「温柔敦厚」とはどんな人をあらわす言葉?その意味や由来、類義語は?

穏やかで優しく情が深いことを「温柔敦厚(おんじゅうとんこう)」と言います。
これらは思いやりがあって放っておけないことを指します。
しかし、そもそも「温柔敦厚」はどういった言葉なのでしょうか?

今回はそれら「温柔敦厚」という四字熟語について解説します。
併せてその意味だけでなく成り立ちや類義語も説明するので、ぜひ参考にしてみてください。

「温柔敦厚」とは

まずは「温柔敦厚」の意味について見ていきましょう。

「温柔敦厚」の意味

「温柔敦厚」とは穏やかで優しく情が深いことの例えです。
これは思いやりがあって放っておけないようなことを言います。

これらは主に人に対して使用される表現となっています。
実際に誠実な人などを表す四字熟語としても使用されることが多いです。

「温柔敦厚」といわれるのはこんな人

「温柔敦厚」はねんごろで人間味溢れる人を意味します。
中でも理想的な人格者を意味する言葉として使用されます。

現代的に表現するなら人柄が真面目であることを言う言葉です。
他にも他人のことを放っておけない人や相手のことを思いやれる人なども指すため、幅広い意味を持っています。

ちなみに、これらはポジティブなニュアンスで使用されることがほとんどです。
そこはネガティブな意味合いで使用されることはあまりないので、言う方も言われる方も嬉しい言葉となります。

「温柔敦厚」の由来

では「温柔敦厚」はどこから来た言葉なのでしょうか?
ここではその由来や語源について見ていきましょう。

儒教の経典となる「詩経」を孔子が経典である「礼記」の中で評価した言葉から

「温柔敦厚」は儒教の経典から来た言葉とされます。
もともと孔子が儒教の基本的な古典かつ中国最古の詩集である「詩経-礼記」を評した言葉だったとされています。

実際にそれらの書物には「楽しみて淫せず、哀しみて傷らず」という言葉が残っているとか。
これは楽しんでも度を過ぎず、悲しんでも酷く歎かないことを意味する言葉となっています。

要は「詩経-礼記」が持つ教化の力を評した言葉なのです。
つまり人々の純朴な心情を素直に伝える「詩経-礼記」の内容について褒めた言葉となります。

実際に「詩経-礼記」には民衆を感動させ、教化する力を持っていると評されていました。
そこから来たのが「温柔敦厚」となるわけです。

「温柔」と「敦厚」があらわすもの

では「温柔敦厚」とはそれぞれ何を示す言葉なのでしょうか。
これに関しては熟語ごとに分解して解釈するとわかりやすいです。

まず「温柔」は平穏で柔和なことを意味しています。
次に「敦厚」は親切丁寧で人情深いことを意味します。

要は思いやりがあって人を放っておけないような人柄のことを言った言葉なのです。

「温柔敦厚」の類義語

最後に「温柔敦厚」の類義語を見ていきましょう。
「温柔敦厚」の類義語には「温厚篤実」や「劉寛温恕」があります。

温厚篤実

「温厚篤実」とは情が深く、穏やかで優しいことの例えです。
「温厚」は穏やかで優しく情が深いことを意味します。
「篤実」は人情に厚く実直であることを意味します。

それらの意味が「温柔敦厚」と重なるのではないでしょうか。

劉寛温恕

「劉寛温恕」とは些細なことを気にしないことの例えです。
「劉寛」は優しく穏やかな人柄で知られた大官の名前です。
「温」は温厚なことを意味します。
「恕」は許すことを意味します。

これは古代中国の故事から来た言葉とされているそうです。

その昔、劉寛の夫人が劉寛を一度怒らせてみようと試みたとか。
その際、召し使いに命じて熱い吸い物を服にわざとかけさせたとされています。

本来、大官にそのような無礼を働けば怒られて当然です。
しかし、劉寛は怒るよりも召し使いがやけどしていないかを気にかけていたとされています。

その様子からこの四字熟語が生まれたとされているのです。
実際にその意味も「温柔敦厚」に通ずるものがあるでしょう。

まとめ

「温柔敦厚」は穏やかで優しい人柄を言った言葉です。
特に人を放っておけないような思いやりのある人を言います。

昨今、世の中がどうにもギスギスしてきています。
そんな世界だからこそ、今一度「温柔敦厚」を心に留めておきたいところです。

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