気候変動に立ちむかう新技術と経済システム~『未来省』

気候変動に立ちむかう新技術と経済システム~『未来省』

 作品世界のリアリティ(自然科学面だけではなく社会科学的にも、また登場人物の造型においても)で定評のあるキム・スタンリー・ロビンスンが、2020年に発表した大作。二酸化炭素排出に起因する気候変動を主題とし、現在から2050年代の状況をさまざまな角度から検討し、大河のごとき物語に仕上げている。本書はオバマ元大統領が2020年のお気に入りのうちに選び、ビル・ゲイツが「刺激的で魅力的」と称賛した。

 物語の幕が開くのは2025年のインド。未曾有の熱波にみまわれ、二週間で二千万人が命を落とす。凄惨な地獄図が、現地の診療所に勤務するフランク・メイの視点で描かれる。フランクは穏健なアメリカ人だったが、この体験によって環境保護意識を先鋭化させ、二酸化炭素の排出に荷担する企業や富裕層、じゅうぶんな対策を施さない政治家や公務員を気候犯罪者とみなすようになる。

 インドの熱波の少し前、国連気候変動枠組条約締約国会議(COP)で採択されたパリ協定に基づき、スイスのチューリッヒに国際組織、通称〈未来省〉が設立される。次にくる世代、そして動物や水源地のような、自分では意見を言えない存在の利益を代表する役割を担う機関だ。そのトップに、労働組合の弁護士出身で、かつてアイルランド外務大臣を務めたメアリー・マーフィーが就任する。

 この物語では、炭素排出を削減する、あるいは空気中から炭素を回収する新しい科学技術がいくつも提示され、それを支える制度のアイデアも詳しく描かれる。しかし、メアリーたちがもっとも注力するのは、そうしたイノベーションや制度改革へと社会と産業が舵を切るように促すインセンティヴだ。その要となるのが、ブロックチェーンによって信用を裏づけられた、新しい貨幣システムである。はたしてポスト資本主義経済は実現するか?

 メアリーたちの計画と努力、そしてフランクがたどる運命(それはやがてメアリーの人生と合流する)がこの作品の主軸だ。また、彼らの物語とは別に、世界各地で起こるさまざまなできごと(大きなプロジェクトや技術革新もあれば、名もない人物の個人的な体験もある)が、独立したエピソードとして語られる。それぞれが短篇小説として読める起伏と、叙述のテクニックを備えているのは、さすがロビンスンだ。

 この作品の語りにおいてもうひとつ特徴的なのは、ノンフィクション的なアーティクルが随所に挿入される点だ。取りあげられる内容は、産業革命以降の気温上昇、イデオロギーとしての科学、地球規模のリソースとその分配、人間の脳に組みこまれた認知エラー、ヘブライの伝説に出てくる〈三十六人の義人〉、「神々の黄昏」症候群……などなど、きわめて多岐に及ぶ。スタイルはノンフィクションだが、ロビンスン自身の態度がはっきりと打ちだされている部分もあり(とくに新自由主義への批判)、ときに読者へのダイレクトな問いかけもおこなわれる。

 巻末には、電脳建築家でありSFにも詳しい坂村健東京大学名誉教授の行き届いた解説を収める。作品自体に詰めこまれた情報量があまりにも膨大なので、頭を整理するために、この解説はありがたい。

(牧眞司)

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