夕木春央『方舟』の伏線の技法が凄い!
ミステリーでしか書けない興奮をこれまで書かれてこなかったミステリーで書く。
一口で言うなら夕木春央『方舟』(講談社)はそういう小説だ。「これまで書かれてこなかったミステリー」のところに少し補足説明が必要で、同種の技巧、同型の物語はこれまでも書かれてきたが、組み合わせの妙によって斬新な作品になった、というのが正しい。
ここのところ五十嵐律人、潮谷験など期待の新人を続けざまに輩出しているのがメフィスト賞だが、夕木もその出身だ。ただ第六十回の同賞に輝いた『絞首商會』、第二作の『サーカスから来た執達吏』(ともに講談社)とも全然違う作風だったので、『方舟』が出てきたときには正直驚いた。引き出しの多い作家なのである。
登場人物が閉鎖空間に囚われた状態で殺人事件が起こり、彼らの中に犯人がいることが確定しているというのがクローズドサークルのミステリーだ。その系譜に連なる作品である。『方舟』の魅力は半分がこの状況設定に因るものなので、まずは説明しておきたい。
主人公の柊一は大学時代の仲間たちとちょっとした冒険をすることになる。とある山奥に違法に造られた地下建築物がある。過激派のアジトだった、犯罪組織が使っていた、いやいやカルト宗教団体が、などと剣呑な噂がある構造物である。そこに泊りがけで潜り込んでみようというわけなのだ。たまたまそこには矢崎という親子三人連れの一家もやってきて、総勢十人が一晩を明かすことになる。
翌日の早暁、たいへんなことが起きる。地震が発生したために出入口が塞がれてしまったのである。さらに浸水まで始まる。いずれ地下全体が水没することは明らかなのだ。そんな中、柊一の仲間の一人が死体で発見される。殺されたのだ。この非常事態の中で、なぜか。
地下から脱出する方法は一つだけある。だがそのためには、一人が犠牲にならなければいけないのだ。他の八人は脱出できるが、その人間は無残な死に方をすることになる。ならばそれを選ばなければならないだろう。殺人者は報いを受けるべきなのだ。こうして、限定状況での犯人捜しが始まる。
クローズドサークルでの犯人捜しが真剣味を帯びるのは、外界からの助けが期待できない状況下ゆえに、誰もが次の犠牲者になる可能性があるからだ。このジャンルの古典であるアガサ・クリスティー『そして誰もいなくなった』(クリスティー文庫)はこの心理を描き込むことによって、スリルを極大にまで盛り上げた傑作だ。エラリー・クイーン『シャム双子の謎』(創元推理文庫他)は、山火事でいずれ囚われの全員が死んでしまうであろうという状況を創り出し、その中で謎解きに固執する探偵を描いて、推理という行動の原点にあるものは何かを浮かび上がらせた。
『方舟』はそうした過去の名作の美点を換骨奪胎して取り入れた作品である。誰かが最後には犠牲者になるという悲劇的結末をあらかじめ読者に知らせておき、その前の過程に醸成されるスリルを味わわせる。今は普通に会話をしている誰かが、最後には他の全員によって殺されることになるという背徳的な興奮だ。生き埋めという緊急事態の中でなぜ人を殺さなければならなかったのか、という動機の謎も実に魅力的である。
ここまで書いたことで明らかなように、結末に近づくにつれて緊張が高まる小説である。何しろ最後には破滅が待ち構えているのだから、緊張が途切れるはずはない。この構造だけでも万金の値があるが、作者はさらに補助的な技巧を組み込んでいる。それをいちいち説明すると未読の方の興趣を欠いてしまいかねないので遠慮しておこう。一つだけ書いておくと、登場人物たちの心理がきちんとわかるのが本作最大の美点なのである。全員の中で一人は間違いなく犯人なのだから、その人物の行動には他の人間には言えない虚偽が含まれている。これは当然、他の謎解き小説でも守られる基本中の基本である。だが『方舟』では、最後に犯人を犠牲にして他の全員が助からなければならないという、謎解き以上に大切な課題がある。そこに向けての思惑、駆け引きというものが当然描かれる。誰がそのとき何を考えていたのかが、読み返せば明らかになるように書かれているのである。ここが凄い点だ。それ以外にも物証や手がかりなどはもちろんフェアに明かされる。この伏線の技法が物語を下支えしているのだ。
最後に何が起きるのかはもちろん書けないし、どんな読後感かも明かすべきではないだろう。ただ、凄いことが起きる、とだけ書いておく。松坂牛のいい部位を食べるとその日いっぱいお腹の中に存在感が残る。そのくらいの読み心地である。松坂牛のいい部位なんてしばらく食べてないけど、見栄を張って書いてみた。ごめん。
(杉江松恋)
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