第1回新潟国際アニメーション映画祭グランプリは『めくらやなぎと眠る女』──長編アニメに特化した映画祭の長所と課題

『めくらやなぎと眠る女』
(C) A Zeitgeist Films release in association with Kino Lorber

映画監督押井守をコンペティション部門の審査委員長に迎え、新潟市民プラザをメイン会場に開催された第1回新潟国際アニメーション映画祭が22日、無事閉幕した。グランプリを受賞したのはピエール・フォルデス監督、フランス・カナダ・オランダ・ルクセンブルク合作の村上春樹原作映画『めくらやなぎと眠る女』。フランス本国での公開を直前に控え、フォルデス監督の来日は叶わなかったが、ビデオメッセージで受賞の喜びを語った。

村上春樹の表題『めくらやなぎと眠る女』と『神の子どもたちはみな踊る(かえるくん、東京を救う)』、そして『象の消滅』の3冊の短篇選集から6つのエピソードを厳選して1本の長編映画にまとめた本作は、日本を舞台にしているが、台詞は英語。しかし本筋と関係ない、いわゆるガヤの音声は流暢な日本語。この奇妙な違和感が、現実世界とは異なる、村上春樹ワールドへと観客をいざなっていく。

そして声を担当している俳優たちの、声だけでなく、演技を撮影して、それをアニメに変換させている。ウネウネと動いて妙に生々しいが、実写ではないから、ところどころ妙にフワフワしている。この絶妙な非現実感。

音声と映像の両方で独自のスタイルを追求したアニメになっており、授賞式後の囲み取材で押井審査委員長をして「村上春樹の原作をあれ以外の表現方法でやれただろうか。実写映画では不可能なことをやった。かえるくんが出てきた時点で実写では不可能。なんとなく情けないような、気持ち悪い時間が流れていく。一見すると非常に気持ち悪い作品だが、とても力がある。現代文学を映像化するのは基本的に不可能。なぜなら文体の世界だから。その言語感覚をどう映像化するか。最小限の情報量の線画で、ノターッと気持ち悪く動いている。あれには相当な説得力があった」と言わしめた見事な完成度になっている。原作にない台詞もあれば、原作から削られた要素もあるが、原作ファンも納得する内容になっているはずだ。

© A Zeitgeist Films release in association with Kino Lorber

各賞の発表

コンペティション部門各賞の名称が伏せられたまま映画祭最終日の授賞式を迎え、最高賞であるグランプリの他に、奨励賞、境界賞、傾奇(かぶく)賞の各賞が発表された。若手を讃えて評価する奨励賞は人間の少女と吸血鬼の女性の悲哀を描く牧原亮太郎監督の劇場版『ヴァンパイア・イン・ザ・ガーデン』が、2Dやストップモーションという1つの手法に囚われず、垣根を越えて新しいアニメ表現をめざす作品に与えられる境界賞には実写とアニメを混在させてロックバンドメンバー4人の悪夢と死のループを描くロスト監督のフランス映画『四つの悪夢』が、そして傾奇者のように従来の価値観に問われない斬新な創作を評価する傾奇賞にはヴィノム監督の『カムサ – 忘却の井戸』が選ばれた。

『カムサ – 忘却の井戸』
©2022 D-clik Production

アルジェリア初の長編アニメとなる『カムサ – 忘却の井戸』は、上映前舞台挨拶でヴィノム監督が「記憶とアイデンティをテーマにしている」と語ったように、自分の名前すら忘れてしまった主人公の少年が荒涼とした大地と廃墟を旅するうちに徐々に記憶を取り戻すが、ただでは済まないという物語。どことなくテレビゲームの『風ノ旅ビト』に似た絵柄と雰囲気があり、ゲームっぽいなと思いながら見ていると、劇中で唐突にLOADING画面(データ読み込み場面)が表示される。

ゲームとアニメは、どちらも絵であるから、相性がいい。押井守監督の『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』には格闘ゲーム『バーチャファイター』の回し蹴りが出てくるし、アフリカを舞台にしたミッシェル・オスロ監督の『キリクと魔女』には『スーパーマリオブラザーズ』を模した横スクロールアクションがある。影響を受け合うゲームとアニメの関係に対して『カムサ – 忘却の井戸』はさらに積極的。悪びれることなく「このアニメはゲームそのものである」と宣言してしまう。傾奇賞にふさわしい内容だ。さらに受賞スピーチでは押井監督の『天使のたまご』にインスパイアされたことを告白し、喜びに涙を流すヴィノム監督を押井審査委員長がハグする感動的な瞬間もあった。

アニメの本質に迫る映画祭

カンヌ映画祭のように監督賞や脚本賞が設けられなかったことについて押井審査委員長は「アニメの場合は監督だけ、あるいは脚本だけを評価することができないからだ」と述べた。だからこそ手法やスタイルを評価する境界賞と傾奇賞が創設された。作り手が物語に込めるテーマやメッセージとは別に、アニメには追求すべき表現上のスタイルが常に存在する。実写とは異なり、画をゼロから作り出すアニメだからこそ、アニメ作品それぞれに固有のスタイルがあるべきなのだ。

受賞しなかった6作品は、物語のテーマと表現のスタイルが一致していないか、あるいはテーマの追求が足りなかったのだと考えれば、すべて説明がつく。

アニメとは何か。アニメ監督押井守を審査委員長に迎えたことでアニメの本質に迫る映画祭になった。

その一方でコンペ選出作品10本中6本がフランス映画、もしくはフランスが共同製作として参加している映画となっており、国際映画祭として偏ってしまったが、押井審査委員長は「アニメはオリンピックじゃないからね。どうしてもフランスを中心としたヨーロッパ、あるいは北米、そして日本になってしまう。他の映画祭のようにはバランスを取れない。これもアニメの特色だ」と語った。「それでもアルジェリア(『カムサ – 忘却の井戸』)のような珍しい国のアニメを見ることができたから良かったと思うよ」と今回のラインナップを評価した。

新生映画祭としての課題

コンペの他にも特集上映が組まれ、映画祭としてのラインナップは充実したが、540席の新潟市民プラザで観客が20人に達しない上映があった。土日や祝日の上映でもコンペ作品は満員にならなかった。客席94のシネ・ウインドで開催されたレトロスペクティブ上映『AKIRA(デジタルリマスター版)』などはチケットが売り切れたが、コンペ上映は盛況には程遠かった。押井守が審査委員長を務め、コンペの意義や重要性を語りつづけたことで「映画祭の目玉はコンペである」ということは周知できたかもしれないが、まだまだ客足につながっていない。これは今回の新潟に限らない。東京国際映画祭でも同じだ。通常の劇場公開映画のように映画祭も気軽にチケットを買って普段着で観に行っていいことを知らない人が多い。特に映画祭の場合は今回のチャンスを逃したら二度と日本で観ることができない外国映画もある。チケット料金も安い。映画祭は気軽かつ貴重で稀有な体験ができる。ポスターやチラシを配って告知するだけでなく、気軽に鑑賞できることをもっと広めていく必要がある。

そして客足の問題だけでなく、映画祭の運営にも課題が残った。本編開始前に映画祭のロゴ映像がスクリーンに映し出され、「21世紀、新潟はアニメーションの首都に。」というキャッチコピーが表示されるが、日本語のみで英語翻訳は併記されなかった。これ自体は些細な指摘かもしれないが、上映前に登壇ゲストの有無や会場内が飲食禁止であることを告知する音声アナウンスも日本語のみだった。海外からの審査員、出品者たち、マスコミ、そして観客。上映作品に英語字幕がついていればいいだけではない。映画祭運営側に細かい気配りがもっと必要だ。

(写真と文:鶴原顕央)

押井守の映画50年50本
著者: 押井守
定価: 2,420円(本体2,200円+税10%)
発行: 立東舎

(執筆者: リットーミュージックと立東舎の中の人)

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