるので十五夜というわけです。
また意味を広くとって、満月のことも指すこともあります。
翌日の十六夜の月を、同じ理屈から「二八の月(にはちのつき)」と呼ぶこともあったそうです。
まとめ
1日中を意味する「四六時中」は、「4×6=24」という1日24時間をダジャレのような表現をしたことで生まれました。
この言葉は江戸時代のダジャレ文化の中で生まれたといわれ、当時は1日12刻制だったので、2×6で「二六時中」と言っていたのだとか。
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