言葉に先立つ、人間性を伝えるプロトコル
十年ぶりとなる長谷敏司のSF長篇。前作『BEATLESS』は、人類知能を凌駕する超高度AIが人間といかなる関係を築きうるかを模索する物語だった。本作でもAIが題材となるが、基盤となるテクノロジーはずっと現実寄りだ。時代設定は2050年代で、社会制度・文化・慣習は現在とほとんど変わっていない。
これは人間のダンサーとダンスロボットとが競演して、いままでになかった表現を実現する物語である。
そして、子と父との物語でもある。主人公の護堂恒明(ごどうつねあき)は二十七歳のコンテンポラリーダンサー。その父の護堂森(ごどうしん)は、この五十年間、第一線で活躍しつづけてきた伝説の舞踏家だ。
恒明はダンスの才能が認められ、これからキャリアを積み重ねようという矢先に、交通事故で右足を失う。AI制御の新開発義足をつけ再起を図るが、当初はぶざまな動きしかできない。
そんな恒明に対し、父親の森は辛辣に言い放つ。「ぶざまで上等だ。うまく踊るだけなら、きょうびダンスロボットのほうが、よっぽど上手い。人間性が見えないダンスに、価値はない」
いっぽう、恒明とともにダンスカンパニーを立ち上げた谷口裕五(たにぐちゆうご)は、変わった持論を開陳する。人間の脳は内臓であり、人を躍らせる働きも持っている。恒明のダンスは脳の中で一度壊れて、いま、再構築中なのだ。谷口はこんなことも言う。人間性のプロトコル――情報を伝える「正しい手順」――は、言葉より先にあった。そのプロトコルを義足の身体で整理できれば、目ざすダンスが実現する。
恒明と谷口はさらに、ロボットと人間との完全なるダンス共演の可能性をさぐりはじめる。ロボットを道具として使ったダンスではない。人間性のプロトコルを身につけたロボットが、人間のダンサーとともに表現をおこなうのだ。
ダンスカンパニーが動きだした矢先、恒明の父、森が認知症になってしまう。普通に生活ができているときもあるが、一瞬前の記憶も保てず突飛な行動に出ることもある。父の介護によって恒明は精神を削られてしまう。
そんな息子を慮ることもなく、森本人は舞踏家としてのプライドと躍りたい衝動は失っていない。内臓としての脳は不具合を起こしているが、なお、人間性を伝えるプロトコルは手放せないのだ。
それははたして希望だろうか?
(牧眞司)
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