住処を奪われた猫に社会を見る。『猫たちのアパートメント』
『子猫をお願い』で仁川出身の同じ高校を卒業した女性5人それぞれの20歳のときを描き、貧困や格差、家父長制など様々な問題への考察を促し大きな注目を集めたチョン・ジェウン監督。そこから約20年後、人間社会の都合で馴染んだ住まいから離れることとなった猫たちを追うドキュメンタリー『猫たちのアパートメント』をジェウン監督が手掛けたのは運命的に思える。
舞台となるのは、かつてアジア最大を誇った巨大な複合住宅である遁村(トゥンチョン)団地。1980年に竣工した遁村団地は老朽化のため2017年に再開発が決定、2021年に撤去完了した。2016年に同団地の記録を進めていた作家のイ・インギュに声をかけられたジェウン監督は、建築ドキュメンタリー3部作をリリースするほどに建築物への関心が高いが、当初この団地に特別な思い入れは抱いていなかったという。しかし、多くの住人が遁村団地に大変な愛着を持っていることが気にかかり、いざ調べ、訪れてみたところ、都会的な生活を送ることなく団地に入った初期の住民たちが築いた親密なコミュニティのあり方、既存の山や丘を平地にすることなく共生させたデザインに惹かれ、消えゆくところをおさめたいと考えるようになる。
そしてそこには、建物で暖をとり人に慣れた野良猫たち約250匹が存在した。飼われてこそいないものの、餌をもらうことに慣れた野良猫たちは、住民が徐々に減っていき、急速に荒む環境で生き残れるのか。取り壊し工事が始まってからでは建物に潜り込んだ猫を救うことは厳しいことからも、事前に救い出そうとする住民により「猫の幸せ移住計画クラブ」(略称「トゥンチョン猫の会」)がつくられ、一匹ずつ捕獲し移住させる作戦が開始。奇しくも、この会を運営する人々は『子猫をお願い』を観て影響を受けた世代(女性が主たるメンバーで、弱者の世話をするのはいつも女性で、かつ、その女性たちに社会は全く注目しないのだと監督はのちにインタビューで語っている)。そうした様々な巡り合いと、韓国でも問題となっている再開発とその地域で暮らす弱者という2つの点が交じわったことから、猫とトゥンチョン猫の会を軸に、遁村団地が消えゆくまでを記録していく。
本作が撮影されたのは撤去が進み、本格的な取り壊しが始まるまでの2年半の間。閑散とした団地と猫、ごく少数の会の人々という静かな空間は、なくなることがわかっているからかどこかノスタルジックな楽園のように見える。
孔子のようだと名付けられた「コンスン」、3号棟の人気猫で体格の良い「トゥンイ」、綺麗な毛並みで野良猫嫌いの人たちすら笑顔にさせる「パンダル」、子どもたちに人気でいつも走り回っている「カミ」、世界で一番かわいいという称号をもらった黄色いトラ猫「イェニャン」、団地の中のすべての動物に挨拶して回る「ノレンイ」。個性豊かな猫たちの姿は、次にいつ会えるかわからないからと見かけたらすぐに撮影する方針で、80回にわたる訪問時に少しずつ蓄積された。撮影担当は猫と同じ目線で駆けずり回り、カメラも猫を脅かさないために一番小型ものを使用。撮影した後にどの猫かと照合していき、物語が繋がっていったという。猫の会の人々は写真をもとにイラストを作ったりと丁寧に一匹一匹を見分けながら対応していくが、捕獲しても帰巣本能で交通量の多い道路を横ぎり元の場所に戻ろうとする猫に、本当の幸せとは何かと悩んだり、意見の食い違いに落ち込んだりもする。けれど、それらはあくまで、巨大な団地という人を中心とした生態系にいた猫たちが、その生態系の変化でどうなっていくのかを映し出したドキュメンタリーの一部である。
説明的な言葉が多く語られないかわりに、そこで生きる生物たちの姿が如実に私たちに訴えかける。次から次に作っては壊す建物には、人間以外にも生きるものたちがいる。一度変化した生態系をもとに戻すことは簡単なことではない。選択に伴う責任を私たちは果たしてどれくらい真剣に考えているのか。人間中心の社会への鋭い眼差しが残る。
『猫たちのアパートメント』
2022年12月23日(金)〜ユーロスペース、ヒューマントラストシネマ有楽町にてロードショー
http://www.pan-dora.co.jp/catsapartment/
【監督】チョン・ジェウン『子猫をお願い』『蝶の眠り』
【音楽】チャン・ヨンギュ『哭声/コクソン』 【出演】キム・ポド、イ・インギュ
【提供】パンドラ/竹書房/キノ・キネマ/スリーピン
【配給】パンドラ
2022年/韓国/88分/DCP/ドキュメンタリー/英題:CATS’APARTMENT
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